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【HSC子育て】ちょっと聞いてください!嬉しい報告

予想していたよりもはやく、仕事が終わった。
これなら、日が落ちて暗くなりきってしまう前に、娘を迎えに行ってあげられそうだ。

立冬を迎え、突如としてキンとした寒さが骨の髄まで氷つかせてくるような、京都の夕方の街を、自転車を走らせる。

お迎えに行くと、娘は嬉しそうに「まま、聞いてー!」と言ってきた。
「あのね、娘ちゃんね、今日ね、給食のときに苦手なおかずがあったの!レンコンが入ってたやつ。食べてみたんだけどね、苦かったの。それでね、娘ちゃんね、ちゃんと残せたんだよ!」

わたしはそれを聞いて、飛び上がって喜んだ。「すごいじゃん!残せたの?!」と。


「いやいや、ちょっと待て。ふつう逆だろ!」と、思われるかもしれない。
ふつう、残さず食べられたことを、ともに喜び、「頑張ったね!」と褒めてあげて、子の成長を祝うものだろう、と。

ただ、うちの場合は、ちょっとばかり事情がちがう。
この1ヶ月ちょっと、幼稚園と二人三脚で、「娘が安心して、まわりの大人を信頼して、自分が本当はイヤだと思っていること、つらいと思っていることを、ちゃんと自分で伝えられるようになること」を共通目標にして、やってきたのだ。

なぜなら、ひといちばん敏感で、人の心の機微をふかく、先まわりして考えてしまう娘は、大切なときに「No」と言うことができなかったから。


また、娘はHSCの特性そのまんまに、とても完璧主義かつ "正しさ" を自他につよく、厳しく、求めすぎてしまうところがあった。


実は、給食の件に関しても、今まで娘は一切食べ残しをしなかったのだ。「年長になってから、全部の給食をピカピカに食べたんだよ!」と言うのが、娘の誇りでもあった。

けれども、あるときから娘は「今日の給食なに?」と聞くようになった。きらいなものが入っていると知ったときには、パニックを起こして泣くようになった。「食べたくないから、行きたくない」「残したくない」「他の子が残してなくて、娘ちゃんだけ残してたらどうしたらいいの?」「食べたくない」「でも、残すのもダメ」「どうしたらいいか、わからない」と。吐いてしまうくらい、泣いて、暴れて、過呼吸を起こしたことさえあったのだ。彼女にとって(そしてわたしにとっても)これはシリアスな問題だった。

実は今まで、娘は「全部きれいに食べられることが良きことなのだ」という強迫観念(?)から、きらいなものを、鼻をつまんで、吐き気を堪えながら、食べていたそうなのだ。それに、担任たちも、わたしも、気づかなかった。それくらい、彼女は、「イヤだ」とか「困っている」と言うことを、表に出すことを嫌って、隠そうとしてしまう気があるのだ。

頑張るのは悪いことじゃない。
頑張ることが大切なこともある。
でも、自分の心や身体を壊してまで、我慢して、耐え忍んで、頑張るのは、それは精神衛生上、よろしくない。


そんないろんな事情から、幼稚園とわたしの両者は「完璧でなくてもいい」「困ったときは助けを求めていい」「いやだと主張してもいい」ということを伝え続け、できるだけ娘のいろんな小さな「いやだ」を拾って、対処してあげられるように頑張った。本当に、頑張ってきた。

それはすべて、「助けてと声をあげたら、"世界" も、ちゃんと、助けてくれるんだ」という信頼感を、しっかりと娘のなかに養わせていくためだった。


そんなわけで、娘がみずから、苦手なものが入っていた給食を、「今日はこれは残そう」と決めて、それを実行できたということは、「赤飯じゃー!酒もってこい、祝酒じゃあああああ!!!!」くらいの盛大なお祝い事なのである。いやもうね、本当にね、すごいよ!えらい!

しかもしかも。
娘はうれしそうに、面白おかしく話してくれた。

「その時ね、娘ちゃんね。自分にね、『大丈夫だからね!残してもいいからね!安心して!大丈夫だから!いいんだよ!無理しなくていいの!安心していいから!落ち着いて、ね?大丈夫!大好きだから!いいんだよ!』って、いっぱい声をかけて、心のなかで自分の頭をなでなでしてあげたんだよ」

…セルフ・コンパッション、完璧やないかーい!!!!!
自己受容と自己肯定感、できてる!!!!!拍手!!!!!もう、素晴らしいよ!!!!!!!!!!

完璧じゃないこと、正しさがわからないこと・できないことで、パニックを起こし、できない自分を「娘ちゃんのバカー!きらい!こんな自分きらい!!!」と怒鳴って暴れまくっていた我が娘が…!!

みなさま!!

ここまで成長いたしました!!!!!(拍手っっ!!!!)


ちょっと面白かったのが、娘が自分にかけてあげてる声かけのテンションが、完全に鬼滅の刃に出てくる我妻善逸が、テンション上がりすぎて禰󠄀豆子ちゃんに詰め寄って、超早口で鼻息荒く話しかけているとき、そのものだったことだ(ピンポイントすぎなんだけど、伝わるだろうか笑)

善逸でもなんでもいいよ。
あなたの中に、ちゃんとあなたの絶対的な味方が存在してくれているのならば。


そういえば、少し前のこと。
「娘ちゃんが一番好きな人、誰だと思う?」と聞かれたときがあった。

「んー、誰だろう?わかんないや、教えてー!」と言うと、娘は「ママ!…あ、じゃなかった!!あのねー。うふふ、娘ちゃん」とにっこり笑顔で言ってきたのだ。

セルフラブ&自己肯定感ー!!!!!!!!!!!(拍手……!!!!!)

いやあ、嬉しかったなあ。
そういうふうに、思い出して、言える子でよかった。


家の中での癇癪や親子ケンカは、まあ、相変わらずだけれど。
子どもの成長や変化って、家庭内で反映されるのって、一番最後なんだろうなって思う。

でも、幼稚園という、彼女にとっての "社会” のなかで、こうやって少しずつでも着実に、決して小さくはない、小さな成長の一歩を重ねていっているのだということを、垣間見ることができて、わたしはとっても、嬉しかったのだ。

よかった。この方針で、間違ってないんだなって。


この記事を書きながら、意外と(ってほどでもないのかもしれないけれど)わたしの中には、自覚というか、言語化がしっかりできていないだけで、とても明確に、子育てにおいて大切にしたいことの優先順位があって。それを大切にしながら、子どもと対峙しているんだな、ということを、改めて実感した。

この「わたしなりの子育てにおいて大切にしていることと優先順位」について、また改めて記事にしてみるのも、いいかもしれないなあ。興味を持ってくださる方はいるかしら?

なんてことを思いつつ。
夜も更けてきたので、今日はこの辺りで、筆を置くことにしよう。
おやすみなさい。

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ねう | こころと身体の専門家
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