君を夏の日に喩えようか?
地球はほぼ球形で、太陽光の向きに対して地球の自転は傾いているので、北半球が日照時間の乏しい冬の日でも、南半球には大変な熱量の煌々たる日光が輝かしい夏の日が訪れます。
クリスマス休暇を利用して三泊四日で電波圏外の山荘でデジタルデトックスをしてきました。
自分はもう日本を離れた海外での滞在時間が生まれ故郷の日本で過ごした時間以上になり、日本と今ここでの生活と比較することに意味をあまり感じないので、ほとんど自分の住んでいるニュージーランドの生活をリポートしたいと思うことはないのですが、今回はホリデイで特別ですので、読者様に喜んでもらえそうな海外の暮らしをいろいろお見せ致します。
Noteでは、ドイツやアイルランドやイタリアやブルガリアなど、わたしが足を踏んだことのない、憧れの土地で暮らしている邦人の方の現地情報を知らせる投稿を、わたしも楽しんで読ませていただいているのですから。今回はお返しです。
小英国であるニュージーランド
わたしは西欧文化が大好きで、ドイツ語やロシア語やイタリア語に学生時代から憧れてきました。ヨーロッパの歴史や哲学や文学書を読み漁り、西洋クラシック音楽に人生の半分くらいを捧げて西欧文化を偏愛していますが、ならばどうしてイギリスやドイツに暮らさないのかとよくこちらの現地の人にも言われます。
ヨーロッパに住むことはわたしの長年の憧れでしたが、欧州から見て地球の裏側にある南太平洋のニュージーランドに永住することを選んだのは、ニュージーランドが本当に美しい自然に溢れた土地だからです。
ご存知のようにニュージーランドは世界の果てのような場所にあり、近頃、世界中の人たちの懸念である第三次世界大戦が起きても、やはり世界の果ての先進国の欧州北方のアイスランドと共に、世界で最も安全で平和な国なのだそうです。
こんなところを攻撃しても戦略的価値はないし、核の冬のようなことになっても間違いなく世界で最も被害の少ない土地の一つでしょう。
世界で最も飲み水の美味しい国と言われています。日本同様に水道水もそのまま飲めるのはもちろんのこと、山の清水もそのまま飲んでもお腹を壊さないし、甘くて美味しい。
日本列島同様に火山国なので、起伏に富んだ土地を持ち、お隣のオーストラリアが乾燥しきっている分、砂漠の水蒸気はこちらで雨となり、温暖多湿で緑いっぱい。火山のおかげで日本のように天然温泉が至る所にある。わたしは近所のテアロハ炭酸水温泉や日本人観光客にも人気のロトルア鉱泉に長年親しんできました。
一部を除けば乾燥し切ったオーストラリアとは比較にならぬ、緑豊かなニュージーランドの美しさは筆舌に尽くしがたい。
映画のロケ地として大変な人気であることはよく知られていますよね。
世界中にはたくさんの美しい土地があるけれども、こんなにも手付かずの自然が至る所に残されている国は少ない。
巨大なアメリカには本当に美しい場所もあるし、広大なオーストラリアも同様。でもあんな大きな国とは違って、少し郊外に車を走らせると絶景や緑色の水を湛えた海辺にすぐに出会える土地は世界中でも数少ない。
四季の変化は日本ほど劇的ではないけれども、春夏秋冬、どれも美しい。
夏は日本のかき氷を食べたくなるほど暑くはならないし、冬の寒さも南島下側を除けば凍てつくような冬はない。年中が春や秋のような気候を物足りないといわれる方もいらっしゃるでしょうが、とにかく過ごしやすく、夏の日の木陰の気持ちよさは格別です。
南半球は北半球よりも日差しが強く、紫外線の量が一説では七倍にものぽるそうなので、日焼け止めは必需品ですが、だからなのか、気温が三十度近くになると海水は暖かくなり、日本の夏のように空気は湿っていなくて、日陰に入ると本当に気持ちがいい。
酪農国でミルクが美味しいので、アイスクリームが美味しすぎてみんな食べ過ぎてしまう文化は玉に瑕かもしれませんが。チーズも種類もふんだんにあり、最高に美味しい。サーモンやオイスターなどの海産物も、ラム肉や山羊、牛肉や鶏肉も最高。野菜は無農薬、または低農薬で甘いし。新鮮な果物も多種多彩。
そして古き良き英国文化の伝統を守り続けている。
英国階級社会の悪き伝統は受け継がずに、階級制度の名残がほとんどない。ラテン語を今でも教えているような金持ちのための名門私立学校も存在していますが、家柄なんてしがらみはあまり意味がない平等社会。富裕層と貧困層のギャップがどんどんひどくなっているけれども、それは家柄のためではない。
