瀬戸内寂聴さんの訃報について思うこと
蓋棺事定(がいかんじてい)
→ 棺桶の蓋を閉めたとき、初めてその人の真価が定まるということ。
また1人、著名人がこの世を去った。
恋愛や歴史、そして老いなどをテーマに数々の小説を発表し、法話を通じて多くの人たちに生き方を説いた作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、11月9日に99歳で亡くなった。
心不全ということで、京都市内の病院で息を引き取ったそうだが、約1世紀という人生だったことになる。
生まれは大正11年の1922年5月15日ということで、大正、昭和、平成、令和の4時代を生きたことになる。
大正時代は短く、1926年の大正15年までしかないので、95歳以上の人しか大正の時代を知る人はいない。
そう考えるだけでも、瀬戸内寂聴さんがいかに長生きしたのかがわかる。
大正の時代を知る人といえば、数年前に亡くなった私の祖父も1世紀という時代を生きていた。
晩年の姿を見る機会もしばしばあったが、健康で長生きすることはなによりも贅沢なことだと思った次第だ。
私は一体、いつまでこの世にいることができるのか。
もちろん、そんなことはわからないし、考えること自体が無意味だ。
それよりも、自分の人生をいかに有意義に生き抜いていくかを考えた方がいい。
ということで、追悼する意味でも、瀬戸内寂聴さんの人生を振り返ってみようと思う。
瀬戸内寂聴という人について
瀬戸内寂聴さん死去 99歳 恋愛や歴史など題材に数々の小説発表
(出典:NHK)
瀬戸内寂聴さんは徳島市出身で、大学を卒業後に本格的に小説の執筆をはじめ1957年に女子大生・曲愛玲で文芸雑誌の賞を受賞して文壇デビュー。
1963年には自らの波乱万丈な恋愛経験をつづった私小説の夏の終りで女流文学賞を受賞。
恋愛小説や伝記小説を次々と発表し、経済的にも精神的にも自立する新たな女性の生き方を生き生きと描いて多くの女性の読者から圧倒的な支持を受けた。
1973年の51歳のときに作家として新しい生き方を模索したいと岩手県の中尊寺で得度する。
その後も、愛や芸術に生きる女性や信仰の道を求める人などの姿を通じて、性や老いなど人間の本質を鋭く描き出す作品を数多く執筆している。
1992年には一遍を描いた、花に問えで谷崎潤一郎賞も受賞している。
また、源氏物語の現代語訳は、当時ブームの火付け役となり、光源氏を取り巻く女性に焦点を当てた新しい視点と読みやすい表現で高い評価を受けた。
1997年には文化功労者に選ばれ、2006年には文化勲章を受章。
そして、瀬戸内寂聴さんは作家としての執筆活動の一方で、僧侶としても30年以上にわたって各地で法話を続けてきた。
多くの人々の悩みや苦しみに耳を傾け、自らの思いを言葉にして伝えてきたのも有名である。
それから、東日本大震災のあとには、東北の被災地を回って多くの被災者を励ました。
2012年には関西電力大飯原子力発電所運転再開に反対するハンガーストライキに参加した。
2015年には安全保障関連法に反対する国会前のデモに京都から駆けつけてマイクを握るなど、社会的な活動にも積極的に参加していた。
このあたりについては、賛否両論があったところであるが、多様な意見を取り入れる姿勢があった。
その後、90歳を超えた2014年5月に背骨を圧迫骨折して入院したり、同年に胆のう癌でも手術を受けている。
療養後、執筆や講話の活動を再開。
2017年には、小説家としての自身の生涯と闘病の体験を題材にした長編小説である、いのちを95歳で刊行し、体力的にもこれが最後の長編小説になると語っていた。
瀬戸内寂聴さんは、2021年10月から体調を崩して病院に入院していたということで、11月9日に心不全のため京都市内の病院で亡くなった。
人の最期について
以前にも書いたことがあるが、世の中に絶対は基本的にはないのだが、1つだけある。
それは、必ず死を迎えるということである。
40歳を迎えて思うことは、10代や20代のときに著名人といわれる人たちの訃報を聞いても、誰かよくわからないということが多かった。
それが、歳を重ねていくうちに、あの人もなくなったのかという感覚に変遷する。
ということは、それだけ自分にもそのときが迫っていると考えた方がいい。
私だけが特別なはずがないし、誰にでも絶対に訪れることだからである。
平均寿命や健康寿命が伸びているという事実ももちろんあるが、だからといって最期がいつ訪れるかは誰にもわからない。
親族の中を振り返ってみても、ここ10年で一気にこの世を去った人たちがいて、数人が残っているという状態だ。
くり返しになるが、人には絶対が1つだけあって、必ず死を迎えるということは、改めて意識しておいた方がいい。
まとめ
どう生きるか、その選択をするのは自分自身だ。
時間というものは誰にでも平等にあるが、その時間をどうやって配分していくかは、その人自身に委ねられている。
これもいつも自分への戒めとしても書いていることだが、時間というものが人生において最もプライオリティの高いものであることは改めて書いておきたい。
さあ、私の棺桶の蓋を閉めたとき、私という人間の真価はどのように定まるのか楽しみである。
それよりも重要なのは、私自身が満足した人生だと感じることではあるが、それを瀬戸内寂聴の死が再度教えてくれたように思う。
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