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不完全であることは、強み
人は様々な感情を持つ生き物。
その多彩性があるからこそ、人生の彩りが一人一人異なる。
AIは人間の求めるものを「完璧に」行うことができるかもしれない。
むしろ、人間が求める以上に完璧なものを生み出すかもしれない。
だけれど、そこには生身の人間らしい複雑な感情や感性を織り交ぜることは難しい。
同じ人ですら、その色が刻一刻と変化していく。
それは、はかなくも美しい。
人は、不完全な生き物。
だから争いも起こすし、何事も失敗なく上手くいく人なんてそういないし、人の持つ負の感情が引き金となり暗い社会を作りだしている一面もある。
でも、不完全だから、私たちは手を取り合える。
より良くしようと、無から有を生み出す。
ひとりひとりは小さく弱くあっても、集まり協力し合うことでお互いを補完し、結果的に完全な世界を作り上げているのかもしれない。
神様が、だれか一人が世界を独り占めしないよう、その力を分散してくださったのかもしれない。
また、誰かが不完全な姿を見せてくれると、不完全な自分の心を開くことができる。
自分の不完全さを開示することで、誰かが助けてくれたり協力してくれたりという流れも起こる。
不完全で、足りないものがあるから、人は行動する。
人工知能が人間の能力を超える「シンギュラリティ」がもう数年後には叶うと言われている。
知能や情報量では叶わないかもしれない。
でもAIは、私たち人から不完全という「強み」
ー そう、敢えてそのように定義するのだけど、これを奪うことは、きっとできない。
そしてそれは、奪われてはいけないものなんだと思う。
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先月行ってきたTM NETWORKの40周年ライブYONMARUを観て得た着想でした。
下書きに入れっぱなしにしていたので、荒削りでも一旦外に出しました。
「入れるより出すほうが先」って、片付けでも、腸活でも、お金のマインドでも、みんな同じこと言われるので。
思考も、出してこそ、また新たなものを生み出せる(はず)。
お読みいただきありがとうございました。