移民の国ニュージーランドは今ではたくさんの中国系やインド系の移民が増えたけれども、移民者を国別統計で見ると常に一番なのは、宗主国とも言えるイギリス系移民が圧倒的に一番多い。
英語に不自由しないイギリス系白人移民がニュージーランド人に混じると見分けがつかないので目立たなくなるだけですが、ニュージーランドは確固として英国文化を受け継いだ国なのです。
多くのニュージーランド人はオーストラリアに出稼ぎに行ったり移住したりしますが、ニュージーランド人は文化的にニュージーランドの方が上であると誇りに思っている。大量の流刑者を送り出して開拓させたオーストラリアと、夢を求めて移住した中流や上流英国人が原住民マオリと平和的に和解して作り上げたニュージーランドとは建国の意識からして全く違うというのです。
わたしはイギリスのシェイクスピアが大好きですが、こちらでは夏には必ず各地で野外シェイクスピア劇が上演されます。
来月は近所で「じゃじゃ馬ならし Taming of the Shrew」を見れることを楽しみにしています。
日本人が漱石や鴎外を読むように、オースティンやディケンズは普通に読まれて親しまれています。コンサートホールでは英国が誇るヘンデルやエルガーが、世界的楽聖のバッハやベートーヴェンよりも人気だったりします。
多くの英国人はニュージーランドを一度訪れると、心底惚れ込んで本国を捨てて移住するのです。
ヨーロッパは住みにくい。いろいろ暮らしにくい。英国は歴史も古く興味深い国ですが、難しい国です。
だから英国人は祖国を捨ててここに居着いてしまう。世界の最果てのニュージーランドには彼らが理想とする世界を夢見れるのでしょうか。
美しい夏の日を味わえるところ
英語圏最大の詩人であるシェイクスピアは有名なソネット十八番で、美しい人を形容するにあたり、
と歌いましたが、この夏の日とは、冷やしたスイカが美味しい日本の夏の日とは違った夏の日。
暑過ぎる日本ならば「夏はよる」という枕草子の言葉を支持しますが、シェイクスピア流に言えば、瑞々しい緑の木々、木陰にはそよかぜ、蝶や蜜蜂が舞い、小鳥の声がする、淡い午後の日差し (直射日光以外は夏の日差しは柔らかで優しい)、それが最高の夏。
夏の海辺や涼しい森の夏の日。本当に美しくて美少年や美少女を喩えたくなるのは、やはり夏の木陰の太陽なのです。
さて百聞は一見に如かずですので、ここから写真特集。わたしの夏休み、少しばかり紹介いたします。
以下の写真は全てわたしがiPhoneで撮影したもの。
コロマンデル半島のコルヴィルにて
クリスマス前の数日、ニュージーランド北島中東部から太平洋に突き出したコロマンデル半島 Coromandel Peninsula の山荘を借り切って静かな時を過ごしてきました。
我が家から二時間半のドライヴ。海道沿いのドライヴは最高でした。
コルヴィル Colville という村の山荘。
本当に電波が届かない山の中。国道から小石だらけの砂利道を15分ほど車を走らせ、途中で小さな川を通り越してようやく小さな山小屋に到着。
傍には山からの穢れない清水の渓流があり、綺麗な石がたくさん転がっていた岩だらけの川の中にはザリガニが住んでいて、小さな滝を眺めていると時がたつことを忘れました。
徳利バチにナナフシやらハンミョウに似た綺麗な甲虫など、都会では会うことのできない虫たちでいっぱい。
この山荘は以前は金の採掘のために建てられた山小屋でした。
なかなか面白い歴史がある由緒ある山小屋。
シダだらけでジュラ期のようなニュージーランドの森。シルバーフェーンはニュージーランドのシンボル。映画ジュラシックパークがここで撮影されたことも頷けるわけです。
水道には困りませんでしたが、自家発電なので使える電力量は制限されていて、ガスコンロの火でお湯を沸かしたり調理したりしました。シャワーも出が悪いのですが、そのくらいどうということはありません。かまどで火を焚くとシャワーウォーターが温まると書かれていたので暖炉に薪をくべて炎を見ることを楽しみました。
山道を登ると山頂に出れる道があると山小屋案内がありましたが、今回は崖崩れのために危ないからやめろと言われて断念。近くの海岸に行きました。
こんなに美しい砂浜に訪れる人はごく僅か。
子供たちは波乗りを楽しみましたが、わたしのお目当てはこれでした!
