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VCM(Vintage Collection Mall)に初めて行って、会場5周して、感じたこと

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 2024年10月19-20日の2日間に渡り、「日本最大級のヴィンテージの祭典」と銘打った VCM(Vintage Collection Mall)vol.5 が開催された。

その開催場所はパシフィコ横浜の展示ホールで、アイドルなんかがゲネプロでよく使う大きな会場である。興味本位で出展者数を数えてみると、154ブース展示されているようだった。

そんな大きな会場で開催されるだけあって、来場者数は約1万人以上と言われており、入場前に長蛇の待機列が出来た模様が instagram のストーリーズでアップされていた。

 今回で5回目の開催となる VCM だが、よくよく調べてみると、VCM はプラットフォーム名のようで、今回の催しは 「VCM VINTAGE MARKET」 が正式らしい。

以下、VCM ホームページより参照する。


年月を重ね、時代と海を超えて愛されてきた"ヴィンテージ"に特化した、ヴィンテージ総合プラットフォーム『VCM (Vintage Collection Mall)』。 大量生産・大量廃棄のこの時代に、ヴィンテージを“究極のサスティナブル”と捉え、価値あるヴィンテージアイテムを“ネクストラグジュアリー”として後世に残していくことをコンセプトに、ショップとヴィンテージラバーを繋ぐ場の提供や情報発信を行う。 日本最大級のヴィンテージの祭典『VCM VINTAGE MARKET』を主催。 (以下、省略)


したがって、本イベントは VCM VINTAGE MARKET 略して、VVM が正しい気がするのだが、皆こぞって「VCM!VCM!」と呼んでいるので、僕もこれ以降 VCM と呼ぶことにする。

 会場に到着すると、当日券と前売券の受付があり、僕は事前に前売券を購入していたので、そちらの受付に並んだ。ちなみに前売券で購入すると、当日券より200円安いことに加え、本来の開始時刻よりも30分前に入場ができる仕様だった。

これにはおそらく、前売券でどれくらいの集客が見込めるかを把握するのと、入場時の混雑緩和やトラブル防止などの意味合いがあるのかと推測する。言わずもがなだが、人間の欲望はけたたましいのである。

また、受付を済ませると、リストバンドを巻いてもらえるので、当日ならば再入場可能という形式だった。

 会場の中に入ると、まず不快だったのだが、古着特有の酸っぱい匂いが充満していたことだった。これだけ古着が集合していたら、やむを得ないのかもしれないが、あの独特の鋭い匂いが頭を突き刺してくる。僕はまず入口の時点で「うわぁ...」とたじろいでしまった。

僕は人間観察が比較的好きなので、来場者をざっくりと観察してみた。男同士のグループに加え、カップル、夫婦、親子、ファミリー、女性2人組、男女単独など幅広い形態の方々が来ているようだった。また、年代も20代〜30代の比較的若い層と40代〜50代のミドル層が中心だった印象である。

また、古着といえば男性のイメージがどうしても表出してしまうが、レディース古着も取り扱っている出展者が多かったので、女性の方も多かった印象である。そんな女性の動向を視界の端で凝視していると、ジュエリーのブースで足を止める人が多かった。(Soysauceman 女性がジュエリー好きということを今更発見しました!)

 忘れてはならないのが、ヴィンテージ古着の祭典ということもあり、来場者の服装についてである。これだけ古着好きな人々が一堂に会すことも滅多にないことなので、一張羅を拵えて参加している人がほとんどだった。

ここからは、あくまで個人的な感想なので悪しからずだが、僕は一種の気持ち悪さを覚えた気がしている。それは、己がどれだけ世間的に価値あるアイテムを着ているかというマウント合戦のように見えてしまったからである。これには、これだけ古着好きが集合するという構造的な点で仕方のないことだと思う反面、まるで我が子をお披露目する場所を求めている欲望のようなものが渦巻いている感じが少なからずあったように思う。ここに自分も内包されていることに対して「痛さ」のようなものを感じ取ってしまったのである。

少し客観的に見てみると、スペシャルなアイテムを手に入れられるという期待感と、実際に手にした時の喜びや興奮、そしてそれをお披露目したいという露出癖と承認欲求が絡み合うことが「この場」での価値に繋がっているように感じた。

ただし、つくづく思うのは、いくら古着という外側が良かったとしても、己自身の中身が伴っていないと全て台無しになるということを自身に対しても肝に銘じておかねばならない。

 話を変えて、会場全体の様子から考えてみたい。まず、僕の第一印象として、物量があまりに多すぎなのではないかということがある。例えて言うならば、商品の質が良い、ぎゅうぎゅう詰めのリサイクルショップみたいな雰囲気になっていた。あるいは、ヴィンテージ古着というカテゴリーの中で、あらゆる商品が雑貨化していたとも言えるかもしれない。

また、全ての出展者が展示ホールという一つの大きな空間に押し込められており、各ブースごとの仕切りは洋服と看板のみになってしまっていた。

果たして、これは何を意味するのだろうか。

各ブースごとの区切りがないということは、洋服や店の雰囲気が外に露出しているということである。それらが外に露出しているということは、ブースが会場と同質化していることに等しい。ブースが会場と同質化すると、客の目線は移ろいやすく、目のやり場に集中できないという問題がある。

