人生の始まり
人が生きると書いて、人生。女が台の上にいると書いて?始まり。
そういう意味では、私の人生は始まってすらいないのかも。
ただようやく始まり出したと思うことがある。
それは、「死」について少し考えることが増えたからだ。28歳になった私は
27歳までに夢を叶えようとしたがほぼ敗れてしまった。ただその敗北の中で、「死」ついて考える。考えることによって見えてきたことがある。
それは「死」というものは特別な現象じゃなく、至る所に転がっていること。そしてそれと向き合うことによって、本当の自分の願いや希望が分かるかもしれない。
と言うことだ。
世の中にはまだまだ競争社会みたいなところがあって、どちらがより優勢で優秀かなんて競ってたりするけど、100年経てば、人類おそらく総入れ替えだし、他人との競争も長期的には意味がない気がする。
だから「死」は無条件に生きるものを迎え入れてくれる、本質を見せようとしてくれる鏡なのかもしれない。
偉そうに色々述べているが、かくいう私も「死」がよくわからないから怖いところもある。怖いというか、死に付随する痛みや、自分の反応や周りの反応が怖い。それも含めて怖い。(あとは自分と存在と必要性みたいなことに関して)
孔子じゃないけど、そもそも「生」と言うこともよく分かっていない。「快、不快」はなんとなく分かるけど、「生きている」と言う実感は、ぼっちにはえにくいかもしれない。
だから今こうやって文章を書いている間でさえ、自分が生きているのか、死んでいるのか、、本当のところはよくわからない。
ただ自分に言えるのは、原点に立ち返って、もし全てのことが手に入って、人間からの条件付けから外れた優しい世界にいるのなら、死ぬまで何をしたいかだと思った。
自分から逃げるような努力と同じくらいに、自分の生死を迎えに行くような生き方も必要だと思った。
最後何言っているのかわからん😅。
追伸
いつまで世界にいて、世界の上で必要とされるのだろうか?今は目標到達に敗れてアパシーになっているのかもしれない。バーーんアウトかなあ。
火の鳥のように、永遠の命も怖いわ。全て怖いと言うことでお開き!🥺
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