民主主義が世界を滅ぼすのです
例によって、またまた「民主主義」の悪口です。
社会評論系のユーチューブを見てたら、ユーチューバーの人が、「日本人の3人に1人が日本語を読めない、と言ったら、そんなバカな、と思うでしょ?」と言ってた。
これは、もちろんあの「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」に書いてあったことを言ってるのだ。
それで、彼は「そう思うのは当然なんです。これを見てるような皆さんの知り合いにはそんな人はいないはずです。」と言う。
何を言ってるのかというと、要するに人間の知性レベルというのは分断されてて、だいたい同じようなレベルの人同士しか人間関係を持たないから、客観的事実が見えなくなっているのだ、という話だった。まあ、要するに「知的階級社会になっている」ということだ。
で、更に彼が言うには、1/3どころか、全人類的に見ると、7割ぐらいの人間が、まともにものを考えられないし、判断できない、と言う。
この数字が妥当かどうかは私にはわからないが、少なくとも前半の話は納得が行く。
例えば、NHKの話。NHKが嫌いな人は多いだろうが、この「嫌い」には2種類ある。1つは「NHKの番組内容に批判的な人」。この人たちは、NHKを見ている。そして、「政府の広報機関だ」とか「左翼偏向してる。反日だ」とか「ニュースだけやれ。エンタメやるな」とかと怒っている人たちだ。もう1つは、「本当にNHKを見ない人」。私は中学生の頃から、NHKしか見ない変な子供だったので、後者の人々の存在がなかなか理解できなかった。でも、だんだん分かってきた。「NHKなんか全然おもしろくない」「あんなの見てるヤツなんかいるわけない」と本気で思っている人が実在しているということ、いや、相当多数存在しているということに気づき始めたのだ。
私は教師をやっているが、たまにビデオなんかを見せたりして、それがNスペなんかだったりすると、最初の「NHKスペシャル」という文字を見た瞬間に「ああ、NHKや」という嘆声を漏らす生徒が結構いる。おそらく、その子の家ではNHKにチャンネルを合わせることなんかないのだろう。確かにそういう家は受信料を払わされるのは詐欺に遭ってる感じだろう。N党が支持されるわけだ。
何が言いたいかと言うと、そういう相当以上に劣悪な知的状況の中で「民主主義」が行われる危うさだ。
私は従前から「インターネットが人類を滅ぼす」と主張してきたが、少し訂正しなければならない。「民主主義が人類を滅ぼす」のだ。
インターネットの黎明期、「これで真の民主主義が実現する」という楽観論があった。その見方は、決して間違ってはいなかったのだ。確かにインターネットによって、「真の民主主義」が実現したのである。問題は、「インターネットに対する幻想」ではなく、「民主主義に対する幻想」にあったのだ。例えば「アラブの春」が良い例だ。いわゆる「民主主義陣営」は、これを熱烈に歓迎した。しかし、その後を見れば、あれが何だったのか?と考えざるを得ないだろう。
昔、左翼系の人々は「人民は賢明だ」と言っていた。その前提が根本的に間違っていたのだ。戦前の軍国主義を「日本人は悪い軍部に騙されたのだ」という見方がある。今でも、「自民党のひどい政治に騙されているのは、マスコミが情報操作しているからだ」と言う人がいる。いい加減に気づかないのかな? 「人民は初めから何も考えていないから、騙されるもクソもないのだ」ということに。田中角栄は「数は力」と言った。その通りだ。質より量。質なんかどうでもいいのだ。それが「民主主義」の恐ろしさなのだ。昔々(と言っても19世紀~20世紀初頭だが)アメリカで保安官が黒人を捕まえると、町の民衆が「吊せ!吊せ!」と叫んだ。あの熱狂こそが民主主義の本質なのだ。そもそも、近代民主主義の出発点は、ロベス・ピエールの恐怖政治だったことを想起せよ。また、近くはアメリカのトランプ現象。そういう例は枚挙にいとまがない。
だったらどうすればよいのか? 率直に言えば、もうどうしようもないと思う。もう手遅れだ。だが、それを言っては身も蓋もない。
民主主義が欠陥制度だと言うなら、独裁や強権政治か? 私はそれを完全否定はしない。大昔から賢人たちは、「君子の政治」「徳治」を夢見て来た。孔子がそうだし、マルクス主義の革命的前衛やプロレタリア独裁だって、本来はそういう趣旨だったんだろう。しかし、現実は常にそれを裏切って来た。君子は金輪際、未来永劫に権力者になんかなれやしない。ほぼ間違いなく、真逆の人間が独裁者になる。
だとすれば、次善の策としては、修正民主主義か。普通選挙を廃して、制限選挙にするのがマシかもしれない。もちろん、過去のように、性別や納税額で制限するのではない。「まともに考える人間にだけ選挙権を与える」のだ。(以前も書いたが、投票所の入り口で、ごく簡単な常識テストをするのだ)
その意味で言うと、日本の異様なまでの低投票率は、案外理にかなっているのかもしれない。「誰がなっても同じだから」とか「興味がないから」とか「忙しいから」とか「選挙疲れ」とか言ってる程度の人間は投票しない方がいいだろうから。皮肉なことだが、これが案外制限選挙として機能している面もあるように思う。(ただし「何も考えていない老人」が投票してしまうという深刻な問題は存在する)
ああ、何だろう。昔はこんなに皮肉屋でもペシミストでもなかったのになあ。自分で自分がイヤになるよ。
とにかく、世界の終わりは近いぜ。いえい。
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