【イスラエル文学】短編集『首相が撃たれた日に』収録のSFで酷暑のヒヤリ体験
イスラエル人のウズィ・ヴァイル著の『首相が撃たれた日に』という短編集を読んでいる。
昨年の惨劇の記憶がまだ生々しく刻まれている日本人の胸の中にもザラっとした印象を残すタイトルではないだろうか。
イスラエル大使館のリリースによれば、表題作の初版は1991年。1995年にラビン元イスラエル首相が銃撃された後、この小説が「事件を予見していたのではないか」と話題になったという。30年以上の時を経て、ヘブライ語から日本語に訳された本が河出書房新社から出版された。
『首相が撃たれた日に』は、主人公を巡る静かな閉塞感と、どこからか耳に入ってくる主人公の日常とは断絶したニュースの対比が光る一作だった。
続く『なあ、行かないでくれ』という短編では、1組の夫婦の歩みとこれからに胸を揺さぶられた。
が『もう一つのラブストーリー』で「この短編集の振り幅、何!?」と目を白黒させて口をパクパクした。
同作はSF短編で、物語の舞台は人々の戦争の記憶が薄れてきた2048年。
為政者の人気取りの一環で、ナチスの指導者であるヒトラーのアンドロイドが製造されたが、ウィットに富んだ言動で大衆の人気を集めてしまう。その様子を見て慌てた為政者。カウンター策として製造されたのが、ナチスのホロコーストの被害者であるアンネ・フランクのアンドロイドだ。
ところが、またもや製造の意図に反して、アンドロイド版のヒトラーとアンネの掛け合いが大衆に大ウケして、2体は大人気コンビになってしまう。
ここでは割愛するが、アンドロイドたちが発する言葉と周囲の反応がブラックすぎて「この表現、い、いいの!?」と身震いしてしまう。日本国籍の私は笑ってもいいのだろうか……などと、罪悪感を覚えながらもプッと吹きだし腹筋が震える。
細い糸で吊られた吊り橋を渡りながら、うっかり笑って吊り橋を揺らしてしまうようなスリリングさを味わえる小説である。
もしこれをドイツ人が書いていたら。インターネットの浸透した現代に書かれていたら。若手で実績のない小説家だったら。
などと想像すると、世の反応が恐ろしくもなるし「イスラエル国内でここまで書け“た”んだ!」という新鮮な驚きさえあった。
日本では珍しい、ヘブライ語から訳されたイスラエル文学を楽しむ機会として、『首相が撃たれた日に』の読書体験は、とても新鮮なものだった。
うだるような熱い夏の日の1冊に、ヒヤヒヤのスリルを味わうのもいいかもしれない。