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私にとってはたらくとは:等価交換×アップデート

「仕事と私」を考える

1日8時間労働として、実に3分の1もはたらいていることになる。
こんなにも時間を費やしていられるのは、お金を得るためだけではない。

インプット・アウトプットを、自分の納得するレベルで等価交換する。
その繰り返しでアップデートされていく感覚が心地いい。
それが私にとっての「はたらく」意義だ。

その意義が醸成されるきっかけとなった場面を、振り返ってみる。

中学生、お弁当配達のボランティア

人生で初めて「仕事」を意識したのは、お弁当配達のボランティアだった。

夏休みに1日だけ体験した、町内のお年寄りへのお弁当配達。調理した訳でもなく、ただ決まった配達先へ持っていき、お金をもらってくるだけ。
それでも届けた先では皆が笑顔で迎えてくれ、「頑張ってるね」とお菓子をくれた人もいた。

自分がしたことで、喜んでくれる人がいる。感謝されることがある。賃金こそ発生していないが、これが「はたらく」ことかと、ぼんやり意識した。

高校生、単発バイトと生徒会

継続的なバイトは禁止だったが、長期休暇の単発バイトは申請すれば許可がもらえたので、2種類のバイトをした。

1つ目は、中学まで通っていた習字教室の先生から打診され、「課外授業」のお手伝い。私は主に小学生のお世話係。

お坊さんの講話を聴いた後、皆でお習字に取り組む。
字の書き方を教えてあげる訳ではなかったけれど、嬉々として書いたものを見せてきたり、学校の話をしてくれたりする子どもたちには、自分がずいぶん大人に見えていたのだろうか。

先生が「卒業生でも一番頼りになると思ったから声かけたんだよね」といってくれ、求められることの嬉しさを実感した。お小遣い欲しさに引き受けたのだけど、曲がりなりにも何かを教えたり世話をしたりするのが好きなのかもしれないと思った。

2つ目は、近所の神社で巫女さんのバイト。本来は「助勤巫女」というらしい。

大みそかからお正月まではお客さんが増えるので、高校生の受け入れがあった。同じ町に住む友人に誘われ、巫女さんの格好をしてみたい!という願望もあり応募した。

主にお守りやお札を売るのだが、売るとはいわず「授与」「お授けする」、「お買い上げありがとうございました」ではなく「ようこそお参りくださいました」という言葉遣いを教えられた。お金を頂くときは「お納めください」。

巫女の格好は特に足元がとても寒く、休憩時には皆でヒーターを囲み「寒すぎない?」「来年は絶対やらないよね」と言い合った。でも結局たのしくて、2年連続ではたらいた。2年目には自然な笑顔も出たし、防寒対策もばっちりだった。

2日以上お金をもらえた満足感、珍しい仕事ができた優越感、接客する楽しさなどを知った。

また学校では生徒会に入り、生徒会長を務めていた。

これは同期がなりたがらず仕方なく…という側面もあったのだけど、生徒が主体的に動ける校風の中、生徒総会を取り仕切ったり、行事ごとに挨拶文を考え読み上げたりすることが楽しかった。

適材適所にメンバーの役割を振ること、人前に立って喋ることにやりがいを感じた。

大学生、長期バイト

憧れだった「カフェバイト」は、人間関係に馴染めず半年でやめた。

今思えば私も未熟で生意気だったことを反省しているが、まかないで毎回200円取られていたので、よほど経営が厳しかったのかもしれない。いくらお金をもらえても、ガミガミ言われながらはたらくのは嫌だなと思った。

その後は先輩のツテで、配信番組の制作バイトをしていた。

このときに、直属の上司が外国人だったことで異文化コミュニケーションの難しさを知り、さらに上の日本人上司に相談するという「困ったらより偉い人に言う」技を覚えた。これは決して最善策ではないが、社会人になっても結構役に立った。

またリスナーからの手紙やメールに英語で返信したりする中で、国内外を問わず届けられるような影響力のある場ではたらくことの優越感と、語学が堪能になりきれないもどかしさを感じていた。

ドメスティック企業へ就職

専攻分野が限定的であり、永遠にこの分野では生きていけないだろうと思う中、東京に来た意味を思い出しながら就活をした。
地方で見られないテレビが見たい。ライブや舞台に行ってみたい。狭い人間関係を抜け出し、多くの人と繋がりたい。
エンタメ事業をやっている会社に就職した。

海外事業展開は一応あるが、ほとんどがドメスティックで、外国語を使う機会はほぼ無い。間違えたかなと思ったこともあったけれど、コミュニケーションに四苦八苦した外国語学部の経験が生きていると思うこともある。
言語を学びに進学したというより、コミュニケーションを求めていたのだと気づいた。

会社でさまざまな業務に就く中、特にやりがいを感じたのは「企画を形にすること」「広報PRのメディアリレーション」「SNSでの発信」「チームマネジメント」だった。

ターゲット層に刺さりそうな企画を考え、実行し、数字を上げる。
興味や「好き」をインプットし、企画という形でアウトプットすること。
好奇心を満たすことで、誰かの好奇心が満たされる瞬間の幸福。

リリースを書き、配信し、メディアへ「取り上げてほしい」とアプローチする。
自分が主体的に関わった内容ではなくても、本当に好きなものだ、いいものだという気持ちでコミュニケーションをする。「あなたが言うなら」と記事にしてもらったときの達成感と、認められたような嬉しさ。
あるいはSNSでオススメアイテムやお役立ち情報を発信し、好反応を得る。
「好き」を共有し合う。
好きなものを好きだと思ってもらえることの幸福。

リーダーとしてチームメンバーをまとめ、足りない部分を教え、自信を持てる仕事へ主体的に関われる体制を作る。
メンバーの成長がチームを強くするし、私もまた助けてもらえることになる。
チームを円滑に動かすため、一人一人の成長のため、役に立つことの幸福。

その幸福にはいつも「成長させてもらったな」「またひとつアップデートできたな」という達成感がついてきた。

約10年働いてみて、今

数年前からキャリアチェンジに興味が湧いていた。
細かな理由は多々あれど、明確なのは成長する・アップデートされる感覚がなくなってきたということだ。

初めての業務をやってみる。昇級する。チームのリーダーになる。
そうして小さく叶えてきた目標の「次」が見えなくなってきて、頭打ちを実感している。
自分が成長した、アップデートされたという感覚をずっと得続けていたい。
そのためには、自分が納得できるレベルで、インプット・アウトプットを等価交換できていないとダメなのだ
と、最近になって気づいた。

私にとってはたらくとは

好奇心を満たすために。
「好き」を共有するために。
役に立ってみせるために。

インプット・アウトプットを、自分の納得するレベルで等価交換する。
その繰り返しでアップデートされていく感覚が心地いい。
それが私にとっての「はたらく」意義だ。

直近、出向する権利を得ている。
行った先で精一杯学びながら、キャリアチェンジについて、等価交換×アップデートのルールに沿って考えていきたい。


note公式お題「私にとってはたらくとは」、キャリアスクール『SHElikes』内・ビジネスコミュニティの企画「お題:仕事とわたし」にあたり執筆しました。

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