かぐま
はじめてなの
考えごとです
読書感想文です
自己満足の調べ物たち
なんか思い出して幸せだったこととかすきだったこととか書き出して、まるで幸せである錯覚に陥りたかったのに、もっとあったはずなのに なんか なんもあーあって感じで思い出せなくて、なんかさみしいけどちゃんとうれしい それってなんか自然で 思い出が不自然に残らず 思い出で終わった感じがして でも確かにあったんですよ うそとか思い込みとかじゃなくて 本当なんです ただめっきり思い出せなくて、何も書けなかったんです
漁港で、引き上げられた魚たちと漁船と、魚を狙うわけでもなく近くでくつろぐ猫、船から点々と続く小魚の死骸を遠巻きに眺める。 見かねた漁師の方に声をかけてもらい、漁のための浮いてる枠に乗せてもらって、ふわふわと自分の体重移動や琵琶湖の波で動く感じに、酔いそうになる。 2人乗ると、それはもう大きくぐわぐわ揺れて傾いて、少し恐ろしくなるが、面白いが勝つ。こんなにも文化や技術が発展し、ぬくぬく生きることができるのに、こういう場所では木の板一枚に 全ての体重を預けることもできる。 船同
超超BAD、大泣き、人生のどん底気分深夜3時、明日も仕事なのに震えるほど泣いて、トイレ行ってついでに鏡見たら今まで1ミリもなかった涙袋が外来種のナメクジぐらいのデカさになってて、よく聞くあの系統は泣き腫らしの顔から嫌な腫れだけを引いた感じの、なんかそういう化粧なんだろうかと思う。 次の日の会社、つまり今日、パンパンの顔で出勤。泣いちゃうモードがあり、そのモードがオンになっていると職場のデスクでもぐずれる(大迷惑)。 全然私と違う人が、私と違う認識で、私と違う言葉で何かを伝
哀れなるものたち(映画) そのあと色々観たけどずっと面白かった哀れなるものたちってすごくいい映画だったんだなと思った マーサと皮肉屋のあたりが好き みどりいせき 太田ステファニー歓人(小説) おもろい。著者のインタビューで、主人公がバカならバカっぽい文章、表現、文体に……みたいなのを見てから読んだので、なかなか良い。確かにちょっとバカな人がパキパキに独白したりするわけがないもんな。おもろい。すごいいい。 阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)魯迅 竹内好訳(小説) これ
<責任>の生成─中動態と当事者研究 國分功一郎・熊谷晋一郎 を読んだ。 読み終わったのが結構昔なので、メモを眺めながら思い出してます。以下、本の内容をなんとなく自分なりにまとめていたものなので、これがそのまんま書かれていたとは限らないです。頼むよ〜 本の内容まとめメモ ・責任(レスポンシビリティ)は応答(レスポンス)と結びついている。自分なりの仕方で応答する。 ・障害というものはわたしの皮膚の内側にあるものではなく、皮膚の外側にあるものなんだという認識の変化 ・一般に、
今これを書いている時間はAM3時、しかも他人の部屋の他人のベッドの他人の隣である 暑苦しく目が覚めたと思ってエアコンを効かせたが意味もなく、諦めてこうしてスマホで文字をぽちぽち打っている こういう生活が始まったのはもう数週間前で、社員寮に住んでいるのもあり多くの友人と同じアパートなわけである 毎日のように誰かとご飯を食べて酒を飲み、そのまま他人の部屋で眠る生活である そのおかげで私の部屋は眠れない壊滅した部屋となっているのだが なんとなくこの生活が一生、少なくとも社員寮
大江健三郎の『死者の奢り・飼育』を読んだ。作品集で、タイトルの作品の他に『他人の足』、『人間の羊』、『不意の啞』、『戦いの今日』がある。私は特に『他人の足』、『飼育』、『不意の啞』がお気に入り。なかなか良い読書体験ができた。 まず、私は大江健三郎に対してどう思っているかというと、初めて読んだのは『人生の習慣』で作風については全く知らず。人類讃歌で光属性の作家なんじゃないかという印象。平和主義。反戦。良い人。そういう感じ。 そういう感じだったので、序盤からの重苦しい感じ、か
崔実の『pray human』を読んだ。 ネタバレしてます 女たちの物語だった。 閉鎖病棟にてたまたま集まった、精神的に参ってしまった人たち、そこを離れてもなお残るあれそれ。主人公が、「君」にこんなことがあったのだ、と話すように物語は進んでいく。 この小説は、常に話し続けている。語られる話を聞くように読む。この小説では、「話す」「聞く」「沈黙」はとても重要なのだ。 冒頭に引用したのは主人公の言葉だが、主人公は最終的には物書きになっている。どうして物を書いたかと言うと、幼少
