鏑木清方と篠山紀信にみる時代を超える美の創りかた
2022年3月18日~5月8日の期間、東京国立近代美術館で行われている鏑木清方展。鏑木清方(1878〜1972)は美人画で有名な日本画の巨匠、109件の作品を展示した大規模回顧展です。
「築地明石町」明治時代の凛とした佇まい
100を超える作品の中で、絶対見逃せないのは、やはり美人画の傑作「築地明石町」(1927年)「新富町」(1930年)「浜町河岸」(同)の3部作でしょう。1975年のサントリー美術館での展示を最後に行方知れずになっていたのですが、2019年に再発見されました。
気品ある女性像、いつまでも見ていたくなります。これらの作品は、単に美しいというだけでなく、およそ100年前に描かれた絵画とは思えない時代を超えた魅力を湛えています。私は、この時代を超えた魅力はどのように培われたのかに興味をもちました。
清方の父、條野採菊は小説家で歌舞伎の脚本も手がけていました。母も芝居好きとあって、小さい頃から小説を読み、芝居に親しんでいました。さらに浴衣地のデザインを行うなどファッションにも通じていました。これらの経験によって、感性を磨くことができたと考えられます。
日本近代美術史が専門の角田拓朗さんは、これまで開催された清方の展覧会を観てきた中で、女性ファンが多いことに気がつきました。そして以下のようにコメントしています。
画家の平山郁夫さんは以下のように語っています。
これら3部作は、関東大震災後(1923)に描かれたもの。女性像の背景にかすかに描かれている景色は、震災で失われた外国人居留地、新富座、火の見櫓。佇む女性も、清方の愛した明治時代の様相です。明治を生きた人々の凛とした佇まいに美の本質があって、それを残したいという想いが、100年たっても古さを感じさせない作品を生み出したと言えるでしょう。
「新・晴れた日」その人に興味をもって撮影する
古さを感じさせないというと、もう一つ思い起こす展覧会があります。
2021年5月18日〜8月15日に東京都写真美術館で開催された、篠山紀信さん(1940〜)の個展、「新・晴れた日」です。60年間にわたる篠山さんの活動の中から116点を展示しました。1960年代に撮影された作品もありますが、昨日撮影したと言われてもおかしくないくらい生き生きとしています。
篠山さんが撮影している人たちは、政治家、文化人、アイドルと著名な人が多いのですが、職業人を撮っているのではなく、その人物に興味をもって本質を炙り出そうと撮影しています。
1972年から1981年まで担当した月間『明星』の表紙写真も展示されていました。アイドルたちの満面の笑顔、写っている彼らも、いまやおじさんおばさんになっていて鬼籍に入ってしまった方もいますが、永遠の輝きを感じさせます。
当時、『明星』はなんと150万部を超える発行部数を誇っていました。篠山さんは、単に表紙の写真ということではなく、社会現象としてちゃんと残しておかないといけないと考え、アイドルたちの笑顔を撮り続けたといいます。
篠山さんの写真家としての転機は、1971年にリオのカーニバルを撮影に行ったとき。それまでは、自分のアイデアとかイメージを力ずくで写真にしたものが作品なんだと思っていたそうです。
ひたすら観察して本当の美を見出す
ふたりとも、社会事象や人物に興味をもち、自分の眼で、その人がもつ本質的な美を観察し、絵画や写真として炙り出しています。とてもシンプルなことで、美術だけでなく全ての活動で大切なことですが、実行するのはなかなか難しい。
私はかつて、生命科学の研究をしていました。細胞を毎日観察して、仮説をたて実験することで、細胞が生きるのに必要となる原理を見出します。ここで、自分の仮説が正しいことを証明しようとして、力ずくでデータを出そうとすると本質を見逃してしまいます。ニュートラルに観察して、これは面白いと思える感性が必要です。
感性を磨くためにも、清方の日本画や篠山さんの写真のような時代を超えた美をなるべく数多く観に行く、そして、自分でも気になった社会事象について写真を撮ったり、作品を創ってみたりすることをお薦めします。