「大正時代のあの著名人のちょっとしたミステリーが満載~『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』」
『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』 青柳碧人 著 (角川書店)
2024.6.21読了
この本は、タイトルに“名探偵”とあるようにちょっとしたミステリー仕立てになっていますし、表紙絵でもわかるとおり「あ、これは明治から大正・昭和で活躍した作家や有名な人物を登場させている本だ」と私の好みにドンピシャでしたから、手に取ってみました。
読んだ結果、やはりとてもおもしろく満足のいくものでした。
この作家さんの作品はかなりたくさんあるのですが、私は『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』の一冊しかまだ読んでいませんでした。こちらも大変おもしろいものでしたので、当然のごとく今回も絶対おもしろいに違いないという確信がありました。
もちろんそれは期待を裏切りませんでした。
本の内容は短編集で、全部で8編です。
いずれも主に大正時代を中心に、誰もが聞いたり読んだりしたことがある作品を持つ有名作家や科学者、学者、文化人、商業人などが登場し、ちょっとしたミステリーに遭遇するものです。
今回は短編のそれぞれをご紹介しますので、いつもより長文になると思いますが読んでいただければ嬉しいです。
① カリーの香る探偵譚
とある探偵事務所に探偵見習いとして雇ってほしいとやってきたシャーロック・ホームズ大好き青年・平井に、雇うつもりはないがお試しと言う意味で、少しやっかいだと思っていた事案を調べるよう課題を出します。
英国からの独立を主張するインド人活動家が日本国内で行方不明となっていて、彼を探し出すよう警視庁から依頼を受けているための捜索です。
詳細を聞いてあることをひらめいた平井は、新宿の中村屋を潜伏先と目星をつけて自分も潜入を試みます。
なぜそこなのでしょうか?
当時クリームパンが評判になっていたパン屋がなぜインド人を匿うのでしょう?
中村屋の背景と平井の、謎に迫るための少しばかりのアンテナ、そしてそこへチョイ役で登場する意外な人物もいて楽しいのですが、何より最後に明かされるこの平井と言う青年の正体に驚き納得の展開でした。
② 野口英世の娘
まずこのタイトルに“野口英世”とズバリあるので、もちろんこの話は彼に関するものなのですが、まさかの娘を名乗る少女の登場に、野口はもちろんのこと彼を金銭面でバックアップしていた製薬会社の社長も戸惑い、この少女に関して調査を始めます。
絶対に娘を持つような過去に思い当たるふしがない野口ですが、わずかに心許ない気もしてしまうのです。
アメリカへ渡航していた後の久しぶりの帰国で、宿泊先の横濱グランドホテルに突然現れた少女。この帰国の時期と宿泊先はほぼ機密事項だっただけに、なぜこの少女はこのことを知っていたのでしょうか?
結局久々に会う母親のシカがまさかの大岡裁きのごとく、この難問を一気に解決してくれるのがお見事でまさしくスッキリさせてくれるし、その後の製薬会社社長の粋な計らいも良い読後感をもたらしてくれるものでした。
③ 名作の生まれる夜
東京・京橋にあるカフェーで落ち合うことになった鈴木三重吉と芥川龍之介。
ご存じ児童向け雑誌『赤い鳥』の創始者の鈴木は当初執筆者を募っていましたが、快く引き受けてくれる者もいれば辞退してしまう者もいました。
はじめ芥川も辞退する旨申し入れてきました。
先ごろ彼が発表した『鼻』を読んできっと子どもたちに向けた秀作を書いてくれるに違いないと確信した鈴木だったのですが。
諦めるわけにはいかない鈴木は、神仏に関する題材をここで披露してきっと興味を持ってくれるだろうと、ある話を彼に語り始めます。
それは飼っていた亀の死に直面した男が密かに魅かれていた女性と恋が突然成就したというものでした。
