【書評】きみのお金は誰のため | 批判的な感想
「読者が選ぶビジネス書グランプリ2024 総合グランプリ「第1位」受賞作」ということで、kindleのセール時に積読をしていたのですが、稚拙なプロット、緩いロジック、浅い考察と、全体的にはネガティブなメモが多く残った本でした。
批判的な内容になってしまったので、ファンの方がいましたら、読み飛ばしてください。
プロットの甘さ
本のメインでも感想の本筋でもないので、簡単な言及にしたいと思いますが、プロットに関しては甘さが目立ちました。
登場人物の作中での役割は明確であるものの、(特に社会人女性を筆頭に)キャラクターがぶれており、一貫性が感じられませんでした。また、ネット小説系などでありがちな現象ですが、読み手の受ける作中の時間経過よりも物語の時間経過が早く、感情移入ができないまま話が展開され、読者の置いてきぼり感がありました。
物語のプロットは副次的な楽しみでしかないのですが、ストーリーへの要所要所の拘りが稚拙さを目立たせており、「13歳からの地政学」くらいシンプルに徹したほうが良かったのではないかと思います。
展開と結論への違和感
この本ではお金というテーマを中心に、一般的ではない視点を取るとこで、「お金の価値」を読者に問いかけていくという構図をとっています。
そのなかでは、雇用、社会正義、世代間格差、性差、少子化といった難しい論点を数多く扱っており、意欲的な作品といえます。一方で、後述の通りどれも問題の複雑性が解きほぐされることなく削ぎ落とされ、単純化されてしまっており、「なぜそれが問題として解決されずに存在しているのか」を理解するための補助線が提供されていないのが、非常に残念でした。
この部分は「不十分な供給が取引の律速であった時代から、技術的進歩による生産性の向上によって、現代では代替された労働者の価値の低下が取引の律速となっている」というような、ケインズやブルシットジョブあたりで語られる文脈が展開されています。
そんな現代においては、新たな価値を創造ができる人間こそが富を得ることができ、一方で創造できない人間は、価値ある仕事の激しい椅子取りゲームに参加することになります。
この文脈で語られる問題は複雑で解決が難しく、ここにスポットライトを当てたブルシットジョブでさえ問題提示に終始し、解決策は示していません(なぜならルールの範囲内における解決方法は「価値を創造するような人間になるか」「椅子取りゲームに勝ち残れる強者になるか」しかないという身も蓋もない話であり、そして彼らの存在が社会に富を還元し、全体利益をもたらすからです)。
なので、この文章を読んだときは、一体どのような語りを見せてくれるのか期待したのですが、
お分かりの通り、ふわっとしたいいこと風で、その実なにも「考察」を提示していないんですよね。
そもそも、これはどのような方向性を目指すべきという主張なのでしょうか。無理に創出されている雇用は減らせということなのか、ベーシックインカムを導入せよという意味なのか、富裕層への課税を強化せよということなのか。
何よりも「なぜそれが社会にとって変えなくてはいけない問題であると考えているのか」という筋道を明らかにせずに「社会をみんなで変えていこう」というのは、短絡的な行動に誘導しかねないと思います。
また「会社の偉い人や仕事のできる一部の人だけが得をしているという状態なんや」という攻撃的な批判が、マイケルサンデルがいうように運が良い人たちを意味しているのであれば、一定の合理性があるかもしれません。ただ、逆にここを論点に持ってくるのであれば、それこそ「運も実力のうち」、御田寺圭さんの「社会矛盾序説」、橘玲さんの「無理ゲー社会」くらいしっかりと問題を深堀してロジックを提示しないと、たとえ子供向けだとしても(むしろ子供向けだからこそ)無責任ではないかと思います。
本来これは特定の層を悪と定義できる単純な構造をしておらず、そして綺麗事だけ述べていいテーマでは無いはずです。
社会正義を個人の正義とする主張
これは、合成の誤謬の例です。つまり、全体の最適解と個人の最適解は往々にして異なるという例であり、実際あらゆる問題は俯瞰する場所によって最適解が異なります。
この文章のあとには、個人ではなく全体=社会の視点を持つことの重要性が語られるわけですが、どうにも白々しくて胡散臭く感じるのは、個人の最適解が蔑ろにされているためです。
全体と個人の視点を分けて考え、自らの行動のベクトルを意識することは、人生においてとても重要なことです。
社会に悪影響を及ぼながら個人の最適解を求める行為は、結局は幸福にはならないという主張は青臭いながらも一つの真理だと思います。しかし、全体の最適解を個人の最適解と錯覚してしまうことも往々にして幸福な結果になりません。この例でいえば、社会経済を回すためと貯蓄せず散財をした個人を賞賛するのは誰でしょうか?
物語の後半で、主人公はボスが社員を首にする瞬間をたまたま聞いてしまい、それに対してボスは以下のように語ります。
この文章が陰性感情を抱かせるのが、ボスが人員削減を社会正義として正当化している点です。さらに「実際にAIの会社で雇っているような研究者や技術者は、いくらでも次の仕事がみつかるらしい。」というエクスキューズを用意する点が後味をさらに悪くします。ここには個人の視点(労働者の視点)は全く含まれていません。
私は言いたいのは「解雇はけしからん」ということではなく、解雇を全体の最適解として問題をすり替え正当化したうえで、それを個人に押し付けることを正義として「熱を込めて」主張することに違和感を感じるということです。
世代間格差の問題
さらに物語では「国の借金と世代間格差」という問題にも切り込みます。とてもセンシティブな問題であり、これを子供向けに解説するには高度な手腕が問われるところですが、
随所に論理的飛躍がある文章といえますが、それは置いておいたとしても、著者はそもそも「過去の世代に対して"ずるい"と感じていたが、今は、お金がある人に対しての"ずるい"」に変えることに意義を感じるのでしょうか?
繰り返しになりますが、視点や見方によって主張が対立するセンシティブな問題を軽々しく扱うことは、誤解を招き、極端な結論を導き、本質的でない無駄な争いのもとになります。そのため、主張するためには、問題をきちんと深堀して整理し、論理的な補助線を用意したうえで結論を用意する必要があります。それは簡単なことではありません。
しかし本書では、構造を単純化して、あまつさえ同世代間の対立を惹起する方向へスライドし、世代間の不平等は存在せず、存在するのは同世代の格差だけという結論に読者を誘導をしています。この根拠と結論が正しいとも思えませんし、このような本が賞賛されていることが不気味でした。
しっかりとした議論を展開できないのであれば、扱うべきテーマではないでしょう。
まとめ
総じて批判的な感想になってしまいましたが、お金に関する多様な問題を扱った点に関しては、意欲的だったといえます。特にお金の強力性ゆえに見えなくなりがちである「お金は交換資材の一つに過ぎない」という視点は同意できるところです(このあたりの議論は山口揚平さんの本が面白かったです)。
しかし、どれも問題の本質には触れずに、表面的で浅い語りを、紋切り型のエモーショナルなオブラートで包んで、「大人も子どもも知っておきたいお金の教養小説!」として売り出すのはどうなのかと、個人的には疑問符が付く内容でした。
逆説的な感想として、最近論理展開がかっちりして解釈の余地が少ない本ばかりを読んでいたので、批判も含めた解釈の幅が広い、という点では有意義でした。