そう天然の岩牡蠣です。牡蠣はわたしの大好物。そして至る所に牡蠣、牡蠣、牡蠣!
ここは好きなだけ自由にとっても良いところなので尖った石を探してきて良さげなものを見つけてその場で生牡蠣を試食。サイズは様々で形も歪なのは天然だから。
レモンなどかけなくても、塩水がほどよく効いてて、牡蠣の身のなんと甘いこと!
至福の味!
食卓では絶対に味わえない、天然の生牡蠣を、産地でそのまま好きなだけ堪能いたしました。ちなみに冬から春が旬とかそういう牡蠣の季節はこちらにはありません。
そして数日ほど牡蠣を山ほど食べましたが、もちろんお腹を壊したりもしません。超新鮮で生きたままの牡蠣ですから。
ニュージーランド漁業省は一日に採って良い数を制限していますが、取ってはいけないという場所もありますので、是非とも天然牡蠣を食べてみたいという方はNZ漁業省の通知をご覧になった上でお試しあれ。ウェブサイトに最新情報がすぐに見つかります。
Sustainable Development つまり持続可能な発展のために資源を大切に。たくさんあっても取り放題じゃないですよ。
でももうまさに、シェイクスピアの慣用句のように、The world’s your oysterという言葉を実体験できたわけです。
山荘滞在の帰りにお店で養殖のオイスターも買ってみて食べてみました。
流石に身は安定して大きいですが、海岸で食べた時のあのセンセーショナルな甘さはなく、こちらはレモンをかけて食べた方が美味しかった。
オイスターの産地で知られるコロマンデルなのですが、やはり産地の採れ採れの岩牡蠣の味には養殖ものは及ばないのでした。
短期滞在の観光で来られても、観光ルートから外れているコロマンデルは、外国人は行きにくいでしょうね。
ロトルアなどの観光地にはいろんな言語によるガイドなどもありますが、ここでは英語ができないと困ります。観光バスも走ってはいないので、車がないと行くことはできません。
コロマンデルでは白人以外の外国人には全く出会いませんでした。こんなにマルチカルチャーな国なのに。デンマーク人の一家に出会っただけ。
山荘への帰りにでっかい石英の結晶。
道端には石英を含んだ小石がたくさん落ちていてお土産にしました。
ニュージーランドは日本列島と同じく火山だらけなのでこういう石を田舎にゆけばたくさん見つけることもできるのです。子供には鉱物学の勉強をさせました。娘はこういう鉱物や光り物が大好きなのです。
山荘滞在を終えてから近くにあったチベット仏教寺院を見学。
ここは断食道場のように俗世を離れた短期滞在を楽しめるようになっていました。心を沈めるに良いところですね。Retreat と呼ばれる施設になっています。
本当に美しい夏。
わたしは夏にはよくコロマンデル半島を訪れることにしています。今回は西海岸でしたが、数年前には東海岸を訪れました。彼方には無人島であるかのような白浜があり、こちら側とは違った美が存在しています。
タスマン海に面したラグランビーチにて
クリスマスの数日後、今度は西に車を走らせ、世界的に最高のサーファービーチとして有名なラグラン Raglan にやってきました。
タスマン海に面した海岸は思い切り遠浅なのに信じられないくらいにすごい波を楽しめるのです。遠浅なので、波から落ちても深い海の中に溺れる心配はあまりないというわけです。
昔は波乗りに夢中になったこともありましたが、いまは海岸沿いを歩くのが好きです。今回は安全な内海のファミリービーチを訪れました。