その話の中で気になる部分や謎の部分にひっかかる芥川。
そういう興味を引き出し、やがて文章を執筆するという約束まで取り付けてしまうのです。
最後に芥川がその話の男の名前を鈴木に尋ね、その名前が明かされた時に読者は“あの名作”が生まれる瞬間を目撃した感動を覚えるのでした。
④ 都の西北、別れの歌
「都の西北」と言えばもちろん早稲田大学の校歌として有名ですが、その通り早稲田大学で野球部の応援団長として有名だったバンカラ学生の吉岡信敬と、文学部英文科教授でのちに芸術座を立ち上げた島村抱月の友情とも言えるお話です。
大きな声を出し、全身全霊での応援がひときわ目立っていたバンカラ学生と演劇を愛する教授がいったいどうやって知り合ったのでしょうか。
物語はインフルエンザに倒れた島村抱月の葬儀に吉岡が向かう場面から始まります。
芸術座の建物の、島村の住まいだった二階に置かれたままのその遺体を、弔問者全員で弔おうと一階に運ぼうとしたときに、階段が狭くおまけに島村の愛人・松井須磨子の荷物が所せましと置かれていることに疑問を感じるのでした。
吉岡たちが、なぜこんなに階段に荷物が置かれているのかを推察したことや、そしてそこに秘められた真の目的をのちに知った時、早稲田への愛と島村抱月への揺るぎない恋慕の情が存在していたことを知ります。
そして島村へも須磨子へも尊敬の念を抱き、吉岡は大学へ歩く道すがら「都の西北」を歌うのでした。
⑤ 夫婦たちの新世界
大正七年。大阪で開かれた勧業博覧会の跡地に作られた電飾の街、「新世界」。その中央に通天閣、そして南側にはルナパークという遊園地があり、メリーゴーラウンドや音楽堂、野外ステージなどがあります。
そこにやってきたのは与謝野鉄幹・晶子夫妻です。
鉄幹が創刊した短歌雑誌『明星』が廃刊になってからというもの、仕事がなく何もやる気が起きなくなった鉄幹に「ヨーロッパ」へ行ってくればと晶子が提案しますが「金がない」と言われ、仕方なくパリなど海外を模したような「新世界」に出かけて気分を一新しようとします。
しかし鉄幹がつい昔の女のことを口走ったばかりに喧嘩になり晶子はひとりロープウェーに乗りに行ってしまいました。
鉄幹が反省もしながら下で待っていると、あるカップルとひょんなことから会話をすることに。
男の方はかつて通天閣の電飾の取り付けを手掛けた大阪電燈という会社の技術者でしたが、志あって独立をしたと言います。
そんな時、晶子が乗ったロープウェーが途中で止まってしまいます。大騒ぎになった周囲と慌てる鉄幹。
どうやら何者かがロープウェーの電源を切ったもよう。いったい誰がどんな理由でそんなことをしたのでしょう。
この時、鉄幹が会話をしていたカップルの男性が大活躍をします。その男性とは?
命の恩人の正体がわかって、ドキドキわくわくしました。
⑥ 渋谷駅の共犯者
今や世界中で有名な大学教授と愛玩犬のハチ。
これは東京帝国大学農科大学の上野教授とハチが被害にあったスリを見つけ出す大捕り物の話です。
毎日研究に余念がない教授はいつも電車で通勤していますが、毎度帰りは渋谷駅でハチと合流しています。
顔なじみの老駅員ともちょっとした立ち話をしていきます。
ある日このルーティンで帰りの駅前で話し込んでいると、教授の鞄から大事な研究データが入った包みを盗もうとする人物にハチが吠え飛び掛かります。
慌てたそのスリは、思わずハチを殴って包みを持ったまま逃げてしまいました。盗まれたものより殴られたハチの心配をする教授でしたが、一緒に研究している学生や技手は大変な思いをして出してきたデータが盗まれたとあれば黙っていません。
捕まえてもらおうと派出所に届を出しますが、教授の被害が帝大内で広まり帝大出身の警視の耳にも届き、「スリのことならスリに聞け」と巣鴨刑務所に収監されているある人物に尋ねよと命令が出ました。
それはかつてスリ五百人余りを取り仕切っていた名のある大親分でしたが、彼は意外にも書物をよく読む知識のある賢い人間でした。そこで彼は教授にあるヒントを出すのですが…。
