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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる

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韓国語で韓国語史学の論文を読んでいきます。そのための資料も集めていきます。
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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-10-

韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-10-

다만 현재로서는 후연이 「광개토왕릉비」 에서 전면에 등장하지 않고 있다는 것이 중론이다.
ただし現在のところ後燕が「広開土王陵碑」で前面に登場していないというのが大半の意見(衆論)である。

설령 등장한다고 하더라도,395년의 패려 정벌이 사실은후연을 공격한 것이었는데,패려를 공격한 것으로 바뀌어 등장한다고 보거나,고구려가 획득한 만여 벌의 개갑을 제작할 역량을 지

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広開土王碑文

広開土王碑文

【第一面】
 惟昔始祖鄒牟王之創基也。出自北夫餘、天帝之子母河伯女郎剖卵降出生子有。聖□□□□□□命駕巡車南下路由夫餘。奄利大水王臨津言曰、我是皇天之子母河伯女郎鄒牟王為。我連葭浮龜應聲即為。連葭浮龜然後造渡於沸流谷忽本西城山上而建都焉。永樂世位因遣黃龍來下迎王。王於忽本東岡黃龍負昇天顧命世子儒留王以道興治。大朱留王紹承基業□至十七世孫國岡上廣開土境平安好太王二九登祚號為。永樂太王恩澤洽于皇天威武

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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-9-

「광개토왕릉비」에서 획득한 성들의 이름을 세세히 기록한 것을 보아 396년 전투의 성과가 왕의 업적 중에서도 특별하게 여겨진 것 같다.
「広開土王陵碑」で獲得した城の名前を細かく記録した事を見れば396年の戦いの成果が王の業績の中でも特別であると思われる。

「광개토왕풍비」에서는 58성을 획득한 순서대로 기록하였는데,이 성들은 상당히 넓은 지역에 분포하였다고 한다.

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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-1-

韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-1-

고구려 광개 토활(391~412)의정복활동과 천하관
高句麗広開土王(391〜412)の征服活動と世界観

2019年2月提出の建国大学大学院염정호氏の修士請求論文を読んでいこうと思います。古代史と韓国語に興味のある方、いっしょに勉強しませんか。

著作権については以下の条件に従っており、問題ないと思います。

저작자표시-비영리-변경금지  2.0 대한민국
著作者表示 - 非営利 - 改変

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広開土王碑(韓国語読み下し)

広開土王碑(韓国語読み下し)

1면
惟昔始祖, 鄒牟王之創基也, 出自北夫餘, 天帝之子, 母河伯女郎, 剖卵降出, 生而有聖[德].

아, 옛날 시조 추모왕이 창업한 터이다. 북부여에서 나시어, 천제(天帝)의 아들이시고 어머니는 하백의 따님이시다. 알을 가르고 세상에 내려오시니 나면서부터 성스런 [덕]을 갖추셨도다.

[鄒牟王奉母]命 駕巡幸南下,路由夫餘奄利大水。王臨津言曰 我是皇天之子,母河伯女郎

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廣開土王(三國史記高句麗本紀)韓国語

廣開土王(三國史記高句麗本紀)韓国語

三國史記 第 十八卷(삼국사기 제 18권)

高句麗本紀 第 六(고구려본기 제 06)

075.廣開土王(광개토왕)

廣開土王(광개토왕) : 광개토왕은 <391-413, 재위기난22년>
諱談德(휘담덕) : 이름은 담덕이며
故國壤王之子(고국양왕지자) : 고국양왕의 아들이다.
生而雄偉

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廣開土王陵碑(韓国版ウィキペディア掲載)

廣開土王陵碑(韓国版ウィキペディア掲載)

韓国語で廣開土王関連の論文を読んでいるが、訳出のスピードが急に落ちてきた。その理由は韓国の山、海、城などの固有名詞の漢字表記が容易に見つからないためである。そこで韓国版ウィキペディアをあらかじめ読んでおくことが必要であることが分かった。以下は全文、韓国版ウィキペディアの引用である。何度もみたい資料として掲載することにした。

