がんばり始めた日のことを
何かをがんばる、というのは、
“自分は凡人かもしれない”
そうやってぎくりとしたとき。そこからが本番なのだ。
絵を描くことが好きで、美大に入り、いろいろな課題をこなしてきた。
先日も、デッサンの授業を受けた。
先生からアドバイスを受けた。
何度も、何度も、同じようなことを言われる。
そうこうしているうちに、なぜか涙が出てきて、たまらなかった。
(誰にも気付かれないほど静かに眼から垂れ流し、マスクに吸い込まれていった。)
今までには無かった感覚だ。
言われれば、「確かにな」と思えるし、直せる。けれど、言われたから直せるだけ。自分では気付けない。先生が言うことは、今の自分が発想できる領域を飛び抜けていた。
けど先生のアドバイスの通りに手直しをすると、明らかにそっちの絵の方が良いのだ。自分にとっても。
その実感が鉛のような重さをもって、背中にもたれかかってきた。
人から「絵が上手い」と言われる部類にいるという自覚がある。得意なことはと聞かれたら、絵くらいしか言えることはない。
でも美大という場所には、先生をはじめとして、生徒でもたまに、びっくりするぐらい魅力的な画づくりを人がいる。正直見るたびにボディーブローを喰らうような気分だ。
私はいけるのか?そこに。
エベレストを前にする登山家もこんな気分なのかな。
頂上は麓からじゃ見えない。
何枚も何枚も描くということじゃない。楽しくて”できる”ことをひたすらやり続けるということじゃない。登れるか分からない山を登り始めるということ。それが自分にとっての「がんばる」ということ。
ブルーピリオドという、美大を舞台にした漫画がある。
東京藝大の猫屋敷教授という人物が、こんな台詞を言っていた。
「私のすべてをギブしないと誰も私の作品見てくれないもん」
「むかつくなー、持ってるもの全部使って戦わない人間は」
最難関美大の教授かつ、十分有名な芸術家である人物がこういう自己犠牲的な言葉を吐くという描写は、この世界の無粋さ、皮肉さ、泥臭さを巧みに表現している。
超えられない壁なら突き破るという精神。
本物を追い求めたものが見る地獄の先の楽園。
やってやろうじゃないか、と
私はやっと がんばり始めた。