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「ずっと」を使わない勇気

ずっと前から好きだっただとか、ずっと考えていたんだけどだとか、最近そういったことがなくなってきていることに気付きました。それは米津玄師さんの新曲である「Pale Blue」を初めて聴いたことがきっかけです。 この曲はリコカツというドラマの主題歌です。「ずっと、ずっと、ずっと……」という歌い出しの曲なのですが、冒頭のようなことを思いつくきっかけになりました。 最近私は熟成下書きというタグがやりたくて、記事をいくつかストックしては推敲しています。この溜めている感覚はこの言葉の

普段は文章を書かない身近な人の文章を読んでみて

いろんな角度から見ることを多面的に見ると言いますが、人間にとってもそれはしばしば適用されます。ひとりひとり良い面があり、悪い面もあり――もちろんそんな物差しでは割り切れないような面もたくさんあります。同じ人を見ていても、見る人によっては違うように見えてくることもあるのが不思議です。 そこにはそれぞれの価値観や物の見方、また経験などが反映されていることでしょう。今回は思いも掛けない場面で、私が身近な人の知らなかった面に気付いたきっかけになった出来事からの話です。 最近とある

はじめて誰かの美意識を心から美しいと思った日

人それぞれに美意識というものがあります。科学的にも証明されている黄金比というものや、人気不人気というものはありますが、何が好きだったとしても誰にも言わなければ誰にも否定されません。心の中だけなら完全なる自由です。 好きなものを好きでいていい――そのことで救われた時期が、私自身何度もありました。それはクラスで孤立していた学生時代の文芸部での時間だったり、病気療養中という理由で社会的なつながりをなくしてしまったときのSNSでの語らいの時間でもありました。 好きなものが同じで仲

そうだ、noteの記事を書いているのは普通の人間だった

今日の私のテーマは、ひとつの書き方がスタイルとして確立すればずっと書き続けなくては意味がないのか?ということです。パンケーキの記事で注目記事として選んで頂いてからずっと、私は誰かに喜んで頂けるような記事というものを目指して書いてきました。 けれどもその一方で、自分の書きたかった記事というのをなかなか書くことができなくなりました。それまでの好きなことを書いていたのがスピカらしさとするなら、それ以降は誰かを意識して書いている私が新しいスピカらしさに代わってしまったのです。 そ

私はおろしハンバーグを、やめる

それは唐突な実感でした。なんだろう、今までの私はおろしハンバーグのような斜に構えた記事を書いていたような気がすると思ったのです。いつからか過去の自分を癒すために書くようになっていたと気付きました。 果たして私はそういった方向性のものを書きたくて、このnoteをやっていたのだったかとしばらく考え込みました。 米津玄師、久々の降臨先日真夜中に菅田くんのラジオがやっていることをフォロワーさんの呟きで知りました。ゲストは私が大ファンである米津さんです。後日二人のトークをわくわくし

あのワンピースがずっと欲しかった

ずっとファッション誌で見ていて憧れだったジルスチュアートの可愛らしいワンピース。何度も何度もお店に見に行った装飾が細やかで美しい4℃のハートモチーフネックレス。サマンサタバサのリボンのついたバッグ。 かつて私にはそんな「可愛い系」のアイテムがひたすらに欲しかった時期がありました。雑誌で言うのならCancamの系統のものです。簡単に言えば清楚なお嬢様みたいな印象を受ける服です。乃木坂46や日向坂46の衣装のようなデザインと言ったらわかりやすいのではと思います。 そのため、い

ネガティブな記事を書きたいとき

ポジティブな内容を書いた記事が自分にとって一番投稿したいものとは限りません。あなたは「こんな記事を公開したら嫌われるかもしれない」という怖れに直面したことがありませんか。 私は同時進行でいくつも記事を書いているので、投稿するか決めるときは複数のうちから一つ選ぶことになります。その基準をどこに持って行ったらいいのかでいつも迷います。 今の気持ちを一番表した記事。知っていることを誰かに教える記事。自分でもうまく書けたと思う記事。誰かを励まそうとする記事。世の中に対して言いたい