つまり、僕のような何か欲しいアイテムがない客にとっては、お店との距離や商品との引っ掛かりが希釈されてしまう。ここがまず気になった点である。

逆に、普段お店を構えられている方や Pop-Up で場所を借りて古着を販売することは、客がドアを開けて、店の中という空間テリトリーに入り、買い物を終え、外に出るという行為に非常に意味があると言える。

また、全て丸見えでは、中を見ようという気が起こりにくい。逆説的ではあるが、隠れている部分があるから、そこを見たいと思うのが人間の心理ではないだろうかと思うのである。

こうなってくると、よほど全国的に名の知れた有名店か、メディアに露出がある Youtuber が構造的に有利である。実際に、混んでいるブースと空いているブースの差は歴然としていたように見えた。

つまり、差別化要因と言えるものがヴィンテージ古着の質ではなく、どちらかといえば、すでに客側から認知されているかに依拠してくるのではないだろうか。そんなことは、僕みたいな素人客が言わなくても重々承知の上で出展している方々がほとんどだと思うが、何か業界の強者が総取りしてしまう構造が見え透いてしまって気の毒に感じたのである。

もう一つ感じたことは、154ブースも出展しているせいか、各ブースのスペースが十分に広くなく、来場者数も多いため、全くゆっくりできる感じではなかったことだ。会場全体がどこかせかせかしている感が否めなかった。

これもあくまで個人の感想になるが、表面上は盛り上がっているように見えるが、本当にこれで良いのだろうかと思っている人も少なくないような気がした。全国津々浦々の有名店を一カ所に集めるメリットや功績、経済効果もある反面、何か大切なものを失っているような気がしたのも事実である。

 お店の設定価格についても、各ブースを眺めながら確認したが、数万円がざらで、中には数十万円のヴィンテージアイテムもごろごろ売られていた。

歩いていると、後ろの来場者の話し声が聞こえてきた。
「俺、今日の予算5万円なんだよね〜。」

僕は正直「5万円か...」と思った。この「5万円か...」には、色々な思いがある。

まず、5万円はかなり大きな額であることを言っておかなければならない。手取り20万円の月収だとしても、25%に値する。それにも関わらず、5万円で買えるものは1点か2点と推測される。別々のお店で買ったとしても、2店舗からがせいぜいだろう。であれば、別にここで買い物をする理由もないのかもしれない。

このように考えると、ヴィンテージ古着というジャンルは、いつの間にか、ある程度富裕層をターゲットにした市場に変貌したのかもしれない。ヴィンテージ古着は嗜好性が高いものであるため、これからも形を変えることはあるにせよ、なくなることはないだろう。ただし、この価格高騰の背景に嫌気がさして、脱落していく者が増えていく可能性も否めないのかもしれない。

 最後に、僕が関心のある「価値」とは何なのかを考え、本記事を締めくくることにしたい。ここまで書いてきたことから分かるように、僕は巷のヴィンテージ古着に対して、あまり興味がなくなってきている。それは、ヴィンテージ古着の魅力が減ったわけではなく、僕自身の感性が変わってきたからである。要は、僕の性格上ミーハーにはなりたくないのである。皆が注目している物に自分も注目することが憚られるのである。

少し別の視点で考えると、自分にとって分かりやすい物に興味がなくなっている気がしている。それは、何かにカテゴライズされた物とも言い変えられるかもしれない。

例えば、A-2 デッキジャケットというミリタリーがあるとして、初めの頃は「着てみたいな、カッコいいな」という気持ちがあったことを覚えているが、今はそういう感情は薄まっている。つまり、僕がそのような分かりやすいミリタリーとしての単純な価値を見出していたフェーズから、別のフェーズに移ったのではないかと仮説している。

僕は、価値には「分かりやすいもの」と「分かりにくいもの」があると認識している。ここで言う「分かりやすいもの」は前述の内容であって、「分かりにくいもの」には「何だこれ?」という疑問の感情が湧くようなものが一つあると思っている。

「分かりにくいもの」というのは、「見たことがない」に起因しているかもしれないし、「見たことはあるが、何か様子が違う」物かもしれないし、「そもそも何なのかさえ分からない」物かもしれない。先の例で言えば、カテゴライズされた A-2 デッキジャケットという枠組みに何か別の情緒的価値が乗っかっていると心が揺さぶられる。

この情緒的価値というのは、どこで見つかったかという歴史やストーリー、ペンキ飛びなどの痕跡など分かりやすいものから、自分が想像していなかったものを店主から提供されるなどの想定外もある。

しかし、それが分かるためには、それ相応の勉強なり教養が必要になってくるし、そして、何よりもその「分かりにくいもの」に出会わせくれる人に会うことが肝だと身に沁みて感じているところである。

おそらく、この説明では「分かりやすいもの」と「分かりにくいもの」の違いが伝わらないと思うが、それもそのはず、僕もその過渡期の中でもがいているところだからである。

その一方で、VCM 以外のイベントにも訪れたのだが、贔屓目であることは間違いないが、その「分かりにくいもの」の価値の輪郭に触れた感覚が VCM との差異として現れた実感がある。

最後に、終始 VCM の悪い点ばかりにフォーカスしてしまったが、あくまで個人の感想ということで好き勝手言ってしまったことをお許し願いたい。あるいは、いち消費者からの問題提起として捉えてもらえれば幸いに感じる。

個人的には vol.6 があったとしても大阪からわざわざ行くことはないだろうが、これからの古着業界がより良い形になることを切に願っている。

FIN.

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SOYSAUCEMAN
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