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「先生と付喪神たちのおしゃべりが楽しい~『芦屋山手 お道具迎賓館』~」

『芦屋山手 お道具迎賓館』 高殿 円  著 (淡交社)
                                                                                                 2024.3.22読了

タイトルだけではいったいどのような内容の本なのか、わかる方はあまりいらっしゃらないでしょう。
もちろん私もさっぱり予想がつきませんでしたが、表紙絵とタイトルの持つ雰囲気が良さげで気になって読んでみました。
 
この作者の本を読むのはおそらく全く初めてであろうと思います。
ですからどういう文章を書かれる方なのかもわかりませんでしたが、こういう挑戦や冒険もなかなか楽しいです。わからないからこそ、一歩踏み出すワクワク感が心地よいです。
 
“お道具”とありますので、その方面に詳しい方や少しでも聞きかじった方ならピンとくるのでしょうが、私はそれさえもよくわからずにページを開きました。
 
茶道やお茶を少しでも嗜む方は、最低お道具類が話の内容に関わっているとわかられると思います。でも私ときたら生け花は少しだけやったことがあっても、茶道はさっぱりで道具といっても何の道具なのか気にもせずに読み始めたわけです。
 
さて肝心のお話ですが、登場するお道具類にはすべて付喪神(つくもがみ)がついており、まさかのファンタジー要素が含まれた物語だったのです。お茶碗や茶壷たちが、人間たちとともにおしゃべりするのです。
なんだか楽しくなってきました。ファンタジーは好きなジャンルですから、何の抵抗もありません。
さあ、いったいどういう展開になっていくのでしょう…。

神戸芦屋の山手に「三条の迎賓館」と呼ばれる邸宅があります。
どうやら実際には本書でも述べられていますが、有名な建築家フランク・ロイド・ライトが設計した(おそらく「ヨドコウ迎賓館」なる建物がそうなのかと、調べてみて初めて知りましたが)建築物が建っているそうですが、それとはもちろん違う架空の邸宅だと思われます。
しかしながら、その邸宅が建つ周辺の様子はいかにも実存しているような描写で、閑静で緑に囲まれた素敵な場所のようです。


そこはそもそも古い土地で、縄文時代の木簡や土器が出土したり、戦国時代の武将の拠点として、また明治時代には大阪財界の名士たちが移り住み、皇室が治める天領だったこともある由緒ある場所。
 
そのような「三条の迎賓館」には、常に大勢の来客があります。お茶会などに利用する人々がひっきりなしにやってくるのです。
その邸には年の頃なら壮年の後半ほどになる主がいて、地元の人からは「先生」と呼ばれているけれども何をしている人物なのかは謎で正体不明ですが、先祖が受け継ぐこの地に最近移住してきたばかりです。
本人はいたって質素な生活をしており、日がな一日庭いじりをしています。
 
ある日庭いじりをしていると、スコップの先に当たるものがあり掘り出すと白い器が綺麗な状態で出てきて、後々にわかったことですがかなり名のある茶碗でした。
「白天目(はくてんもく)」というかつて織田信長が所有したといわれる有名な茶碗らしいのですが、本能寺の変で焼失したと言われています。
 
主である先生はあまり器に頓着せずにこの白天目の茶碗で庭いじりの最中にはのどを潤す麦茶を入れて飲んだり、昼餉のお茶漬けのための茶碗として普段使いしていたのです。
 
ある日この「白天目」の付喪神である「シロさん」が話しかけてきても、すんなり受け入れてしまう先生ですが、友だちでアラブ人の「ほおっかむりさん」(布を頭からかぶっているからこう読んでいるだけ)が持参した茶入「珠光小茄子(しゅこうこなす)」さんがシロさんと話している時に信長が持っていたはずの「白天目」だということがわかったのですが、シロさん自身の記憶があいまいなため、焼失したと言われている白天目がなぜこの地で見つかったのかはっきりしたことがわからずじまいです。
 
そこからこのシロさんがこの地にどうやって来たのかを調べるため、この芦屋の歴史…在原業平の頃の時代背景を探りに古墳や公園まで散歩したり、室町時代や戦国時代に重用された道具たちや信長が生きていた当時所有していたとされる茶器たちを集めて、当時の状況を付喪神たちに語らせるなどしましたが、なかなかシロさんの記憶は呼び起こせずにいました。
 
また、京都で信長の時代にゆかりのあるお道具たちに大集合してもらい、その付喪神たちの会話からなんとかシロさんの記憶が蘇るのではないかという可能性に期待していろいろな話をがやがやと話していると、京都伏見の城南宮の使いである護法童子がやってきて付喪神たちを退散させようとするハプニングが起きました。
 
