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頭の中の、自分を否定する声=皮肉な友人コルネリウス。
先日、朝から晩まで、自分にダメ出ししているかもしれない。と気づいたことが、私にとってはかなり大きな出来事だと思う。
ダメ出しというのは、自己否定。ほとんどの場合、罪悪感。
実はそのことに、我ながら全然気がついていなかった。
それは、無意識に起こってくる、頭の中の声だ。
そのことに気づいてから、何気ない瞬間に自分の頭の中でその声がするのがわかるようになってきた。
自己肯定感を下げる心の声
ふと思い出した場面、遭遇する場面、日常の些細な出来事、その全ての中で、否定的な気持ちになる時、大抵そこで自己否定していたりする。それは、当たり前になっていて、意識していないとほとんど気づかない。
それは、自分でも驚くような声だ。
例えばそれを、他人に言うとすると、かなり酷く厳しいことだったりする。
いろんな心理家やセラピストも、そのようなことを言っていて、他人であればそんな酷い発言をするとかなり相手を傷つけてしまうので言わないようなことを、自分に対してなら頭の中で行われることなので、誰にもわからない。訴えられることもない。それが日常的になり、ほとんど虐待と言っていいようなものになるのだと。
つまりこれは、現代の多くの人がテーマにしているであろう、「自己肯定感が低い」ことに繋がってくる。
身体的にもダメージを与える
なるほど・・・
確かに、例えばその声の一つの発言にしても、人に言うことはまず、ないなあ。例えそれが嫌いな相手であっても、言わないだろう。
と、言うような酷いことなのだ。
そう言うことを、自分に対して言って(思って)いるのだった。
それは、実際に、身体的にもダメージを与えるそうだ。
それが痛みや病気の原因になる、と言う医者やセラピストがたくさんいるように、実際そうなのだと思う。
そう、そもそもその声に気づいたきっかけは、「痛み」と言う、私の体の反応だったわけで・・・
そのことに気づくきっかけになった本が、リズ・ブルボー著『からだの声を聴きなさい2』。
罪悪感=罪の意識。罪はどこから来るのか
自分で自分を否定して痛めつけるのは、ある種の罪(罪悪感)を感じていて、自分を罰しているとのこと。
痛みをいう罰を与えている。罰を与えることで、罪を清算している。
しかし、その「罪」は、エゴであり、実際はその罪は感じる必要は無いものなのだ。
罪・・・つまり罪悪感はどこからくるのか。
それは、小さい頃からの家族や他人との関係でできた防御だったり、外部から他人からやってくる間違った常識であったり、思い込み・・・。多くの、「常識」もあると思う。
それは最初は自分を守るための手段だったが、いつかその防御が自分自身を攻撃することになる。
声の主に名前をつけてみた。
では、そう言う声をどうやっていくのか。どうやって治していくのか。
最初のステップとして、その中の一つの方法に、その声の主をイメージしていくと言うのがあった。
私の場合、あまりはっきりとイメージができなかったが、なぜかその声の主の名前が、「コルネリウス」なのである。
これは、確か、ある哲学者が自分の中にいる友人のような存在につけていた名前だった。
なぜかその名前がなんどもなんども思い出されるので、いっそのこと私の頭の中の声の主を、「コルネリウス」と、呼ぶことにした。
子育ての場面での、自分を責める声の例
コルネリウスの声は、ここに書くと、ドン引きされそうなものが多いので、(ちなみにこの、”ドン引きされそう”と感じさせるのも、コルネリウスの声である)書きやすいネタとしては、子育て関連かな。例えばこうだ。
出来事:子供があまり夕飯を食べなかった。その直前にお菓子を食べてしまったから。
コルネリウス「あー失敗した。お菓子を食べさせなければよかったのに。夕飯前にお菓子を食べるのを許すのは、ダメな母親だ。見えないところに、片付けとかなきゃ。わかってるよね。また母親失格。これ、寝る前になってお腹すいて、ご飯食べたいって言い出すよ・・・寝る前にご飯食べさせるのはめんどくさいし、消化にも良くないって言うでしょう。それにほら、明日になったらそれをノートに書いて提出するのに、保育園の先生に、またこの母親お菓子あげたんだ・・・って思われるかもよ。バレないようにノートも上手く書かなきゃ、注意されるよ。わかってることなのになんでそんなことするかね〜〜〜それとも、ご飯をあまり食べないのは、そもそも、お前が作るご飯が美味しく無いのかもしれないよ、もっと工夫した夕ご飯にするべきなのかもよ・・・」etc, etc.....
注:ノートと言うのはここのサイトのnoteではなくて、保育園に提出するメモ書きで、ご飯やトイレや睡眠について書いた記録のことである。
うわー酷い。こんなこと誰かに言われたら一生忘れないわ・・・・。お菓子一つでこれだけ、いやひょっとしたらこれ以上、非難されるんだもの。それに気づかず、言われるままに、傷ついているんだもの。
(いや、でももしかして、こういうこと家族に言ったり言われたりしている人もいるかもね・・・・。文字に書き出すと相当酷いよね。)
毎日、無意識の中でこんなことを自分に言っているのだった・・・・。
そりゃ、傷つくわな。
特に子育ては、そう言うことの連続だったりする。
ついつい、子供のなんやかしを自分(母親)のせいにし、自分がダメだからだとか、家事をできないのが悪いとか思ってしまう。
自分を擁護する声
でも、なんでコルネリウスはこんなことを言って来るのか。
彼(彼女?)なりに、それは、私を守ろうとしているのではないだろうか。つまり、常識的な、いいお母さんであるように周囲の人(保育園の先生とか)に思われた方が、いいじゃないか。
いやまてよ、人から良く思われたいから、そう言ってるの・・・?
実際は、もうフル回転で頑張っているよ。いつだって、全力でやって、たまにはそう言う失敗もするよ。それに、本当に食べたいのだったら、あげてもいいんじゃない。ご飯夜遅くなってもいいんじゃない。それが心地悪ければ、子供も自然と食べなくなるだろうし、そう言う経験をしてみてもいいんじゃない。最初から、正解目指さなくてもいいんじゃない、
あれ、自分に味方する、声も聞こえてきた。
冷静に観察。
ところで、そう言う声に気がついたら、「あーまた自分を否定しているよ・・・つくづく自己肯定感低いのね。」などと言うさらなる非難の声が聞こえがちなので、声を聞くときは、あまりジャッジせずに、冷静に観察するのがポイントかもしれない。
そんなわけで、一つ前に進めた気がした私のインナージャーニーは、ようやくうっすら新しいところへ向かっているような気がする。
なんだか、何も解決はしていないかもしれないけど、そりゃ傷つくよね、と妙に納得したのである。
朝っぱらからヘビーなお話でした。←by コルネリウスの罪悪感いっぱいの言い訳。(朝からこんなヘビーなこと書いていいのかなあ、ネガティブだなあ、暗いと思われないかなあ)
いや、もしかしたら同じような声を聞いている人がこれを読むかもしれないから書いたって全然いいんじゃない?それに、読み手は、読みたければ読むし、読みたくなければ読まないし。そもそも、書くのは、自由でしょう。←自分を擁護する声。
そうだ、自分を擁護する声の主、なんて名前だろう???
ちょっとまだ、浮かんでこないなあ。この人の声も、もっとたくさん、聞けるようにしてみたいな。