spods、「バス改造のDIY」スタート! 情報過多の時代に見つけた「モノづくり」の時間
未来の可能性を詰めこんで始動した既存バスのDIY。初日に参加したライターのすみさんから現場ルポが届きました。
どんな人たちが集まって、どんな作業をしているの?
情報過多の時代に再発見した「モノづくり」の時間とは?
“移動する新しい場”を作る「移動型クリエイションスタジオ」spods(スポッズ)のプロジェクトが体感できるストーリーです。
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その日僕は、横浜のあるガレージでバスの内装設備を剥がしていた。
電動ドライバーでネジを緩め、内壁や床を覆う装材をバリバリと剥がす。季節外れの暖かさが、閉め切った車内で蒸し暑さに変わり、体がじんわりと汗ばむ。
「この部分も剥がして大丈夫ですかね」
一緒に作業する大学生の男の子が聞いてきた。彼は都内の大学で建築を学んでいるそうだが、この日が初対面で、名前もお互い知らない。
見ず知らずの2人が27人乗りのバスの中で改造に精を出していることに少しおかしさを感じながら、電動ドライバーやバールを手に一つ一つ内装の解体に励んだ。
「バス改造」という言葉は、僕にとって魅惑的だった。
ある日、友人の女の子の紹介で巻き込まれたプロジェクトは「spods」(スポッズ)といい、バスを改造し、モノやサービスが生み出される移動型スタジオのような空間を作り出す取り組みだという。
要は、自動車や電車などのモビリティを、移動手段としてだけではなく、新たなサービスや発想が生まれる場所として社会に実装してみる試みだ、と思う。
車内に様々な調理道具を搭載し、移動先で一流シェフが料理を振る舞ったり、蒸留機を持っていき地産の化粧水を作ったり、シャワールームや寝室としての機能を持たせたり。行き先や発想によって様々な使い道があるバスを作りたい、ということだ。
説明を聞いて、分かったか分からなかったかで言うとおそらく後者だが、とりあえずはバスそのものを見て、イメージを具体的なものにしてみようと思った。
幼い頃から工作は好きだったし、今住んでいる家の靴棚やベッドサイドテーブルも自作したものだ。モビリティうんぬんはよく分からなくても、「バス改造」という言葉は僕にとって魅惑的だった。
この日、DIYに詳しそうな人はゼロだった。
朝10時から2時間ほど作業し、ガレージ内のオフィスで昼食のサンドイッチを食べた。
この日集まったのは10人強。写真家やアートディレクター、大学生など幅広い顔ぶれで、食事しながら自己紹介を聞いていたが、自動車整備士や大工などのDIYに詳しそうな人はゼロだった。
素人同然の面々で、悪戦苦闘しながらオリジナルのバス作りに挑戦するというのは無謀かもしれないが、僕はむしろ面白そうだなと感じた。
現在、バスは2台ある。一台は福祉車両(1号)で、もう一台はバス会社に好意で提供してもらったキャンプングカー(2号)だ。
1号
2号
この日の作業は、1号の内装を全て取り外し、もう2号の外装をヤスリで削り落として塗装の下準備をするというものだった。
僕と大学生の男の子が内装の解体を行い、他の人たちがもう1台のヤスリがけをする分担だ。昼食を取り終えるとみんな腰をあげ、軽い足取りで作業に戻った。
「モノづくり」と同じくらい楽しい「モノ壊し」
モノづくりは言うまでもなく楽しいが、僕にとってそれと同じくらい快感を覚えるのが「モノ壊し」だ。
バスには普通、座席や窓枠、壁が当然の装備としてあるが、そうした「調和」を壊して解体していくのはいつも心地いい。
最初は何かいけないことをしているような落ち着きのない感情が付きまとうが、それも次第に麻痺し、しまいには気持ち良くなってくる。すると今度は、ここから自分が新しい何かを作るのだという漠然とした興奮がやってくる。
この日も、電動ドライバーを使用しても外れない壁材などがあると、最初はどうしたものかと考え込んでいたが、だんだんと深いことは考えず、バールで力任せにひっぱり剥がすようになっていった。
隣で作業していた男の子もその禁断の味を知ってしまったのか、最初は1作業ごとに「これも剥がして大丈夫ですか」と僕に聞いてきていたのに、今や「ここもいっちゃいましょう」と、次々と内装設備を取り外している。
車両の改造は、プロの整備士だけに許されたものーー。僕は、バスの内壁を覆う素材を黙々と取り払いながら、そんな凝り固まった考えが頭の中でバラバラと崩れ落ちていくのを感じていた。
ヤスリがけの作業で感じた虚栄心
完成予想図では、外観は上部3分の2がシックな紺色、残りの3分の1が蛍光の黄色というポップなデザインになっていて、内部は木のデッキで床、壁、天井を全て覆う。
特に内装は素人レベルではできそうにない難しいデザインに見えたが、幸い別日にはプロダクトデザインの仕事をしている人たちが加わるそうで安心した。
1、2時間作業し、ほぼ取り外せる内装設備がなくなったので、今度はもう1台の外面のヤスリがけを手伝うことにした。
塗料の上に新しい塗料を塗ると、夏の日差しなどで後から塗った塗料が剥がれてしまうので、まずはバスを覆っている塗料を全て削り落としてしまう作業だ。
ただ紙ヤスリでガリガリ削っていては日が暮れてしまうので、電動ドライバーの先端にサンドペーパーを取り付け、振動を使って外装を削っていく。
「インパクトドライバー」と呼ばれるこの電動ドライバーは比較的安価で手に入り、誰でも簡単に扱えるので、工作好きやリノベーション好きの間ではよく知られている。
