勝者は歴史をつくり、敗者は文学をつくる 〜アンドレ・モロワ著「デブの国ノッポの国」のこと
好きだった本の一番古い記憶は、どの本ですか?
僕は、絵本を読んでた記憶があまりないんです。でも、童話や神話なんかはすごく好きな子どもでした。
で、思い出せる限りで一番最初に好きだった本のひとつが、この「デブの国ノッポの国」です。
この本は、フランスの文学者アンドレ・モロワによる童話です。アンドレ・モロワといえば、英国史やフランス史、ツルゲーネフ伝といった伝記のほか、「人生をよりよく生きる技術」というエッセイでも有名ですね。高校生の頃、「幸福論」の著者アランに哲学を学んだ人でもあります。
前置きはこのくらいにして、本書のあらすじを少し。
ある夏の日。フランスにあるフォンテーヌブローの森に、エドモンとチエリーという兄弟が遊びに来ていました。兄のエドモンは太っちょで、弟のチエリーはガリガリ。でも、二人は大の仲良しでした。
二人は岩の間に不思議なものを見つけます。長い長いエスカレーターが、遥か地下にまで続いているのです。このエスカレーターを降りていくと、そこには二人の兵士がいました。一人は丸々と太っていて、もう一人はひょろひょろと痩せています。
そしてその先には、何と地下の世界が広がっていて、海まであったのです。港からは二艘の船が出ており、片方はデブの国へ、もう片方はノッポの国へ向かう船です。
この船に乗って、デブのエドモンはデブの国へ、ノッポのチエリーはノッポの国へ向かいます。エドモンもチエリーも、それぞれの国で優しい人に出会い、楽しく過ごします。
ところが、この二国が戦争をすることになってしまうのです。
離れ離れで敵同士になってしまったエドモンとチエリー。二人の運命はいかに?
というお話です。
で、この戦争、決着がついて、片方の国が片方の国を占領することになってしまうのです。
ところが、ここからが面白いところで、負けた方の国は勝った方の国に占領されてしまうのですが、一方で勝った方の国は負けた方の国の考え方に影響されて、変わっていってしまいます。勝った国の人々はだんだん負けた国の人みたいになっていき、両国の間で結婚する人も出てくる。
そのことにより、また両国の関係が変わってゆくのです。
こうした物語の展開の背後にあるのは、おそらく第二次世界大戦なのでしょう。モロワの母国であるフランスはパリをドイツに占領されたわけですが、でも、だからといって、フランス人がドイツ人になってしまったわけではなかった。むしろあのとき、フランス人の考え方やフランスの文化に影響を受けたのはドイツの方だったじゃないか、著者はそう言っているような気がします。フランスは、文化においてドイツに負けたことは一度もない、と。
以前、多分テレビで、フランスとドイツの国境にある村に住んでいる人の話を見たことがあります。その村は、これまで何度もドイツになったりフランスになったりを繰り返してきたそうです。で、その村に住んでいる人の気持ちとしては「もう、めんどくさいよねー」という感じでした。「別に、どっちでもいいよね、ドイツでもフランスでもさ」って。
まあ、そうでしょうね。僕もきっと、そう感じると思う。
今現在も、地球上では戦争が起こっていますけど、いつも思うんですが、戦争って結局は政治家と役人が己の都合のために始めるものでしょう。そして、国民がそれを支持するようになるのはいつだって、国民自身がその戦争による何らかの被害を受けた後なのです。そりゃそうです。空襲で家族や恋人を殺されたら、復讐してくれと思うようになるのは当たり前。
でもさ、そもそもその前に戦争を食い止めることはできたはずだし、それをするのが政治家や役人の仕事じゃないの? って僕は思うんです。
なのに、何で勝ったら賞賛されるんですかね。別に勝とうが負けようが、戦争という事態を引き起こした時点で両国とも同罪だよって、僕はそう思うんですが。
だから、はっきり言って、僕は政治家や役人が嫌いなんです。その人が何人であっても。日本人の政治家や役人だって、中国の政治家や役人やロシアの政治家や役人や韓国の政治家や役人や北朝鮮の政治家や役人やアメリカの政治家や役人と同じくらい大嫌いだ。みんな同類だよ。
でも、作家や詩人やミュージシャンやスポーツ選手は別。どの国の人であっても、彼らはすごいし、尊敬します。そして、その人がどこの国の人であれ関係なく、好きな人からは大きな影響を受けています。
この本にも書かれているように、人間というのは、人間の文化は、勝つとか負けるとかではなく、ごく自然に混ざり合っていくものでしょう。そうならないとしたら、その方が何か無理なことをやってるんです。それは多くの場合、政治の力で。
つまり、このお話は、すごく普通のお話なんです。こんな風になるといいよね、という子ども向けの夢物語なんかじゃない。ごく普通に、現実に起きていることを描いたお話なんです。
でもそれがなぜか、この地上の国では非現実的になってしまう。
僕みたいな考えをしてると、決して勝者にはなれないのです。
だから、かつて中国の詩人は言ったのでした。勝者は歴史をつくり、敗者は文学をつくる、と。
そして、この言葉が遺されてから、その中国ではこれまで何度も何度も国が変わりました。その度に、歴史も変わりました。文学なんて空想の産物だと、政治や経済や歴史がお好きな方々は仰るけれど。
でも、この言葉は、その頃からずっと、今も生き続けているのです。ちゃんと。
別に、デブでもノッポでも、どっちでもいいのです。それは多様性とかそんなこと以前の、もっと当たり前なことなのですから。
三十何年ぶりに読み直しましたが、やっぱり、今でもこの本が大好きです。
そして、もう二十一世紀になったのに、いまだに地政学なんかに支配されているこの世界に、本当にうんざりするばかりです。