ここはカヤックで遊ぶのに最高なところ。
わたしは麦わら帽子をかぶって砂浜ではなく砂洲を歩いて、ずっと海を眺めていました。
満ちた潮が引いてゆくところで、水量が減ってゆく海が陽に照らされて輝いてゆく。静止画の写真ではあの素晴らしさをどれほど伝えられるのか取ろうか不安なのですが、こういう情景。
人は遊ぶ生き物だという定義を思い出しました。
ホモ・サピエンス Home Sapienceではなく、ホモ・ファーベル Homo Faberという人の定義が海辺では相応しい。
ちなみに英語発音はカタカナで無理矢理書くと、それぞれホモセイピアンスにホモフェイバー!ああ日本語のカタカナって!
みんな夏の陽の下で水遊び。きっとこういうのを幸せな世界っていうのですね。
みんな遊んでる。
ボートやカヤックやカヌーでジェットボートでパドルボードで。もちろん橋の欄干からダイヴして泳いだり、砂山を作ったり。何もしないでテントの下で日向ぼっこしたり夏風邪を楽しんだり。時々ぼうっとすることも脳のためにはいいのだそうです。
非生産的なようでいて、こういう時間は不可欠なのです。
あらいぐまラスカルの原作でこういう文章に出会いました。無邪気なラスカルを羨ましく思います。この作品を読んでいて、この部分に最も心打たれました。
Bridal Veil Fall
特に美麗なことで知られる有名な滝も見に行きました。
「花嫁のヴェール」という名の滝。
ここにもニュージーランドにしかない「美しい」が存在してる。
美しいは生きてゆく意味になる
美しいものを見ていること、美しい空間の内で過ごしていること。
美しさとは心を喜ばせるものと辞書的には定義されますが、本当に見ているだけで心喜ぶ景色と時間と心地よい風と香り。
生きていることに疲れると、こういう美しさを思い出すことにしています。美しいものを味わうことは生き甲斐になる。
なんのために生きている?
この世界の美しいものを味わうために。
昭和の小説家辻邦夫は美しさは生きている意味になるという主題で小説を書き続けましたが、わたしも齢を重ねて、ますます辻邦夫に共感しています。
ヨーロッパの音楽や美術や建築や文学が大好きなわたしですが、ここにいれば、わざわざヨーロッパにまで出向かなくても、そうした美しさをいながらにして味わえているのだなと本当にしあわせです。
イタリアなどにある紀元前からの歴史的建造物も素晴らしいけれども、ニュージーランドにも十九世紀の美しい建造物はある。
でもどんなに美しい建物でも、人の手による建築物は自然の美に及ばないのかも。
わたしは古典音楽という人工美の極みのような音楽が好きだけれども、音楽も美術も自然の美を人の手によって再現しようという試み。
芸術は自然を模倣する。この美しさの本質を人のわざにおいて作品の中に閉じ込めて再現しようという試みが芸術表現。
自然の中の圧倒的な美に接して、人工の美と自分は日々暮らしているのだろうかという感慨を抱きました。でも無機質な都会に自然を思い起こさせる美を醸し出してくれるのが美しい音楽に絵画。きっとそれでいいのです。
美しいものは心を喜ばせる。
そして忘れかけていた生きる活力を思い出させてくれるものなのです。
2022年の終わりに
今年は音楽のことを書いたり英語のことをたくさん書いてたくさん読んでいただけました。コメントもたくさんいただけて少しばかりの交流も楽しめました。
良い年の暮れをお過ごし下さい。
I wish you a happy new year!