生き方を選ぶには捨てることから
朝日の眩しさ。ときおり聞こえる鳥のさえずりや、空気の匂いを感じながら、重いまぶたを徐々にひらかせる。
ゆっくりと時間が流れる中で、自宅で仕事をして、生きるために必要な活動を丁寧にする。
やるべきことは自分で決める。定めた信念にむかって、静かにとりくむ。隣には愛する人。夜は並んで寝て、朝も一緒に起きる。
自分の時間を、刻々と噛みしめる毎日。
ときどき、友人や知人を自宅に招き、食事をして楽しい時間をすごす。とはいえ週に何度かではなく、1〜2ヶ月にいっぺんのペース。
という、暮らしをしたいと思っていた。
したいとは思うものの、自宅で仕事をするには能力がいる。でも、私には能力がない、だからできない、できるはずもないと、うつと過食が悪化して引きこもっていたハタチの私はそう思いこんでいた。
それに「仕事」とは外でやるものであり、電車通勤をして、冷たいコンクリートで作られた無機質なビルの中で、これまた無機質な作業を、上司に命令されながらするもの。
みんな我慢して仕事をしている。だから私も我慢して、ツラい仕事をしなければならない。引きこもり、仕事すらできていない私はダメ人間なのだ、とも思っていた。
こんな自分の価値観に苦しんでいた時期から7年がたち、そういえば思い描いていた「理想的な生活」が手に入っている……ということに気がついた。
先日、自宅で開催したバーベキュー会に参加してくれた友人から「seinaさんの生き方に憧れている人は多いよ」と、言われたのがきっかけだった。
「そうなの?!」と、ハッとした。
確かに、自宅で仕事ができている。毎朝ではないけれど窓から外をみて、遠くにある雲を眺めたり、光の温かさを感じられる。ベランダに遊びにくる鳥を、夫と2人で観察もする。
外を歩けば、赤く色づいた葉っぱがそこらじゅうに落ちていて「かき集めれば焼き芋ができそうだ」とも考えられる。鼻の奥にツンとした空気が通りぬけて、師走の気配も感じる。という、周囲の環境にも目をむけられる心の余裕もある。
「理想的な生活」があまりにも少しずつリアルになり、当たり前になっていくから、理想が現実化したありがたさや達成感が、薄れてしまっていた。
よくよく考えると「理想的な生き方」が手にはった転機は、仕事をやめたこと。もっといえば「雇われずに生きていく決心をした」だと思う。
うつに、過食に苦しんだハタチ。症状が落ちついてきた21歳あたりから、整形費用を稼ぐために夜職デビューをした。
容姿のコンプレックスが、うつと過食を悪化させている。整形すれば心の問題も解決して、生きやすくなるだろうと。大嫌いな自分も好きになれて、恋人もできて、幸せに近づけるだろうと考えた結果だった。
整形に350万円くらい使ったあたりで、精神的にも肉体的にも限界がきて、ある日シャットダウンした。不思議と、夜職時代の記憶はあまりない。帰宅すると、泣きながら玄関先で崩れ落ちたことくらい。
そんな日から「外で働くのは、もう無理。在宅で仕事をしよう」と決心して4年。
仕事を辞めなければ、新たな仕事はない。今の生き方をやめなければ、新しい生き方は手に入らない。
理想的な生き方があるなら、今の生き方を捨てることからなのかもしれない。
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