ただサンドペーパーを付けて使うと、意外にくせ者だった。
ただでさえ重みのある電動ドライバーが細かく震えるので、それをコントロールするのは簡単ではない。しっかりと握っていないと、振動のせいでサンドペーパーが外装の表面をただ上滑りするだけになってしまう。それではうまく塗装を削り落とせない。
だが横で作業する40代の男性は、平然とした顔で操っている。
その姿を見ると、自分も何の苦もなく操作しているように見せなければ、というよく分からない虚栄心が生まれ、ドライバーを懸命に握る僕の両腕に無理を強いた。
単調なモノづくりが五感に与えてくれるもの
モノづくりの何がこんなに僕を惹きつけるのだろうか、と考えることがよくある。
僕は昔から父親が手作りした山小屋で、薪割りや火起こしをはじめ、木材のカットや煙突掃除など様々な作業に慣れ親しんできた。最近では自分でツリーハウスを作ってみようと挑戦もした(結果は失敗だった)。
友人や恋人と一緒に遊びに行ったこともあったが、よく彼らから「山小屋に来ると別人みたいになるね」と言われた。僕には全く自覚はないけれど、彼らいわく「子供みたいになる」そうだ。
目の前のものに集中し、体を動かす。
目の前で起きる変化を確認し、次の作業に移る。
モノづくりは、こうした行為の連続だ。例えばのこぎりで木材を切るなら、最初に小さな切り込みを入れる。次に少しずつノコギリのストロークを大きくし、切断を始める。斜めに切れてしまっていないか途中で確認しながら、丁寧に切り続ける。
そこでは五感が研ぎ澄まされて、思考はどんどんシンプルになっていく。
作業に熱中している間は、あらゆる悩みや心配が思考の外に追いやられる。ノコギリを慎重に動かしている最中に、人間関係や家計のやりくりなどを考える余裕はない。
だから僕にとってこの単調な時間はとても大事で、心身に優しい影響を与えてくれる。
思えば大人になるに従って、そうした単調な時間を確保することが難しくなってしまった。大学を卒業し社会人になってからは、頭は常に情報過多。
新聞記者の時は、取材しながらも、見落としているネタはないか、そもそもこの取材は社会の役に立っているのか、休みを取れないから彼女がそろそろ怒り出すのではないかというような悩みや葛藤をいつも抱えていた。
ウェブメディアで編集の仕事をしている時も、記事のことだけでなく、クライアントとの打ち合わせやチームマネジメント、ウェブサイトの更新など、考えることだらけだった。
作業の終わりに思い出した親父の言葉
でも今、僕がこのガレージでやるべきことは1つしかない。外装を全てさっぱり削り落とすことだ。
サンドペーパーを取り付けた電動ドライバーをバスの外装に着地させる。ブンブンと震えるドライバーを押さえ込み、塗装を細かく削り飛ばしていく。すると少しずつ、塗装の下の白い素地の部分が見えてくる。
白が見えた。よし、じゃあその周りも。よし、ここも白くなってきた。
そんなことしか考えていない。こんなに単調な仕事なのに、予想以上の速さで時間が過ぎていった。
後日原稿を書くときのためにメモを取りながら作業しようと考えていたのだが、いざ体を動かし始めると、作業以外のことはどこか遠くに追いやられてしまっていた。
1時間くらいだろうか。狂ったようにバスを丸裸にする作業に打ち込んでいたが、さすがに腕に疲れが溜まってきた。電動ドライバーを支え続けた右腕は、筋肉が硬くなり、一回りほど大きく膨らんでいる。
「じゃあそろそろ終わりましょう」
遠くから作業の終わりを告げる声が聞こえてきたが、その声は僕の耳を右から左へ通り抜けただけだった。
もう少しだけ削ろう。そう思い、引き続き電動ドライバーを手に作業を続けていたが、ふと子供の頃の記憶が蘇った。
母が晩御飯の支度を終え、兄弟3人と父を待つ。工作が好きな父は、車庫で何やら作業を続けている。母が「ご飯できたよ」と声をかけると、「はーい」という返事が返ってくる。だが返事が返ってくるだけで、父は作業を続けている。そんなやり取りに、早くご飯を食べたい僕はいつもやきもきしていた。
今の僕は、あの時の親父と同じことをしている。自分が知らないうちに同じ行動をとっていたことに気づき、思わずくすっと笑ってしまった。
ガレージ内のオフィスでは、すでに作業を終えた人たちが所在なげにしている。彼らをやきもきさせてはいけないと思い、作業を切り上げた。
“おんぼろバス”の可能性
オフィスに戻ると、spodsの人たちが振る舞ってくれたおしるこをすすりながら、参加者みんなで雑談した。
このプロジェクトがうまくいくのかどうかは、ビジネスに疎い僕にはよく分からない。改造は始まったばかりだし、この先様々なつまずきがあるに違いない。
でもここに集まった人たちは、普通に暮らしていたら一生僕が交わることのなかった人たちだろう。そう考えると、完成にはまだ程遠いかもしれないが、このおんぼろバスは既に、新たな体験や出会いを生み出す場として機能し始めているのかもしれない。
次回は、ペンキで外装を塗り始める。
関連記事》spods、バスの改造DIYはじめます。もっと自由に動き、アイデアと創造を運びだすために。
photo: Hiroyuki Sumi, Eriko Kaji
text: Hiroyuki Sumi
edit: Neko Sasagawa
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