開炉の日はいつだろう


炉開き


開炉(かいろ)。
別名を炉開きとも言い、茶道人にとって重要な行事です。
この日のために畳替えをしたり、竹などの消耗品は全て刷新するなどして、これも別名を茶人の正月などと言ったりします。

炉を開くとともに、その年の新茶を開封する口切りも行われます。なんと言ってもお茶が主人公ですから、すべてはここのために行うのかもしれません。フランスではボジョレーヌーボーならぬ、抹茶ヌーボーですよと繰り返してきました。

意外と伝わるものです。

さて、その開炉ですが、一般的には11月1日と思っている方がほとんどです。

まあ、その方が覚えやすいですし便利でもあるので、個人的にはアリだと思うのですが、クドク言うと正式には11月最初の亥の日と言われます。亥とは、十二支の猪の事です。

陰陽五行の世界では炉は火を扱うので陽のものですが、猪は水を司ると言われるので陰とされます。

炉の火が強くなれば火災を連想させますから、そうならないように猪の力を借りるて水で抑える、と言うのが陰と陽の関係になります。

さて問題はその、亥の日です。

毎年変わってくるわけです。

今年の11月最初の亥の日は11月7日。
多くのお茶の先生は今年、この日に炉開きをするはずです。

ところがこれは江戸時代では将軍家や大名家が行う事とされました。彼らは宇治から運んできた茶壺を持っています。

お茶をくださるので登城してほしいと促す老中奉書


まず江戸城で口切りが行われ、その茶を頂くために江戸駐在の大名が招かれます。御三家が呼ばれ、親藩が呼ばれ、国持ち大名が呼ばれます。当家にその時の招待状である老中奉書が残りますが、これを見るとグルーピングで呼ばれていることがわかります。書かれている順は石高。招かれた津山藩二代藩主森長継公は18万石なので熊本、福岡に次ぐ三客でした。
徳川家の日記である徳川実紀では午前中には広島の浅野家などが呼ばれていたこともわかります。この日は国持ち大名のグループだったようです。


この、上様からのお茶をいただいてから、大名家でも茶の口切りが行われます。
場合によっては神社仏閣への寄進や家臣への下げ渡しもあるでしょう。

これらを用いて、一般が行ったのは2番目の亥の日、つまり12日後の11月19日が一般人にとっての炉開きとなったそうです。

これにはもう一つの事情もあります。

畳屋さんです。

江戸城や大名屋敷が畳を新しくするのもこの季節。
大広間がいくつもある屋敷ですから、その枚数はとんでもない数です。どんなことがあっても11月最初の亥の日に納めないと大変なことになります。

なので、それから12日後。
これがひと段落したところで、庶民の畳替えというわけです。

こんな話を全てひっくり返すことを書きますが、
江戸時代よりさらに前、
茶道を大成させた利休居士はと言うと、そう言ったことには捉われなかったと言います。ただ、柚子の色が変わる頃合いを見て炉に切り替えたと。

11月最初の亥の日と言っても、これに拘ったのは江戸時代の話。当時は旧暦(太陰暦)ですから、それで行くと今年の旧暦最初の亥の日は12月1日!

ここ数日の陽気を感じていると、なるほど確かにこの数日が
柚子が色付く時期のような気がしてきました。

だからと言って、12月1日に炉開きです、と言ってる先生は流石に居られないと思いますが....


ちなみに最後の写真は江戸城で大名たちがお茶をいただく様子。これは実際にはお正月に老中たちが江戸城でいただく大福茶の図なのですが、きっとこんな感じだったのでは無いでしょうか。国持ち大名クラスですと多くは従四位以上ですから、装束もおそらく直垂。炉の向こうに座る方々がこの装束です。
炉の手前の方々は烏帽子大紋で、忠臣蔵の浅野内匠頭を連想させる姿ですから、従五位と言う一般大名の装束です。

上座と下座ですね。

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記載の文章や内容には他論、多説ある場合があります。 また記載する内容を保証するものではありません。 師事されている先生がある場合は、必ずその先生のご指導を仰いでください。
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