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理性のせいで死ねない
タイトルの通り死に関する内容です。
ぐらぐらしている方は読まないようにお願いします。
先週、もう何もかもがどうでも良くなって、消えてしまいたくなった。
計画を立てて、手段も場所も具体的に考えていた。
それなのに、実行する前にSOSを出した。
お世話になっている心理士さんの部屋をノックしたのだ。
そこから1時間弱話を聞いてもらって、その日は大学の保健センターのようなところで1日過ごした。
擬似入院のような感じ。
眠れなかったけど横になってぼーっとして。
センターのスタッフさんが持ってきてくれた飲み物があたたかくて、何とも言えない気持ちになった。
「消えたい」でいっぱいだった心に、「あたたかい」「おいしい」というのが入ってきて、久しぶりに「感じる」ということをしたような気がした。
本当に死にたいなら、誰にも言わずにやれば良いって分かってる。
それなのに、どうして人に会いにいったのか。
正常な判断力を持った自分が残っていた。
わずかだったけど、その自分に邪魔をされた。
今死んだらどうなるか、家族はどう思うか、今やっている物事はどうなるか。
理性的に考える自分が少しでも残っている限り、私は死ねないんだろうなと思う。
逆に言うと、本当に自殺が起こるときというのは、考える力も、死を怖いと思う感覚も消えてしまうくらい追い詰められた状況なのかもしれない。
そこまでじゃないからまだ大丈夫、とは思えないし正直しんどいけど、私の中の健康的な一部分によって生かされた。
こうやって延命して、意味があるのかは分からないけど。
それでも、あの日に心理士さんが真剣に伝えてくれた「死なないでほしい」という言葉は命綱になった。
それが仕事として発せられた言葉でも、私に本気で話しかけてくれていると感じる人なんていなかったから、単純に嬉しいと思ってしまった。
人として扱ってくれている気がしたから。
1週間先の自分がどうなっているか、何を考えているか分からない。
気分の波は消えないし、相変わらずすぐに泣いてしまう。
未来の話は怖いから、とりあえず今日と明日のことだけ考えよう。