会社を休職することにした話
俳優。兼、広告代理店営業になって、1年半が経った。
もうそんなに経ったかと驚く。
写真のオフィスも既に引っ越し、今は別の場所で勤務している。(だから載せた。)
会社員になろうと決断したのは、俳優とアルバイトの収入では足りず、毎月のカード払いが真綿となり首回りを締め付けかけてきた時のこと。
幸いにも借金などはせず(カード払いは半ば借金か)、だが一寸先が崖、という生活に耐えられなくなったため、就職を検討した。
『専門学校卒でバイト暮らしの27歳を受け入れてくれる会社などないのではないか…。』
そう思っていた頃に、偶然にも俳優の先輩がグループLINEで求人の連絡をしていたのが目に留まった。
先輩といえば、しっかり者で理論的に物事を考え、人を先導する発言ができ、厳しい発言の裏には優しさが見える、インテリジェンスかつ愉快な人だ。
先輩の言葉は、蜘蛛の糸のようにキラキラして見えた。
人生の舵を切るには勇気がいる。
「俳優とアルバイト生活だったけど、どっちも頑張ってきたんや!」と自負のあった私は全能感に駆られていた。
先輩の言う仕事は業種すら分からなかったが、とりあえず連絡をして、面接を受け、まずはアルバイトからという条件で、トントン拍子に入社が決まった。
どうやらキャスティングをしているらしい、どうやらSNSマーケティングをしているらしい。
先輩の猛烈な早口に目眩(のような眠気)を覚え、落ちそうになりながら説明を聞き、はじめの出勤は終えた。
貸与されたmacのPCは幸いにも使い慣れた操作感であったが、資料を作成したり、メールを打つことはからっきし不慣れで、数字があっち行きこっち行き飛び散り、ページごとの配置は見事にガタガタしたものだった。
眼精疲労によって目もパサパサしていたが、よく分からないことをするのは楽しい。接客をメインにしてきた自分には、その全てが新鮮だった。
先輩は営業としてお客様を抱えて、俳優もしているため、会社内にはいないことが多い。
入社時期の近いほぼ同期が2名いたため、分からないことは散々聞いた。同期とはいえ社会人としては大先輩である。(こちらはプライドはない。しかしできないことは悔しい。)
別の先輩がもう1人いたが、はじめは怖かった。
誤解を避けるために書くが、先輩は決して怖い人ではない。
スットコドッコイな質問を繰り返しては、オーダーとは違うものを上げてくる私に、『う〜む、話したことと違うなぁ、いやしかしこの子は初心者…怒っているわけではないのだが、どう伝えるか…』という複雑な顔をするのであった。
なお、日常会話は弾まなかった。
皆様ご存知だろうか。
広告代理店というのは、どうやら体育会系らしい。
そして営業職というのは、基本マッチョらしい。
のほほ〜んとした気性の私は、急に水鉄砲を食らったハムスターのようにびっくりしながら働いた。
入社して間もない頃、振られたオーダーに対して、数日間連続で24時を過ぎて働いたため、先輩に『眠すぎワロタ。ちょいと半日ばかりゆっくりさせてちょ(意訳)』と連絡をしたところ『アホか、おまはん俳優をやっとるんやろ。いざとなったらお休みを入れるやないか。入社早々何を言うてはるんや。応援される努力をせんかぇ。(意訳)』と言われ、ポロポロ涙を流した。
そうや!ワイは俳優や!!
そこからすこぶる一生懸命働いた!!!
交流会に参加しては名刺をばら撒いてみたり、突撃電話を掛けてみてはシッシと切られてみたり、メールでタンタカタンと連絡してみたり。
ここで何も得られなければ諦めはついたが、どれも少しずつ成果を得られた。やはり努力は裏切らない。
並行して俳優活動も続けた。
稽古時間前に終わらせられるように対応を急いで、終わらなかったものは夜間に働いたり、稽古の休憩に打ち返したりなどして、なんとかやり繰りした。
舞台には3本出られた(もっと出たい!)。その他の仕事も、ペースを落としてだが受けた。
モチベーションで糧だった。
幸いにも、1年を掛けて少しばかりのお客さんがついた。
トラブルを重ねて生き残った精鋭客たち。
こちらのおっちょこちょいにも付き合っていただいた。
はじめは怖かった先輩が、細かいところまで見てくれたお陰で多種多様なピンチを脱出し、仲間として認識されたのか会話が弾むようになった。
その先輩も拠点を移してフルリモート。直接会うことがなくなった。寂しい。
とにかく先輩に同期に、お世話になりまくった。
そして、赤子だった私もがつかまり立ちくらいはできるようになり、新規のお客様への提案も少しずつできるようになっていた。
その矢先。新規のお客様からの年間施策の受注が決まった。
喜びの裏には、金額の割にとんでもないボリュームの業務量が見え隠れして、怖かった。
初めて、受注したことが素直に喜べなかった。
案の定、工数負荷が大きすぎた。
先方からの厳しい(だが妥当である)ご要望と、それに伴う深夜残業。
これまで大切にしてきたお客様への提案も控え、語彙力を失うほど、やばい!!
