第3話:ダービースタリオンの時代
時を戻そう(お笑い芸人(ぺこぱ)のセリフをご拝借)。
これを(たまたま)読まれている方は『ダービースタリオン』(通称・ダビスタ)という言葉を知っているであろうか。
本ゲームは1990年代半ばに一世を風靡し、競馬シミュレーションゲームの草分け的な存在となったものである。
1991年にゲーム会社アスキーから発売されたダビスタはゲーム機の普及と競馬界の盛況の中、成長した。
私の周りでも「ダビスタ」をやっている人がたくさんいた。
既に中学生(小学生)の中に競馬ファンがいた。
彼らは昼休みにスポーツ新聞で競馬予想をしていた(笑)
無論、馬券を買うことが出来ない中での話ではあるが、親が代わりに買ってくれるという(笑)。
私はあまり競馬に興味がなかったので、紙に書かれた「◎〇▲△×」の意味も全く分からなかった。
カタカナが並んでいる。
それが馬なのかな?(笑)
結局、私はそのグループには入らずに外でサッカーをする側に回った。
言うまでもなく、当時はJリーグが生まれたばかりでサッカーブームであった。
昼休みと言えばサッカーが定番だった。
部活動に「eスポーツ」のない時代である。
この頃における「身体競技」(現在、「スポーツ」概念の拡張が進行中である)としてのスポーツは少年漫画誌の人気にも比例していた。
その典型が「スラムダンク」であった。
バスケットボールも同時期に絶大的な人気を誇った。
『少年ジャンプ』(集英社)、『少年マガジン』(講談社)、『少年サンデー』(小学館)、『少年チャンピオン』(秋田書店)・・・。
なかでも、『少年ジャンプ』が「ドラゴンボール」の勢いにより飛躍的に人気を博していた。
小学生のとき、私はマンガ部に所属していたのでよく分かる(マンガ部のみ学校に雑誌やコミックを持ち込むことが許された。だから入部した、笑)。
ちなみに私は「幽遊白書」、「ファイナルファンタジー5」の作品を描き、後者は文化祭(だったかな?)の催しで体育館に飾られた。
中学生に入ると学年で2人しかいないコンピュータ部に入った。
それは1994年4月のことであった。
まだウィンドウズやマックという言葉が知られていない時代。
学校でゲームを楽しめるという理由だけで、入部した(友人たちからのサッカー部の勧誘を退けて、ごめんなさい)。
そもそも小学生の頃から私はゲーム好きで学校の音楽会に「ドラゴンクエスト」の序曲(作曲・すぎやまこういち)を推薦して、それが見事に認められたくらい風変わりな少年であった。
という訳で、たいへんゲームにハマっていた次第であるが、それはスーパーファミコン全盛期の時代においても同じだった。
こうして話は振り出し(「ダビスタ」)に戻る。
ゲーム『ダービースタリオン』とは一体どのようなゲームであったか。
それは自分で競走馬を育成し、配合していくというゲームであった。
(ここでは、実在する競走馬がたくさん登場する。)
なるほど!
このゲームを通して現実の競馬にもハマった友達がいたということか。
何となく「世の摂理」を理解した。
1994年、偶然にも競馬界では史上5頭目となる「三冠馬」が誕生した。
「ナリタブライアン」である。
「皐月賞3馬身、日本ダービー5馬身、菊花賞7馬身」
当時の私は知らなかった名前とフレーズである(笑)。
また同時に馬顔で細見であった友人の立花くんのあだ名が「ナリタバナリアン」となったのも、その頃だった。
(後に私はナリタブライアンをディープインパクトの後に知ることになる。)
だが、彼のあだ名と昼休みのギャンブル(真似事)は未だに鮮明な記憶として残っている。
追記)
部活動に入る目的が酷い!笑
(2022.11.18)