“護法童子”とは、京の人々を裏鬼門から守る役目を仰せつかっており、かつて百鬼夜行する付喪神や妖怪たちを操って退散させたと言います。
茶器などの道具は本来単なる道具、つちくれのモノなのに、人よりも価値をつけられるようになり、人の欲望をかき乱すという、仏の世界からするとすでにもののけの類であるし、本能寺の変でもそのまま焼け落ちて“つくも神化”した道具たちが結界のほころびからさらに厄神たちを呼び寄せるかもしれぬと、いくつかの道具たちをいっそ壊してしまおうとしていました。

今回もたくさんの付喪神たちが一堂に会してそのうち百鬼夜行を行うのではないかと嫌い、強気で退散させようとします。
(そのせいでか先生も自我を失いかけます。ちなみに一緒にいたほおっかむりさんは宗教が違うためか操られることなく影響をうけなかったのがなかなかにおもしろい)
 
かつて本能寺で破壊されようとした付喪神さんに護法童子の一人が、
「土のモノは割れてもまた元に戻る」と言ったことから、ならば一堂に集まれないようにあちこちに散らばらせればよいと考えました。
 
そこで本能寺が燃え盛る中、通りがかりの武士や商人たちにひとつずつ道具たちを持ち帰らせ、各方面に散逸させられてしまったのでした。

シロさんもその中のひとつで、一人の侍がシロさんを箱に入れ荒っぽく持ち運び、とある城に置かれたのですがその後信長側だったのかその侍がシロさんのところに戻ることもなく、そのまま置かれた状態で忘れられてしまったのではないか。
そしてそこが丘の上に立つ城だったこともありその後の自然災害の憂き目にあい、土砂崩れの中、土の中に埋もれてしまった可能性があったのではないか…?との仮説が今回立てられたのです。

この物語に出てくるお道具たちはすべて実際に存在したことは確認されているのに、本能寺の変以降行方不明になっているとされるものばかりです。
 
でもこの本ではフィクションでファンタジー要素のある展開ですから、そのお道具たちに付喪神を憑依させ会話をさせて、もし現代にそれらが存在しているとして、シロさんだけがどうやって本能寺から芦屋までやってきたのかという謎(あくまでもフィクションです)を解いていくというちょっとしたミステリーものとして脚色されています。
 
先生やほおっかむりさんや、付喪神の小茄子さんやその他のお道具の付喪神さんたちがああでもないこうでもないと、戦国の世の頃の話をしながら様々な考察をしていきます。
 
そもそもなぜ明智光秀は信長を裏切ったのかをまずは考えていきます。
信長と光秀の主従関係が崩壊した原因のひとつに、男性ホルモンが低下したことによる男性更年期が始まる年頃のふたりがイライラして各々疑心暗鬼になってしまった可能性も捨てきれないなど、思わぬ視点が出てきておもしろいです。
 
またお道具は由来がさまざまなものがありますが、はじめ唐物と言われる中国から来たものが主流だったのが、次第に朝鮮からやってきた焼き物に人気が移っていき、商業的な才を持つ信長は国内で似た茶器を大量生産するビジネスを考えていたかもしれないなど、シロさんの由来から派生した考察も行われます。
 
また平安から室町、そして戦国時代から徳川の頃までにいたる多くの武将や歴史上の人物の名前がガンガン出てきます。
これまでも何度も書いてきましたが、私は日本史が得意ではありません。
だから、在原業平とか織田信長や明智光秀などの有名な歴史上の人物はとりあえず知っていますが、他にも博多から信長の所へやってきた博多の商人の名前なども出てくるので、こればかりは文献で調べられたのだろうとは思いますが、興味のある方々はとても参考になるのではないでしょうか。
 
まるでラノベのように付喪神たちがフツーにべらべらとおしゃべりしたり、お道具ごとにちゃんとキャラ設定がしてあって、本編前の登場人物紹介のページでは人間の形体で具現化されていて、YA世代にも受け入れやすいかなと思いますが、本能寺の変あたりの背景や武将、歴史に関することがかなりマニアック(私にはちんぷんかんぷん…)なので、特にYA向けとはしませんが、日本史に強い子たちも多いかなと思うので、こういうお話が好きな子には刺さるかも。
 
大河ドラマでも戦国ものが視聴率的にもウケる傾向にあるようなので、みなさん日本史がお好きなんですね。そんな方は茶道や道具、焼き物などの知識がなくてもとても興味をそそる内容なのではないかと思いますよ。

もっとも、シロさんの由来や信長所有だったとかいろいろとわかっても、歴史的な謎が解明できて納得した後は、特にありがたがって箱の中にしまうことなくいつものようにお茶漬けや麦茶をいただくだけの普段使いでい続けるというところに、肝心のシロさんも安心したり、そんなほんわか展開に読者もほっこりすること間違いないです。


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