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江戸時代から残る石積み文化
長崎市外海地区について
外海(そとめ)は長崎市の北西部に位置する丘陵地帯で、東シナ海につながる角力灘(すもうなだ)に面しています。天気がいいと海の向こうに、かすかに五島列島が見えます。(関連サイト:長崎市ホームページ)
そんな外海へ、先月引っ越してきました。
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外海のメインロードである国道202号線は「ながさきサンセットロード」と呼ばれるドライブコース。昼間は太陽光を受けた波がきらきらと輝き、夕方は沈みゆく夕日に海も空も色づきます。夜へと向かう夕闇のグラデーションも美しく、海に飽きることはありません。
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積み重ねられた薄い石
海や夕日だけでなく、世界文化遺産の構成資産や棚田、炭鉱遺構など、外海には「ほほう」となるようなものがいくつもあります。
その中でも私が最初に興味を持ったのが「石積み」です。
見渡すと、薄い石を積み上げてできた家の基礎や塀、壁があちこちにあります。こんな石積みを見たのは外海が初めてです。
神浦(こうのうら)の住まいから海に向かう道すがら、右手にはいくつもの石積みが並んでいます。
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石を積み上げた塀のようなものは長崎県以外でも目にしますが、それらはもっと厚みがあるというか、一般的には岩とか巨石という感じのものを用いるように思います。薄い石の積み重ねは、私は外海で初めて見ました。
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西彼杵半島に広がる石積みの文化
なぜ薄い石なのか調べようと、出津(しつ)にある「外海歴史民俗資料館」へ向かいました。ここには発掘された縄文土器から潜伏キリシタンまで、外海の歴史や文化にかかわる資料が展示されています。
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石積みの文化は、外海のある西彼杵(にしそのぎ)半島一帯で見られるそうです。(関連サイト:長崎市ホームページ)
江戸時代、サツマイモ栽培のために山の開墾が進みました。そのとき出土した結晶片岩は平らでやわらかく、加工しやすいため、石垣や石塀などに用いられたといいます。
明治時代となり、石積みの接合材として赤土に石灰を練り込む西洋の技術がフランス人のド・ロ神父によってもたらされ、「ド・ロ壁」と呼ばれる建造物がつくられました。(それまでは赤土に藁[わら]すさを混ぜていた)
その後、半農半工の技術者によって技術が発展。当時つくられたものは現在も残っているそうです。
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「長崎市外海の石積集落景観」は8つのまとまりから成っています。長崎市(行政)は徒歩約60分で回遊できるコースを5つ設定。時代やテーマに沿って見て歩くことができるようです。(関連サイト:長崎市作成のパンフレット ※ ただし2024年8月4日現在、回遊コースのQRコードはリンク切れ)
ちょっと調べただけでは、普段通る道すがらにある石積みがいつどのようにつくられたのかは分かりませんでした。「あれはね、」と人に語れるようになるには、もっと調べる必要がありそうです。
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地元の方からお叱りを受けるかもしれませんが、引っ越して3週間の私にとっては「外海といえば石積み」。それくらい、右を向いても左を向いても目にします。とはいえ、広い外海全体に石積みがあると言い切れるほど、見て回ったわけではありません。
初めて暮らすこの地で、次はどのようなものと出会うのか。第一印象を覆すようなものがあるのか。外海での日々は始まったばかりです。