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掃除の効用

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僕は、掃除が結構好きである。

なぜなら、掃除をしている間は何も考えず、それに集中できるからである。嫌なこともちょっとした考え事も、その間は頭の隅に置いておける。

掃除には、ささやかな達成感がある。
それには、綺麗になったという実感がある。

一方、僕の家族は滅多に掃除をしない。

タンスの洋服は泥棒が入った後のような状態で、散らかし放題である。

掃除には「汚れている」という気づきが必要である。

ここが最初の難関である。

僕の家族は、この「汚れている」という感覚の閾値が高すぎるのかもしれない。

そもそも「汚れている」とは、何なのか。

人によって「汚れている」の感覚は違う。

僕の場合、床に落ちた髪の毛が目立つようになると、掃除機をかけたくなる。一方で、埃が端っこの方で溜まっているのは、年に2度程度の大掃除のタイミングで始末する。

これが僕の閾値である。

「汚れている」と気づくには、元の快適な状態(=汚れていない)を想像することが必要である。その状態との差異に意識的になることが、気づきである。

一方、極端な例を出すが、巷のゴミ屋敷を想像するとする。

よくテレビで見かけるゴミ屋敷の住人は、おそらく我が家をゴミ屋敷と思っていない。なぜなら、それが住人にとっての「当たり前」になっているだろうからである。

「本当は片付けたいと思っている」というパターンもよく聞くが、そのはたから見た汚れた状態が快適である住人もいるはずなので、僕は掃除をしろと自分の価値観を押し付けたいわけではない。

だが、世の中の構造上、「気づく」「行動に移す」ことができる人は、何となく有利になっている気がするのである。

トイレ掃除をする人は、金運が上がるとかよく言うが、不快に感じやすい場所であるトイレが汚れていると気づき、掃除するという行動に移せる人は、その他のことにも容易に気づいて、実行してしまう性格の持ち主なのではないだろうかと思う。

そのように考えると、僕が気づきと実行に移せる人間なのかという疑問は横に置いといて、掃除の効用というものは多大な影響があると思うのであった。

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