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「無知の知」のある人が「おもしろい人」です

私には悪い癖があって、初対面の人をすぐ「値踏み」してしまう。
「この人はおもしろい人か?」「頭が良い人か?」「付き合う値打ちのある人か?」などなどを、だいたい最初の5分ぐらいの会話で判断する。
そして、その判断が、後になって「あれ?最初の印象と違うな」となることはほとんどない。自慢だが、特技だと思う。
それでも、若い頃は「好き嫌い言わず、いろんな人と付き合ってみよう」と思っていたのだが、人生の残り時間が減って来るにつれて、そういうトライアンドエラーの時間がもったいなく思えて来て、この頃は「おもしろい人とだけ付き合おう」と決めている。
私の言う「おもしろい人」は、とにかく話がおもしろいこと。刺激を与えてくれたり、興味を引き出してくれたり、対話がスリリングだったり。別に考え方や主張が自分と似てなくても構わない。いや、むしろ思考が似たようなベクトルだったら、あまりおもしろくなかったりする。
そういう好みから言えば、やっぱり、頭の良い人とか、頭の回転が早い人ということになるのだろうか。
そして、その「頭の良さ」なのだが、これについては、はっきりとした判断基準がある。それは「無知の知」があるかどうかということだ。
「無知の知」。言うまでもなく有名なソクラテスの言葉で、受験勉強で覚えた人は多いと思うのだが、これを体得している人は案外少ない。
よく「高学歴の人は冷たくて鼻持ちならない」と言われるが、私から言わせると、それは有名大学を出ているだけで、本当に学んではいない人、つまり、頭が良くない人、なのだと思う。
例えば、小、中学生だと、知=知識としか思ってないから、東大生なんかは「頭の中に百科事典が入っている人」というイメージを持ちやすいし、実際そういうイメージに寄り添ったクイズ番組もあるくらいだ。
しかし、少しまともにものを考えるようになれば、そんな薄っぺらなものでないことにはすぐ気づく。むしろ、学べば学ぶほどに、自分の前に存在する世界の広大さと深さが見えて来て、たじろがざるを得ない。そして、必然的に「自分がいかに知らないか」「いかに小さく無力か」に気づくのである。これは、単なる謙虚とか謙遜とかとはちょっと違う感覚だが。
よって、「オレは○○大卒だ」なんてことを鼻に掛けている人間は、その○○大で何も学んで来なかったということを図らずも露呈させているわけなのだった。
「無知の知」のある人は、それなり以上の知性の持ち主だし、マウントを取るなんて愚かな性癖はないし、話が面白くて深くて楽しい。
ただ、そこまでの判断を最初の5分の会話でするのは、さすがの私でもなかなか難しいのだが、がんばって「値踏み」の精度を上げて、そういう「おもしろい人」とだけ付き合いたいと思う今日この頃である。


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