광개토왕릉비 복제품
광개토왕릉비(廣開土王陵碑)는 현재 중화인민공화

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広開土王関連資料三国史記阿莘王(아신왕) 韓国語

広開土王関連資料三国史記阿莘王(아신왕) 韓国語

三國史記 第 二十五卷(삼국사기 제 25권)

百濟本紀 第 三(백제본기 제 03)
101.阿莘王(아신왕)

제17대 아신왕<阿莘王 392~405 재위기간 13년>
阿莘王(아신왕) : 아신왕은
或云阿芳(혹운아방) : 혹은 아방이라고도 한다.
枕流王之元子(침류왕지원자) : 침류왕의 맏아

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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-2-

韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-2-

・訳文は韓国語の勉強を6年程度しかしていない者の試作的なものであり、間違いがあることを前提にして読んでください。間違いを指摘していただければありがたいと思います。漢字表記は旧漢字も新漢字も区別しないで用いています。

이를 토대로 고구려 내에서는 자국이 천하의 중심이라는‘天下觀’이 대두하였다.
これをもとに高句麗内では、自国が天下の中心であるとする「天下觀」が台頭した。

「廣開土王陵碑

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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-3-

韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-3-

・訳文は韓国語の勉強を6年程度しかしていない者の試作的なものであり、間違いがあることを前提にして読んでください。間違いを指摘していただければありがたいと思います。漢字表記は旧漢字も新漢字も区別しないで用いています。

이는 고구려와 동부여의 관계에 기인한다.
これは高句麗と東扶餘の関係に起因する。

점차 고구려는 동부여와의 경쟁에서 우위를 점하였는데, 고구려인들은 시조 주몽의 출자

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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-4-

韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-4-

・訳文は韓国語の勉強を6年程度しかしていない者の試作的なものであり、間違いがあることを前提にして読んでください。間違いを指摘していただければありがたいと思います。漢字表記は旧漢字も新漢字も区別しないで用いています。

5세기 고구려의 천하관에서는 고구려만이 천하의 중심이었다.
5世紀、高句麗の天下観では高句麗だけが天下の中心であった。

그러나 고구려는 396년 후연의 책봉을 받아들인

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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-5-

韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-5-

5세기 고구려 내에서는 자국을 天下의 중심에 두고 주변국을 인식한 ‘天下觀’이 등장했다.
5世紀高句麗内では、自国の天下の中心に置いて周辺国を認識した「天下觀」が登場した。

천하관 연구는 서영수가 고구려의 대외관계를 연구하는과정에서 간단하게 언급한 것이 시초였다.
天下觀研究は서영수が高句麗の対外関係を研究する過程で、簡単に言及したのが始まりであった。

천하관이 독자적 연

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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-6-

韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-6-

여호규는 고구려의 대외관계에 주목하였다.
여호규は高句麗の対外関係に注目した。

그는 영락 5년의 패려 정벌을천하관의 공간 범위가 설정된 것으로 보았다.
彼は永楽5年の稗麗征伐を天下観の空間範囲が設定されたものと考えた。

윤상열은 천하관을 구성하는사상적 배경의 하나로 고구려의 천손 의식에 주목했다.
윤상열は天下観を構成する思想的背景の一つとして高句麗の天孫意識に注目し

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韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-7-

韓国語で韓国史学の論文を読んでみる-7-

고구려가 이같이 인식하게 된 배경과 실제 역사적 상황을 염두에 두고 논지블 전개하겠다.
高句麗がこのように認識するようになった背景と実際の歴史的な状況を念頭に置いて論旨を展開する。

4장에서는 고구려 천하관의 공간적 범위에 대해 다루기로 하겠다.
第4章では、高句麗天下観の空間的範囲について扱うことにする。

특히 요동은 광개토왕 집권카에 비로소 고구려가 완전히 점유할

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