<責任>の生成─中動態と当事者研究
<責任>の生成─中動態と当事者研究 國分功一郎・熊谷晋一郎 を読んだ。
読み終わったのが結構昔なので、メモを眺めながら思い出してます。以下、本の内容をなんとなく自分なりにまとめていたものなので、これがそのまんま書かれていたとは限らないです。頼むよ〜
本の内容まとめメモ
・責任(レスポンシビリティ)は応答(レスポンス)と結びついている。自分なりの仕方で応答する。
・障害というものはわたしの皮膚の内側にあるものではなく、皮膚の外側にあるものなんだという認識の変化
・一般に、自分達は答えを知らないのだ、という無知の知をもってみんなで行うのが研究だとするならば、行き詰まりの現実の中で無知を自覚せざるを得なかった人々の中から生まれてきたのが当事者研究
・犯人探しではなく、メカニズムを探る態度
・出来事を属人化せずに語り、メカニズムを探るための特殊な時間と場所
→外在化と仲間の力 「抵抗の飛び地」
自然現象のように捉えると=免責すると「現象」のメカニズムは解析
→自分のしたことの責任を引き受けられるように
・患者をモノローグからダイアローグの場に引っ張り出す方法
「自由意志というものは存在しない」
・免責されて、罪を引き受けようとする責任感が生まれる
・自分がやってしまったことに対して自分が応答する<<責任>>
・行動における意志を問題に
→神と同じ無から生まれた過去や周囲の影響を消す切断の効果
・「責任を問うべき」ケースで、意志の概念によって主体に行為が帰属させらている
・選択→「この行為はあなたのものですね」→責任の発生
・恋に落ちる 欲する 惚れる →「私」が場所になっている
・意志を持って能動的に自分の人生をコントロールしていくというこれまでのライフスタイルから降りることが回復への入り口
・アフォーダンス 非接触的に相手の行為に影響を与える力を持っている:
コップがそこにあるだけで私たちは飲む、持つ、いろいろなことを想起する 受け取っている
・自分の外側だけではなく内臓からもアフォーダンスを受ける
・内臓も身体も非自己 皮膚の内側が自己というわけではない
・「コナトゥス」「恒常性維持」
・意志することは忘れようとすることである 考えまいとする切断の意志
・覚悟は連続性のなかに身を置く
・意志で行動を私物化←所有者に行為の責任を負わせる
・他人の意思を尊重してそれ以上遡ることもそれ以外のことも考えない←だめです
・意志とは皮膚の内外からやってくる数多の情報を無理やりまとめたもので、大量のアフォーダンスは矛盾する
・それは本当なのか、他者というものはそんなにすごいものなのか
・他者がいないと自己が認識できない
・自分に見えていないものの存在を信じられるためには他者が必要
=想像力 を生成のために他者が必要
・チャリに乗るとき、チャリを使う
→しかしチャリを使うために自分も変化している
→道具を使うとき、道具にも使われている
→では自分の肉体は?
・アガンベン「自己とは自己の使用以外のなにものでもない」
・つまり、身体を「支配」して「使用」するのではなく、身体を使うために身体に合わせて変化する必要があるークレースタイ
・「魂」の指示を待たずに身体が動く メモをとる、風呂で身体を洗う
・意志の有無を確認して人に負わせる責任は応答ではない
・過去を前にして応答しようとするとき責任が自分という場所に生成される
感想(というか考え事)
・直そうとしていないのに眼球についた傷が治って塞がった 自分の身体さえままならない
・他人に頭使えとか手使えとか言うとき、他人の意識、魂に話しかけている
・責任が自分を場所にして生成、自己が肉体を場所として発生、なので自己は肉体に即したものであって、しかし自己は肉体に縛られているものでもない
・自分は他人と代替可能であると考えるー意識のレンジが同じ他者 がたくさんいると言うこと?
・私の他者発見は森鴎外の「舞姫」で、主人公が朝と夜とで考えていることが全然違って……みたいなところ
・責任を感じるとき、罪悪感とセットな気がする
・責任が発生した場所に自分がなるとき、自分がそう思ったとき、その自覚があるとき、罪の意識と責任を感じる
・場所は配置や関係などを生み出すもので、責任や罪とかも他者があって初めて生まれる
・他者との間に配置や関係がある、他者の中に自分が存在するには身体が必要?とも思ったが、他者の中で存在すると言うのは今やネット上、仮想、空想上でも可能
・自分が自分であるという認識のために肉体が場所になっている 肉体を場所にしている?自己の現在地?
・自己の現在地としての肉体 肉体の配置によって初めて他者の中に自己(肉体)が存在しているといえる?
→私はこう考えているから、自己について、自分の肉体しかわからない?
・身体を使うために、自己の意識やらも身体に合わせている?
だから自己はもう肉体を使うように変化していて肉体と切り離せない?
・肉体を使うために、肉体を場所として生成された自己になっている
→ここで肉体と精神で支配や主客は存在していない
・一旦、自分勝手に動いている、意志と思っていた部分を現象、アフォーダンスと考えて捉えつつ過ごしてみるか〜