気づいたらこんなにも1人で暮らしていたらしい。しかし数字にするとまだまだ小さい。これを10倍してやっと1年になるのか。労働を始めてから、1日の濃度がぐんと上がった気がする。 一人暮らしもだいぶ慣れてきたが、まだまだ野菜を食べない。皆どうやってんの。やっぱり新聞とかとって、なんかしらの半強制的に与えられた紙のレシピが必要な気がしてきた。 食べる野菜、地元で採れたほうれん草とレタスとキャベツときゅうりだけ。今のところ。 一人暮らしで、地産地消のありがたみを実感した。安いうまい
美術手帖 4月号 vol.75、「ブラック・アート」とは何か? を読んだよ。 何かを考えて、ひとまずこれで、という回答を出すことすらまだ難しく、でも言語化して感想文は書いたほうがいいと思ったので読書感想文として書くよ 普通に良いなと思える絵を描く画家と出会えて、また今まで気にも留めていなかった“キュレーター”“美術史”なんかにも真面目に考える必要があるなと思った。私って何も知らないらしいわ。つらいねえ まず、良いなと思ったのはシスター・ゲイツと「アフロ民藝」。 そも、
高橋繁行『土葬の村』を読んだ。 タイトルは土葬だが、広く葬式について触れている。火葬はもちろん野焼きや風葬、遺棄葬これからの葬式について、これまでの葬い方を振り返ることで思うところが出てくる。 私の身近な土葬は、母の実家である。 半世紀前には母の曽祖父が土葬になったらしい。それより以前もずっと土葬を行っていた。 高速道路を通すために墓が移動になった際、掘り起こして骨かもしれないもの(かもしれない、なのでもちろん骨ではない石なども含まれる)は捨てずに移動された墓地の横に保管さ
なんだかんだで毎日を生きることができている。これまでは家の中でさえ他人の目を気にして動いていたことが、たった1人なので自分で思い立った時に全てやってしまう。 猫の写真を見たり、友人の声を聞くと少しの寂しさが湧いてくるが、これは故郷を離れたからではなく、単純に1人で暮らすなかで人と話していないからだと思う。 一人暮らしで寂しくない人は多分、酒の場とかで知らない人と仲良く喋れるタイプではなかろうか。他人と話すのが好きというか、外を向くのが好きというか……そういう人なら、寂しい夜
段ボールを解体し、物の配置をいじると結構まともな部屋になってきた。 仕事が始まる前に乗り込んで正解だと思う。 日に日に足りない部分を補うことで、生活が洗練されていくのを感じる。仕事と共に生活を始めていたらおそらくくたばっていたことだろう。 今日はこれまでの疲れからか、特大昼寝をかました。せっかくいい天気だったのに。 しかし、ここで実感する。生活は連続している。連続しているから生活として成り立っているのだと…… あまりにも当然のことで何を改まって、と思われるかもしれな
朝早くから社員寮へと向かう。ニトリで頼んだあれこれが時間指定ができなかったため、朝早くに届く可能性があるからだ。 乗る電車は大きな水と大きな山の間を走り抜けて行くのだが、雨のおかげかあちらこちらでモヤが発生し、空間全てが雲に覆われている気分になる。 不安や期待に気づかないふりをして、田舎の駅へと向かった。 一人暮らしが始まる。 母の過干渉や父の無関心を潜り抜けて、社員寮へとこじつけた。社員寮があるのは至って普通の田舎だ。あるのは田園と動植物、あとは開けた空間がある。 朝早
調べ物まとめシリーズです 私は日頃からなんだこれ?と思ったものをちまちま調べてノートに手書きでまとめるのが好きなのですが、 これを他人に話すと「面白いねえ」と言ってもらえたので もっと他人と共有してより話やら何やらを面白がるべきだなと思いました のでこういう他人に見えるところにちまちま書いておこうという気持ち テレビを見ていると 「7代先まで呪ってやる」 とあった。 なんで7? と思って少し調べてみると、 ・「猫を殺せば7代祟る」(日本・諺) ・インドネシア人もよく言
2月って何やったっけ~と思ってタイムツリーやらスケジュール帳を見ると、卒業研究に苦しんでいた。 そうそう、卒業研究の締め切りが私のところはすごく遅くて、昨年のうちに終わっている人々を羨ましく見ていたんだった。 卒業研究は最初のほうすげ~いややったけど、結局やってよかったな~と思った。 正直卒研について、すごく偏見なのだがすごい優秀な人以外は先輩のやった研究の残り滓みたいなやり残しを拾い上げるみたいな印象があって。 兄は卒論が提出できずに留年を繰り返していたし、とにかく卒研に