もうくたくただ!!!
入社してから何度もこの忙しさの波は来た。
人数の多い会社ではないため、基本的に1社に対して1人でつく。
つまり提案書を認め、契約書を巻いて、案件を進行し、クローズまで1人だ。
案件が重なれば忙しくなる。
逆に、暇になれば精神的にストレスがかかる。(特に詰められはしないが、営業として手が空いている状況は辛い。)
休日も稼働したり、平日は3時,4時までPCを開いていることが度々あったが、それでも耐えられたのは単発施策だったからで、終わりが見えないこの案件に、途方もない絶望を感じた。
誰かに助けを求めようと思ったが、受注まで決めてしまった以上やらなくては、と思った。
同期に愚痴を言う時間もない、先輩は前向きな言葉を掛けてくれる。
相談しようと思ったが、なんとか進行する方向で対応を続けた。
それが良くなかった。
頭痛にはじまり、胃が痛み、食欲が極端に増減するようになり、最終的には震えが止まらなくなった。
眠ったと思えば夢の中でチャットを返している。タスクが終わりきらない恐怖感に常に駆られるようになった。
汗だくになり、ガバっと半ば叫ぶように起きることも少なくなくなった。
まだ頑張れる、この工程が終われば、概ね軌道にのるはず………
自分を鼓舞しながら頑張ってきた。
会社内や取引先には明るく振る舞い、完全に隠し通した。
しかし私生活ではボロが出る。
おかしくなる前に受診しろ、という周囲の勧めで病院を予約し、正式に診断書が出され、休職を取るしかなくなった。
半ば強制的に職場から引き剥がされたような気持ちだが、戦略的撤退とも言える。
このまま働いていたら、病院の定期検診にすら通えなくなったかもしれない。
幸いにも2週間に1回の通院はできそうだし、家の外に出ないとおかしくなっちまうよ!というメンタルは保っている。家で飼ってるうさぎは可愛い。
突然降ってきた冬休みだ。ここまで働いた分、ロングバケーションと洒落込もうじゃないか。
文字面でこれまた誤解を招きそうだが、のほほんとサボっているわけにもいかない。
復職すればまた仕事がはじまるわけだし、まだそこに対応しうる体調ではない。
体調ではないというか、半ば現職がトラウマなのではなかろうか?分からない。
だから細かいことは一旦置いておいて、気兼ねなく休もうと思う。
風呂に入り、飯を食い、たまに人に話を聞いてもらう。それでよい。
距離を取って冷静に考えられるようになってから、今後のことは考えようと思う。
しかし間違いなく、1年半働いてよかった。
未経験で何もできないところから、それなりに企業に太刀打ちできるようになり、まめにやり取りするクライアントもできた。
そして受注したときの脳内は、あらゆるギャンブルにおける高揚感に匹敵すると思う。(カジノには行ったことがない。)
休職は突然だったが、連休中で社内の引き継ぎと、各クライアントへの連絡を行った。
まさに燃え尽きる前の命を燃やした感覚。
クライアントからは、復職を待ってくださる声や、案件の感謝のお言葉、ランチへのお誘いなどが来た。
休職期間に突入したため返信はできないが、どれもありがたかった。
ビジネス上のやり取りであることは分かっているが、それでも嬉しかった。
社内の人はみんな好きだ。
同じ部署のメンバーは皆キャラクターが素敵だったし、仕事ぶりは尊敬できる。
決済までの判断も早いし、意見も言いやすく風通しがよい。
他部署でも、席が近くて仲良くしてくれる兄さん姉さんがいる。
なにより事情を説明すればフレキシブルに勤務させてもらえた。
だから、私の心の中では相談できなかった自分を責める。
しかし外部から見ると働かせすぎた会社が悪い、ということになるのだろう。
責任の所在など、今は問うだけ無駄だ。
とにかく休むんだ、俺は休むんだ。
空が白み始めている。
休職期間も生活サイクルだけは守るべし、という医師の言葉が浮かんでくる。
まじ、それな。
この時間を利用して、1年を通して増えた体重を戻すことに使おうか。
座りすぎた。前傾姿勢すぎた。
バネなら形状が変わってる。
いろんな意味で逞しくなった。
とにかくなんでもやってみるもんだ。
カード払いは消えた。雀がまだ泣いてすらいないほどの貯金ができた。
採用してくれた会社にも、入社させてくれて育ててくれた先輩にも、感謝は十二分だ。
目の前の崖は坂くらいになったから、とりあえず重力や摩擦を受けながらころころ転がろう。
そしてどうせまた立ち上がる。
転がるだけなんて楽しくないんだから。
『本件の進捗は、その都度ご報告いたします。』
散々見たその文字通り、またご報告いたします。
(報告されない場合もあります。)
以上、引き続きよろしくお願いいたします。
小池