好きなクリエイターさんを守る方法

最近「noteをやめることにしました」との記事をけっこう見かける気がしています。もちろん自分自身の多忙さ、他にやりたいことがあるなどnoteに関係のない理由の方もいます。その一方でnoteに理由があってやめたいと悩んでいた人も数多くいるようなのです。 そして実際にもうnoteをやめてしまった方がいて、心を痛めていたりもします。私は自分自身が始めたころのフォロワーさんをよく覚えているほうなのですが、その中でもう5人以上はいなくなってしまっています。 最後にもうひとつだけでも

中途半端な僕たちは

私は常に中途半端です。物事を極めるところまで続けることが出来ません。やりかけのところでやめてしまった趣味がけっこうあります。飽きっぽいのではと母には言われますが、自分ではそう思っていません。 世の中には器用貧乏という便利な言葉があります。私は全然器用でも何でもないので、この言葉に当てはまりません。できることも人並み以上にできるわけでもないです。それでも世の中には認めてくれる優しい方もいます。 そういう方たちは「スピカちゃんはいてくれるだけでいいんだよ」など、心の底から暖ま

あなたに100回スキを押したい

たまに100回くらいスキを押したくなる衝動に駆られることがあります。そういうときはどうしたらいいのでしょうか。その感動を伝えることが出来れば一番いいです。普段からnoteを書いている以上、そういう言語化自体は比較的得意のはず……なんですが、なかなか難しいことがあります。 今回はそんな感じで、私の実体験を元にこの大きな問題について考えていこうと思います。ちょっと変なノリの記事ですが、よろしくお願いします。 1、語彙力が機能しなくなる余すところなく感想を伝えるだけの技術が自分

パンケーキと私と帝国ホテルの美しい思い出

私にとってのパンケーキとは、トラウマです。一体あれから何年経ったでしょうか。そのとき私はパンケーキがとても食べたかったのは覚えています。おそらく本格的にブームだった5年くらい前だと思われます。あのころは原宿をはじめ、いろんなお店が有名になっていたりと楽しかったものです。 当時一番流行っていた原宿のエッグスンシングスに無理やり母を連れて来店し、全部食べきれずに怒られました。主にあの生クリーム。それ以降も全然懲りてはいなかったので、密かに東京に行くたびにいくつかのパンケーキ屋さ

笑っても話していてもどこか儚い

美人ってどんな気持ちでいるんだろうということを考えています。少し前にオリンピックで銀メダルに輝いた清水希容選手を見たからです。とても凛々しい雰囲気でかっこいいと思いました。 その一方でこういった強さを持ち合わせないとたくさんの方に囲まれたりしたときに、決然と断ることが出来ないのではないかと考えたりしました。 きっと、彼女と付き合いたいと思う男性はとても多いでしょう。その分近づいてくる方も多いのではないかと思いました。美人であっても誘いを断れないような方であれば、押し切られ

自分を語るということについて

物事を語るにおいて主観的、客観的という2つの側面があります。おそらくnoteには主観的な文章の方が多い傾向があり、私自身も普段から主観に重点を置いているタイプだと思います。 主観的な文章というとやはり基本的には「自分はこういう考え方をしていて、こういう人間だ」というアプローチから展開していきます。 その人本人の人となりが浮かび上がりますし、意見やそれをもつに至った展開などがなんとなく見えてきます。 よく考えてみれば、これは怖いことでもあります。 匿名とはいえ、自分自身

マウンティングの恩恵ってなんだろう

最近SNS上で仲良くしていたと思っていた人にどうやらマウンティングされたっぽくて、複雑な心境になっています。 私は話が合うと思っていたのですが、その人は私のことを実は下に見ていたっぽいのです。といっても私はあまりマウンティングとかしようと思わないので、合っているかどうかもわかりません。 ただ、「上から目線を感じる」「専門的な用語を使ってくる」「けど理論的に話が繋がっていない(知ったかぶり?)」ということを一個ずつ調べていったら、そういうことかなとなりました。 正直困惑し