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ウマ娘と日本社会

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2022年11月の記事一覧

第1話:ディープインパクトと「ウマ娘」

競馬ファンではなくとも、「ディープインパクト」という名前を一度は聞いたことがある、という人は多いことだろう。 一方で、「ウマ娘」というワードもアニメやゲーム、コミックは知らずとも日常生活で耳にしたことがある人はたくさんいるはずだ。 ディープインパクトは2005年から2006年にかけて日本の競馬界で活躍した「サラブレッド」(※ ウマ科のウマの中の一種)で、当時一大ブームを巻き起こした。 この馬の現役時代の異名は多々ある。 「無敗の三冠馬」、「英雄」、「飛ぶような走り」、

第2話:競馬ファンとゲーム文化

ところで、競馬ファンとゲーム文化のつながりは男性社会においては非常に密である。 それはゲームのプレイヤー名に時として現れる。 「オルフェ(おるふぇ)」、「ディープ」、「コントレイル」、「アーモンドアイ」、「シーザリオ」、「キズナ」など。 枚挙に暇がないほどだ(知ってる人と知らない人の格差が甚だしい、笑)。 これまで私はさまざまなスマートフォン(スマホ)ゲームに接してきたが、プレイヤー名に「名馬」の名前をつける人をいったいどれだけの数見てきただろうか。 対人ゲームとも

第3話:ダービースタリオンの時代

時を戻そう(お笑い芸人(ぺこぱ)のセリフをご拝借)。 これを(たまたま)読まれている方は『ダービースタリオン』(通称・ダビスタ)という言葉を知っているであろうか。 本ゲームは1990年代半ばに一世を風靡し、競馬シミュレーションゲームの草分け的な存在となったものである。 1991年にゲーム会社アスキーから発売されたダビスタはゲーム機の普及と競馬界の盛況の中、成長した。 私の周りでも「ダビスタ」をやっている人がたくさんいた。 既に中学生(小学生)の中に競馬ファンがいた。

第4話:競馬マンガの歴史

日本の競馬マンガの始まりは日本近代マンガの始まりでもあった。 我が国で日本近代漫画の祖と呼ばれる北沢楽天(1876-1955)が競馬の諷刺画を時事新報社(1899年に福沢諭吉が創設)で執筆し始めたのは1900年ごろだった。 1902年から時事新報にマンガ欄が登場し、後に時事新報のマンガ欄は日曜付録の『時事漫画』へと発展した。 そして1905年に日本初のカラーマンガ雑誌『東京パック』が創刊された。 全ページカラーといった画期的なデザインで社会を風刺した内容は非常に人気を

第5話:「みどりのマキバオー」

平成に入ると続々と競馬マンガが出現し、少年誌を彩り豊かなものにした。 その背景には競馬の世界でのブームがあった。 時代の象徴となったスターホース「オグリキャップ」、その好敵手であったタマモクロス、スーパークリーク、イナリワンなど地方からの「芦毛の怪物」の登場は同じ芦毛の稲妻タマモクロス(史上初の天皇賞春秋連覇)と共に「芦毛伝説」のスタートを促した。この伝説はメジロマックイーンの活躍によって絶頂期を迎える(ビワハヤヒデの登場まで)。 (やっとウマ娘ファンの方なら聞いたこと

第6話:「ウマ娘 シンデレラグレイ」

本書のタイトルに「ウマ娘」とつけておきながら、コミックの話題から入るのは一体どうなんだろうか(笑)。 (注:書籍化する予定なので、本書となっております。自費か商業か不明) しかし、これには深い意図がある(のです)。 「ウマ娘」というコンテンツはメディアミックス(クロスメディア)と呼ばれる一大ムーブメントであり、プロジェクトなのだ。 これには(誕生した時から)明確にアニメやゲーム、マンガ、CD、ライブ、企業とのコラボ、海外展開等といった強い野心があった(後述)。 また

第7話:可愛いを作る、育てる

ゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」とは何か。 ウィキペディアで調べたから分かる。 やっているから分かる。 あれでしょ? 今流行っている女の子が走るゲームでしょ? これを私のような哲学者は一言で説明しなくてはならない。 そう。 「ウマ娘」とは可愛いを作る、育てる ゲームである。 競馬ファンとウマ娘ファンの違いは何かと 分析する以前に考えてみて欲しい。 もし走ってるキャラクターが「おっさん」だった場合、 とてもこのゲームがヒットしていたとは思えない。