大親分との会話やヒント、そして意外な犯人と共犯者と、こちらも大変面白いお話です。
⑦ 遠野はまだ朝もやの中
遠野に住む花子は今住んでいる家が嫌になり出ていくことにしました。
朝もやが広がるこの土地では、いろいろな不思議なものが住み着き多くの怪異譚が残っていました。
出ていく中、道の途中で黒い頭巾に黒い蓑を身に着けた男と出くわしますが、「遠野の子なら何か面白い話を知っているか?」と尋ねられます。
これは、生前のミチばあがよく話してくれた昔話の中の“ざんだ坊主”に違いないと確信します。この化け物には何かおもしろい話をしないと頭から食われると聞いていました。
そこで花子はある一つの昔話をするのですが、このざんだ坊主は話の中の展開に合点がいかない様子です。
その時、別の酔っぱらったふんどし姿の老人(天狗?)まで加わって、この昔話の細かいことに矛盾があると納得せず、花子にはさっぱりわからない難しい話に展開していきます。そこへ知人を追いかけて遠野までやってきた民俗学者の柳田国男が“妖怪たち”の話に加わります。
不思議な昔話を小難しく分析している彼らをたしなめようとしますが、「そういう目を持つのは大事だ」と二人から逆に反論されてしまうのです。
その時花子がいつのまにかいなくなっているのに気付いた彼ら…。
さて終盤、この妖怪たちの正体がわかり、そして花子がいったいなぜ家を出て行こうとしたのかが明かされ、読者はきっと一連のやり取りと花子の正体も想像でき、楽しくなるに違いありません。
⑧ 姉さま人形八景
このお話は紙で作られたある一つの“姉さま人形”をめぐって、さまざまな著名な人物の手から手へ渡っていく様子を時代をさかのぼっていく形で描かれていきます。
これはなかなか面白い描き方で、はじめに最終的に手にしたのが放浪の画家として有名な山下清でした。
彼の、八重洲にあるデパートで開かれた展覧会に訪れていたのは、古希を過ぎていた平塚らいてうでした。
彼女がある海辺の絵に一瞬見とれてなぜか懐かしい思いにさせられ不思議に感じていると、山下本人からとある人物からもらった姉さま人形に使われていた紙を使って、絵に描かれている二人の人物の着物に張り付けたと告げられます。するとらいてうの記憶にある人物のことがよみがえってくるのでした。
それから、この“姉さま人形”を山下清に手渡した人物、その人物に手渡した人物…と、次々と関わった人たちのエピソードが年代をさかのぼって語られていきます。
そこには、①の話に出てきた中村屋の主人の妻や平塚らいてうの後に雑誌『青鞜』の編集長となった伊藤野枝、中央公論社編集員で松井須磨子の大ファンである波多野秋子、一つの公演が終わるたび新聞の批評に神経を尖らせる松井須磨子に島村抱月から引き合わされた高村光太郎の妻・千恵子、そして『青鞜』での文章と、平塚らいてうとの同性愛が批判を浴びていた尾竹紅吉(本来、ペンネームを“べによし”と読むはずが“こうきち”と、その言動から呼ばれるようになった)たちのさまざまなエピソードが語られていきます。
そう、それはこうきちによるもの、らいてうを恋していた大胆だけど繊細な女性が作ったものだったのです。なぜここまで、多くの人物に手渡されてきたのでしょうか?
それぞれの人物像と関わりのあるドラマが語られていき、驚きのな展開や切ない思いが溢れています。前の章で登場した有名人たちも出てきて、ますます読んで楽しく感じました。
全体的に史実や背景なども、多くの書籍や資料を調査されたことがわかり、フィクションも本当にあったのでは?とつい思わせる興味深い物語の数々でした。
ほんの少しのミステリーじみた内容で楽しく読ませてくれましたし、かつての文豪や著名人のほぼ実際にあったかもしれない裏話がフィクションも交えて語られていき興味をぐいぐいと抱かせるのに成功しています。
とにかく作者の努力ある調査や既存の資料を読み込んでの執筆だったでしょうから、やはりプロの作家さんの技量の大きさ・深さを感じました。