自由ばっかりが、アートじゃない?
実は最近、幼稚園〜小学生くらいの子ども向けのアート教室で時々講師をさせていただいています。
とある日のエピソードです。
小学校低学年の女の子が私に尋ねました。「先生はどうしてアートが好きなの?」
「うーん、自由だから、かな。」これは深く考えずとも口から出た私の本心でした。
「でも、自由ばっかりじゃないでしょ。」
どういうこと?と聞いてみるとその子は続けます。
「だって、間違えたりしちゃうこともあるでしょ。」
その後すぐに、別の子が話しかけてきたので、その会話はそこで終わってしまったのですが、わたしは日が経った今でもその短い会話を心の中で反芻しています。
アートにおける「間違える」ってなんだろう?
そして、その子が造形をする中で「間違えた」と思うタイミングはどんなときだったのだろう。
例えば、こういうアウトプットにしたいという明確なイメージが自分の頭の中にあって、けれど手を動かしたらその通りにいかなかったという時に、「間違えた〜」と思うかもしれません。
それは、自分自身との戦いです。自分との戦いは、過度に思い詰めすぎなければ、よい刺激だと思います。
あるいは、間違えたと言うとき、親なのか先生なのか友達なのか、「だれかの存在」が頭の片隅にあるのでしょうか。
1+1=3と書いたら算数の世界では間違いと言わなければいけないのかもしれません。正解のある学問は、人と人のコミュニケーションをつなぐ土台になるから、それはそれで大切です。
けれど時にはすべてを忘れて自由になれる休息所があってほしい。それがアートであったら良いなと、今もわたしは思います。
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