イタリア・ルネサンスの文化を読んで
ヤーコプ・ブルクハルト著 新井靖一訳『イタリア・ルネサンスの文化 上・下』ちくま学芸文庫. 2019.5.
「ルネサンス」というと、ミケランジェロ、レオナルドなどの絵画や彫像が浮かぶ。美術が花開いた時代、というイメージが私にあった。
しかし、著者はまず、「教養が芸術に先行した」時代だと主張する。イタリア人は「ヨーロッパの息子たちの長子」であった,と。それらを客観的に提示するため、膨大な参考文献に踏みこみ、区分して近代文化の原型となるルネサンスの全体構図を描いた。
著者によると、イタリア人を近代的人間の姿に立脚させたのは、彼らの持つ国家の性質であるという。
それは、共和制、専制君主制を問わず「精緻な構築体としての国家」であったと。これを本著の第1章として位置づけている。
そのような国家を生み出す種は、どこから芽生えたのか。
フィレンツェの事例から検討している。
(ルネサンス文化は、他にヴェネツィア・ナポリ・北部ほか,それぞれ独自に統治された領域の取り回しにより、それぞれの色合いが独立した別物であった。)
本著によるとルネサンス期の国家は、数世紀にわたって合理的に改造され、国家とあらゆる事象を「客観的に考察し、かつ処理する”個人の精神”が目覚める」時だった。この主張が全面的に正しいかは若干置くとしても、古代の再生や華麗な造形美術に注目しがちな現代の私たちにとって、人類史上新たな視座となると考えられる。
権力の集中とその奪還、急変する政治・社会情勢のなかで、そこに生きた人間が個人としての認識に達する。つまり、先を読む個人の生き方が民衆に影響を及ぼすこと・精神的存在であることを自覚した個人は、自分の出自や相続財産によらず、自分の裁量と決断力に基づき行動する。ブルクハルトによると、「人目を惹(ひ)くこと、他人と違っていること」を「はばかるような人間は一人もいなかった」という。
強烈な個性の登場に伴い、権力・宗教のあり方を一部揶揄したり、言語に転換する文化も生まれた。14世紀にはダンテが、侮蔑の意思表示によって並居る詩人たちを抜きんでた。一説に、詐欺師の地獄での風俗画の描写だけでも、『神曲』は原題の「神聖喜劇」にふさわしい最高の巨匠の傑作喜劇なのだとされた。それらの影響により、毒舌家も輩出した。「《真実》は憎悪を生む」という格言まであった。
なお、ルネサンスはしばしば「古代の再生」運動と理解されがちだ。それは,古代の遺産を芳醇に受け継いだイタリアの民族精神と繋がっているからである。しかし、前提に個人の発展があった。この流れで、本著の構成は、第2章が「個人の発展」。第3章「古代の復活」とつづく。
古代建築・芸術の遺産よりもっと重要なのは、ギリシア語やラテン語の古文書の普及であった。14世紀には、古代作家のギリシア語写本やラテン語訳、あるいはラテン語の詩人、雄弁家などの写本が巷にあふれ、ボッカッチョやペトラルカの世代を虜にしたという。メディチ家はこれらの書物購入のために、私財をいくらでも融通したという。先達が率先して,「アーカイブズ(この場合知の宝庫)の価値が非常に得難い」ものであると認識していたといえる。修道院を中心に図書館が作られ、古代文化を理解する人文主義者の呼び水となった。
中世の制約から脱皮し、個性を伸ばし、古文書に目覚めながら、イタリア人の視野は外界に拡がった。ここで、第4章「世界と人間の発見」が活きてくる。ジェノヴァ人・コロンブスは遠洋航路の発見に乗り込んだ、多くのイタリア人の一人にすぎなかったとする。さらに、未知なる外界を研究するだけでなく、イタリア人は「風景美」を知覚しつつ楽しむ、最初期の人々だったという。まずは詩人たちが,画家よりずっと昔から風景や風俗をことばで表現していた。
この時代イタリアでは都市で、貴族と市民が入り交じって住んでいた。
第5章「社交と祝祭」では、個性の表現方法としての服装・服飾のモード、女性の地位や教養などに着目する。社交生活における音楽愛好とともに、民衆の祝祭行事のバラエティー豊かな実情が示される。
第6章「習俗と宗教」では、起こり得ないような不道徳がみられ、それは同時に高貴な人格を目指したいという希求の現れでもあった。そこから個性ある生を讃美する華麗な芸術が発展した。イスラム教をはじめとする他の宗教への寛容が生まれた。と同時に,聖なるものへの批判の始まりでもあった。
ブルクハルトの原書は初版1860年。162年の時が過ぎた。いくつかの書評で指摘されるように,本著に美術史への記述が少ないのは気になる。しかし、著者が明示するように、最もルネサンスらしい人間=「万能人」とするのであれば,その背後に、ブルクハルトという知の構築の巨人がいた。原典(第一次資料)と丹念に向き合い、”個人の精神発祥”像を洗い出しすという、気が遠くなるほどの大きな視点を持つ巨人が。
ここから少し私の考えを添える。本著に厚みがあったので,他の知見からも理解を得たいと思った。関連する時代の著作(尊敬する須賀敦子著他)を読んだ。それらから得た印象と共に考えてみる。
ルネサンスは,華やかでプラスの時代ばかりではなかった。ペスト流行で人口激減。下剋上の乱世という,国内・外への,統治上の駆け引きが山盛りであった。それらのダークさを含めてもなお,敬意をこめて表明する。
「ある道において,他の誰にも追従させないくらい〝私はここをとことん行く”という探究者が噴出した時代」でもあったのだろう,と。
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