夏と雲と真緑のクリームソーダ
真緑色をしたクリームソーダにどうしよもない憧れがある。
それは、間違いなくコミック版『ちびまる子ちゃん』(集英社)の4巻に収録されている「夏の色も見えない」というエッセイ漫画の影響だ。
さくらももこ氏自身が高校時代(だったと思う)の夏休みに友達と真夜中まで勉強したときの話で、その中でクリームソーダへのこだわりが語られる。子どもながらに本当に美味しそうに見えて、食べに行きたくてしょうがなかった。
結局、その後クリームソーダを食べに行ったのかもしれないけれどそれについては覚えていない。でも、漫画はカラーでなかったのに真緑のクリームソーダだとなぜか記憶しているし、アイスに氷がくっついてシャリシャリ状になった部分が一番美味しいだとか、そういう印象的な話がおいしい記憶として残っている。
『ちびまる子ちゃん』4巻は私の宝物だった。表紙カバーがなくなって真っピンクの内表紙だけになって角も折れ曲がり、少し広がってボロボロの状態になってもまだ読み返し続けていた。自分で買ったのかどうかは覚えていない。何度も何度も読み返したため、夜の静かな時間やクリームソーダが入ったガラスの透き通った感じとかを何十年経ってもよく覚えている。
クリームソーダを飲んだことなど、たぶん10回もない。思春期からはジュースの類を極力控えていたから、あえて緑色の液体でカロリーを摂りたいとは思わなかった。
しかし最近、打ちのめされそうな、押しつぶされそうな不安感に困り果てることが極度に増えて、毎日どうしたものかと対処法について思いをはせることが多いのだけど、これはもうカロリーで自分を助けるしかないと決心して、思い出したのがクリームソーダだった。
夜、薬を飲んで寝る。せせら笑うように私を弄ぶ不快感と焦燥感をなくすものではなく、すりガラスのようになったレンズをかけて見えづらくするためのものだ。そもそもはっきりとは見えない不安の種にじっと目を凝らして見ようとしてどんどん恐怖が募る。見えはしない、でももし見えてしまったら……という。だから、ぼかしたレンズを眼鏡みたいにかけて「ほら、あることは分かっても、それが何なのかは目を凝らしたとしてもわからないレベルでしょう?」とさせてあやふやにするのだ。
でもそうなると、もやっとしたものが延々と胸に居座り続ける。胸の底で沈殿したそれをすくい取るため、クリームソーダを飲まなければならないと強く思った。
なお私には、若干閉所恐怖症の気がある。だから、外食がかなり苦手だ。狭いお店とか、常に繁盛していて客の多い店というのは、ものの数分で息苦しさを感じるため避けている。
運良くクリームソーダがあることを知っていた店は、開放感のあるカフェだった。広々とした席に通されなるべくリラックスしようと深呼吸しながら待っていると、幸いすぐクリームソーダが運ばれてきた。真緑の液体とそこに浮かぶ、バニラアイスクリーム。ああ、このビジュアルだ。夏の真夜中のひっそりとした会話を弾ませたのは。
まずは真緑の液体をストローでひとくちすすってみた。炭酸がじわっと口の中の粘膜を刺激する。おいしい、冷たい、甘い。そして、エッセイ漫画にあった果てしなく静かな夜がタンブラーの中にあった。
あの漫画を読んだのが何歳かも覚えていないのに、たしかにあのころ感じていた空気や夏休みへのワクワク感、プールのあとの疲れ果てて泥のように眠る心地よさ、蝉と真っ青な空、スイカとラムネとかき氷、そんな愛すべき夏のものたちが胸にこみ上げた。
アイスにスプーンを突き立てると、溶けつつあった氷がバランスを崩し、半分くらいが一気に浸かった。水面から少し沈んだところでは、ちょうど氷とアイスがぴったりとくっつきあっていた。しめた。シャリシャリが発生してくれているのではないか。しかし、すぐに手を伸ばしてしまうと後から泣きを見るのは明らか。正攻法として、上からアイスを少しずついただきつつ真緑の液体を飲み、バランスよく消費する中でそれにたどり着きたい……と、オシャレなカフェの内装や道行く休日の浮かれている人たちなどに気を配る余裕などなく、そんなことを呪詛のように延々頭の中で唱え続けているのは、パニック発作対策である。
気を抜いたら襲ってくる無礼な発作に対抗すべく、フルで頭を回転させ続けないと負け戦になる。とはいえ最近だと口に何か入れたら比較的気持ちが落ち着き、発作に襲われることも少なくなった。ただしメニューを注文して「おまたせしました」を聞くまでが、ずっと地獄なのだけど。
緑の液体がバニラと化学反応を起こして雲のような綿あめのようなぶくぶくしたものが発生した。薄い緑色の雲。古いSF映画で見た気がする。
と、ようやく氷とアイスの接地面にたどり着いた私は、スプーンでそっとその部分に触れてみた。シャクリ。なんて、もろい。なんて儚い。思ったよりもシャリシャリの量は少なかったけれど、舌の上で溶けるまでの食感や冷たさは唯一無二の味わいだった。
文句なしにおいしい。ああよかった。カフェで何かを無事食べられている安心感、不安から解放された安堵、夏を目の前にしてクリームソーダを堪能できたこと、舌の上で踊るシャリシャリ。焦燥感が今にもふっと消え去ろうとしている気がした。
真緑の液体を飲み干すと、氷のくぼみにはかつてバニラアイスだったもののクリーム色の液体が寂しげに溜まっていた。口の中はまだひんやりとしている。なのに目の前のクリームソーダは、もうない。
ふと、容赦なく照りつける日差しを感じて目を細めた。店員がテラスのパラソルをわずかに移動させたようだった。
そろそろ帰らなくてはならない。あの押し潰されそうな日常に。でも、またどうしようもなく動けなくなったらここに来てクリームソーダを頼めばいい。そしたら、うだるような暑さでどこにも行けなくたって、小さな夏を夜の香りとともに感じ取ることができるはず。躁鬱は続く……。
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