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職探し構想① 中高生に道徳を教える塾「bienséance」

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果たして、僕は何を次の職に選ぶのか。

こういう漠然とした課題がある中で、ふと以前から教師をやってみたいなと思っていたことに気づいた。

どうも僕は、理想の授業とはどういうものかについて語ってしまう節がある。

その一方で、教師という職業は毎日決まった時間幅で通ったり、土日も部活動の監督で拘束されたり、職場の人間関係でいざこざに巻き込まれたりと少し考えただけでも嫌なことが一杯ありそうである。

こういう理由から、端から僕の中に「教師」という選択肢はなかった。

だが、最近フランチャイズ展に行って、塾経営という文字が半ば強制的に脳内に注入され、既存の塾経営には全く興味がないのだが、その代わり「道徳や哲学を教える塾」というのはどうだろうかと思いついた。

でも、どうして道徳や哲学なのか。

まず、第一にこれだけインターネットが普及した現代において、単純暗記の学習スタイルが時代にマッチしていないと僕は考えている。日本では小・中学校と義務教育で通うことができるが、その後は誰として高校→大学に進学することに疑問を抱かず、会社に就職するという一本道を歩んでいる。そして、どの教育機関でも唯一の正解を導くだけの教育スタイルを踏襲するため、社会に出てから融通が効かず、結果困ることが多くなっているのではないかと仮説する。

第二については、少しエピソードを挟む。最近、知り合いづてでラーメン屋の店長をやってみないか?という話が舞い込んできたので、社長と面会したのだが、「最近の若者は時間も守れないし、無断で急に辞めてしまう」という話を聞いた。おそらく、若者に限った話ではないと思うのだが、どうも己の倫理観が世間の倫理観とズレてきてしまった人が増えているのではないかと僕は思った。そういう仮説から、色々な人と考えながら、自身の倫理観を見つめ直す機会を提供することは、社会にとっても価値のあることなのではないかと思ったというのがある。

第三に、道徳や哲学は決まった答えがないことはないだろうが、どちらかというと、その答えを導く過程に焦点を強く置くので、皆で様々な答えや道筋を深く考えられる点が良いと考えている。また、題材についても、身近な疑問でも良いし、本からテーマを拝借すれば、国英数理社などのように特別な知識がなくても、ファシリテーターさえいれば何とかなるのではないかという目論見がある。

ざっくり、この3点が道徳や哲学を主題にした理由なのだが、次にどうして塾なのかについて整理してみる。

まず、僕は大学生の頃に塾講師のアルバイトをしていた経験がある。そして、何気に教務リーダーを任されていたこともあり、やりたいことと形態は異なるが、何となく塾運営のイメージがつく。

次に、塾だと学生が学校に行っている昼間は開くことができない。言い換えると、授業は夕方から夜にかけて行われる。そうなると、僕は夕方まで好きなことをすることができる。朝ごはんもゆっくり食べられるし、散歩もできるし、読書もできる。昼食後は眠くなったら、昼寝もできる。そして、夕方に備えられる。これなら、続けられるのではないか。

塾長のとある1日(仮)

また、塾だと小さな物件を借りることさえできれば、初期費用も少なく始められそうだと思った。もしくは、小さな物件でなくても、街の小会議室を借りて実験的に始めてみるというところからでも良いかもしれない。必要な備品も大きなホワイトボードと椅子と本くらいあればできそうである。

話は少し脱線して、僕は古着を売りたいとも考えている。この古着は、ヴィンテージではなく、誰も見向きもしないレギュラー古着である。そして、販売したい相手は中高生である。

僕は中高生の頃、親の懐事情が強烈に険しくなり、お小遣いをほとんどもらえなかった。そのため、洋服なんて滅多に買えなかったし、お洒落なんて程遠い存在だった。そして、洋服をどこで買えば良いのかというお店との接点がそもそもなかった。そういう理由から、塾に古着を置けば、中高生がお洒落に目覚めるきっかけになるのではないかと思ったのだ。販売価格帯は2〜3000円が基本で、高くても5000円まで。仕入れは、国内仕入れにすれば、赤字にはならないのではないかと予想している。これは、あくまで慈善事業として、やりたいことである。

また、書籍の無料貸出サービスもやりたいと思っている。最近「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という本が流行ったが、中高生はもっと本を読まない。僕は、たまたま中学生の時に「エラゴン 遺志を継ぐ者」という小説にどハマりし、そこから本というものが身近な存在になったのだが、そういう接点は意図的に作ってあげないとなかなか生まれにくくなっていると思う。そういう理由から、中高生向けの本 Curated by Soysauceman を塾の中に作り、いわゆる図書館の機能の一面も果たしたい。

話は再び脱線して、塾生とともに畑も運営したいと密かに思っている。我々はいつのまにか裕福になりすぎて、自分たちが食べる食材がどのような経路でスーパーに並んでいるのか全く想像しない。そういう状況に抵抗する形で、みんなで育てた野菜を収穫し、食す経験はかけがえのないものになる可能性を秘めているのではないかと漠然と思っている。また、畑にいる生き物に触れる機会の創出にも一役を買いそうである。

僕がそもそも塾をやりたいと思うのは、幼少期の記憶にある「斎藤先生のそろばん塾」が元になっているのかもしれない。そろばん塾には、小学校〜高校生まで様々な年齢の学生が一堂に会し、普段交わることがない学校の生徒と話すことも新鮮で面白かった記憶がある。斎藤先生は The 大阪のおばちゃんだったので、ファミリー感がすごいある教室だったのだが、自分もそういう学生にとっての「居場所」を作れればいいなと純粋に思うところがある。

あとは、どうせやるならば、人々の記憶に残るような長く続く場所にしたいというのがある。人は基本的に物事を忘れるようにできているが、駅、公園、ビルなど何でも建物や景色を通して、ひょんなきっかけで思い出す何かがある。その記憶というものは、その流れた月日が長ければ、ともに過ごした思い出が深ければ、ノスタルジックなものになる。そういう郷愁を提供できる場所とするならば、長く続かなければならない。

ちなみに、塾の名前は「bienséance」。
新渡戸稲造の「武士道」を読んでいて出てきた言葉で、フランス語で「礼儀作法、立ち振る舞い」を意味する言葉である。

ここまで色々と書いてきたが、実現するにあたり最大の課題は、実績が口コミのみによることである。通常の塾であれば「◯◯高校、◯◯大学に合格しました!」という定量的な実績を頼りに、塾に通わせる親御さんが多いと思うが、僕のやろうとしている形態的に生徒さんが面白いと思わなければすぐに辞めてしまうだろうと予想される。ここがハードルが高そうである。

まずは、需要があるのか不明だが、インスタグラムでも開設してみようかと逡巡している。

FIN.

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