「つらい過去も、未来に許されてしまう開放の物語~『わたしのおじさん』~」【YA61】
『わたしのおじさん』 湯本 香樹実 作 植田 真 画 (偕成社)
2005.1.13読了
同じ作者の「夏の庭」という本を以前読んで、すごく感動しました。
この本も、なんともいえない不思議なお話だけど、すごくせつない悲しみがこもったお話でした。
ほわ~っとした感じが始終ただよう中、このお話はすすんでいきました。
「まなみ」という名の女の子の11歳のお誕生日。
お祝いに新しい縄跳びを買ってもらったのを、おとうとの「コウちゃん」が「貸して」って言ったら、お姉ちゃんは「だめ」って言ったのです。
「コウちゃん」が、けちんぼ!って怒って言って道に飛び出してしまい、そのまま車にはねられて死んでしまいました。
その時から、女の子はずっと心を閉ざしたまま。
この物語で、そんな女の子の心の奥に住んでいる一人称で語られる「わたし」は、大人になったその女の子の、いずれ生まれてくるであろう子どもなのです。
だから、「コウちゃん」は「わたし」のおじさん。
その「コウちゃん」とわたしは、わたしのお母さんの閉ざされた心の中で出会っているのです。
(ちょっと複雑ですね)
黄泉の国と人が生まれる前の空間って、同じなのですね。
だから「コウちゃん」とも、その後死んでしまったおじいさんとおばあさんとも、そのお母さんの心の中で出会い、いっしょに話をしたりできるのです。
おかあさんの心の中の世界は限りない草原で、空は雲が低く垂れこめており、でも明るくも暗くもなく…。湿った草の葉っぱはほろ苦い。
そんな世界からある暗い洞窟へと、「コウちゃん」と「わたし」は旅をすることになります。
それは今の悲しみの世界からの脱却。
希望への旅立ちだったのでした。
きっとおかあさんは、幼い日に背負ってしまった悲しみを乗り越えて「わたし」を受け入れてくれるに違いない。
押さえ気味のイラストと余裕を持たせた行間に、不思議世界が広がっています。
当初、彼らの関係性を説明されても一瞬、複雑で読み取りにくく、読み進めるうちにしだいに納得していくのですが、悲しみと虚無感が感じられ、決して楽しく読める物語ではありません。
しかし終盤は希望が持てる展開に、わずかな光が遠くからのぞいているようで、一安心というところでしょうか。
重苦しくてきついな…と読んでいて感じる人もいらっしゃるかもしれません。
でも心の中にわずかでも傷や痛みを抱えている人の共感は生むかもしれませんね…。
ヤングアダルト本という分野は、思春期の真っ只中の子どもたちに寄り添うような内容の物語が多くを占めています。一番繊細で未熟で苦悩も人一倍抱えている彼らたちの、軽く言えば「あ~、あるある」というような事象を描いているものがどうしても多くなってしまいます。
他人とついつい比べて落ち込んでしまったり、
親や教師と意見が合わない、
学校では一人浮いてしまいがち、
いじめにあう、
自分のことがなかなか理解してもらえない、
親友と喧嘩してしまう、
狭い学校社会の中でマウント取られる、
自分の未来が見えてこない、
生きづらい…
多かれ少なかれ似たようなことで悩み傷つき、鬱屈した心の中のすべてを発散する場所もなく、悩みを親身に聞いてくれる人も近くにいないという子どもたちが、きっとどこかでひっそりと息をして暮らしているはずです。
そのような表には決して出さない彼らの内なる悲鳴に、共鳴してくれるものがヤングアダルト本の中にあると思っています。
だから今回の本のようにやや暗めで重いテーマの本もよかったら読んで欲しいし、もちろん底抜けに明るい物語もありますから、そういう本を読んで一時嫌な気持ちを忘れるなんてことも本の役割でもありますね。
さて、次は何を読もうかな。
いやいや、ソワレさん、あなたはもう“老後”という言葉に敏感に反応するようなお年でしょ?
はいはい、そうですよ。
そんな多くの月日を過ごしてきた私なのだけど、自分ではたいしたアドバイスができないから、これらの本を読んでみたらどうかな?というせめてものお手伝いのつもりです( *´艸`)