
好きなものや才能がないんじゃなくて、やってないだけ。
どうやって表現していこう、
と考えた時に、
坂口恭平さんのことが思い浮かびました。
「好きなものがない。」
「私に才能がない。」
は、
坂口恭平語では、
「手を動かしてない。」だけ、
だそうです。
(坂口恭平『よみぐすり』より)
坂口さんは、
執筆、美術、音楽、建築、など様々な創作活動をされていて、
ご自身の携帯番号を公開して、
「死にたい」と思っている方達の相談にのる、
「いのっちの電話」もされています。
坂口さんは、ご自身が双極症であることを公表されているのですが、
私も気分障害と診断されたことがあり、気分の波があります。
私の場合は、HSS型HSPや、アダルトチルドレンの特徴にも重なって、
どちらもスペクトラムのどこかにいると思うのですが、
家族に、「双極症」と診断はついていないものの、
傍から見ていて、明らかに鬱状態と軽躁状態がある人が2人いたので、
家族歴もあるし、私は双極性障害なのでは?と思って受診したのです。
結果、双極症とまでは言えないという判断で、
気分障害の診断だったのですが、
坂口さんのご著書『躁鬱大学』は、共感するところやなるほどと思うところがたくさんありました。
さて、
自己表現に昇華させるといえば坂口さん、
ということで、
坂口さんの『自分の薬をつくる』を読みたいなと思ったのですが、
近くの図書館ですぐ借りられたのが、
『いのっちの手紙』(斎藤環、坂口恭平共著)と、
『よみぐすり』(坂口恭平著)でした。
坂口さんは、
電話をかけてくる人に、
今までの人生で、
何をやってる時が一番マシだったか、
を聞くそうです。
で、それをやってみようよと。
何が好きなのか?
何が得意なのか?
子どもの時ずっとやっていたかったことは何だったのか?
ということを聞いていくそうです。
坂口さんご自身は、
毎日、
原稿を10枚は書き、
パステル画を一枚描き、
畑仕事をしているそうです。
『いのっちの手紙』を読んでいたら、
つくること、創造することこそ生きることなんだな、
と感銘を受けたのですが、
途中から、
坂口さんのあまりの天才ぶりに、
本当に自分にも当てはまるんだろうか...?
という疑問も出てきてしまいました笑。
ただ、
坂口さんがおっしゃる、
みんな自分に過剰に期待しすぎ、
練習量が全然足りないよ、
っていうのもごもっともなので、
練習を続けて行きたいなと思っています。
『よみぐすり』の方は、
坂口さんのTwitterから抜粋された言葉が集められた本なのですが、
名言だらけです。
短いのでとても刺さります。
以下、坂口恭平さん『よみぐすり』より抜粋
一回やっただけで落ち込みすぎだから、一〇〇回やって落ち込むと最初から決めとくといいけど。
三〇回やったあたりで、落ち込むという概念なくなるぜ^_^
休まず少しずつ継続すると一〇〇%上達するという当たり前の投資なら誰でもやれる。
私には才能がない。これができないあれができないという人は、そもそもこれもあれもやってない^_^
できるようになる唯一の簡単な方法は、
それを毎日やることだよ^_^
無能であることに気づいてない人は、毎日自分が無能だと嘆くが、無能であることに気づいている人は、毎日同じことを繰り返し練習して、少しでもできるようにする。嘆きとは、自らを有能だと勘違いしているために発生する残念な結果との落差なので、嘆けば嘆くほど結果は辛いものになる。
と自分に言い聞かせてる。
「いのっちの電話」で人の話を聞きながらまず思うのは、みんな身の程を知らないということだ。自分に過剰に期待してる。きっと試したことがないんだろう。試したらわかる。自分の無能さが。
そうすると、落ち込むもなにも、毎日練習するしかないじゃんという気づきたくない真実に触れることになる。それが嫌なんだろね。
「人生うまくいかないです」という人の、うまくいかせたいことの練習量聞くと、落ち込む時間に注ぎすぎて、全然練習できてないこと多すぎて、おれもなんと言ったらいいかわからなくなるけど、ここは一つ厳しく、「練習が足らん」と言うことにしてます^_^
みんな落ち込むことに時間注ぎすぎ^_^
生活こそすべて。なにを毎日してるかだけですもんな、人生は。なにを成し遂げたなんかどうでもよくて、毎日なにしてるかだけ。
毎日どんなメニューかだけ。
だからそれをとことん楽しむなり。
坂口さんの言葉を読んでいると、
創作すること自体が大切で、
とにかく練習あるのみ、
手を動かすのみ。
そして、
一日に少しでも、楽しさや快適さを増やしていくことが大事なんだなって思います。
Photo credit: Tim Mossholder
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