ブラック企業から夜逃げをした話をしようか
こんにちはAKIです。
初めての人もそうでない人も、ここに来てくれてありがとうございます!
まず、この経験をしたことで、結果として自分の人生が上手くいきました。
結果論にはなりますが、何も行動しなければ、なにも状況は変わりません。
さて、みなさんの職場環境は心地いいですか?それとも劣悪ですか?
僕は過去に転職した先にブラック上司がいて、軽い鬱状態となり、初めて「会社に行きたくない」と言う気持ちになったのを覚えています。
この記事では、「頑張って我慢をする」や「我慢が美徳」を教えるのではなく、そこから逃げたことで人生なんとかなった僕の経験談をお話します。
命より大事な仕事なんてありません。
そこで、ちょっとバカになってみました。
マガジン「過去の自分に伝えたいこと5選」の3つ目の記事です。
では参ります!
別荘の営業マンに転職
20代の頃に建築設計事務所を退社し、アルバイトを転々した後、別荘の不動産営業の仕事に転職しました。建物の知識とバイトでの接客経験を買ってくれて、その場で即採用となりました。
そこは遠く離れた山奥にある別荘地です。
都会での生活と、一級建築士の勉強に疲れてしまった僕は、自然豊かな場所を求めて、そこに移住しました。
全く土地感がなく、都会からノコノコやってきた僕を、転職先のオーナー社長は優しく受け入れてくれました。
「うちの別荘に住んだらどうだ?」
エリアに使っていない別荘を持っていた社長は、そこを社宅として僕に貸し出してくれることになりました。
別荘を売るなら、自分が別荘について詳しくなる必要があると思っていたので、とても好都合でした。
そして、山奥の5LDKで一人暮らしがスタートします。
山奥でひっそりと楽しむ生活
2月上旬。
とんでもない雪の量が降り、1メートル弱の積雪がありました。
社宅の別荘は、二重窓と薪ストーブを備えていた建物で、室内はかなり温かったです。
薪割と雪かきは毎日の日課となっていました。
別荘のオプションで薪ストーブを販売することがあったので、薪割から薪ストーブの使い方まで、一人暮らしの生活の中で徐々に覚えていきました。
買い物をするのも一苦労です。自宅から山を下って一番近いスーパーまで、約1時間でした。
「あ!アレを買い忘れた!」なんてことがあれば大変です。
便利なネットスーパーを利用して配達してもらうこともありましたが、峠道のドライブが楽しくて、用もなく出かけたりもしていました。
爆音で音楽を流しながら走行しても、道の真ん中に堂々と車を止めて景色の写真撮影をしていても、気に留める人は誰もいません。
野生のシカだけが、いつもこちらを気にかけているだけでした。
毎日が新しい経験だらけで、多少の苦労はありましたが、それでもそれなりに楽しく暮らせていました。
お客様はお金持ち
営業職だったので、別荘を売ってナンボの世界です。
街の不動産屋なら、家を買ったり部屋を借りたりする人はたくさんいそうですが、山奥の別荘を買う人なんて本当にいるのか??と思っていました。
ところが、そんな心配は無用でした。
自宅とは別に、別荘を買い求める人は意外に多くいることに驚きました。
その殆どのお客様は、会社の経営者でした。
それなりに、社会で成功してきた方々だと思います。
世間話から始まり、時には自分にはない考えを知れたり、バイトで接客経験があった僕にとって、人と話をする仕事はとても楽しかったです。
そんな中で、周りのサポートと良いお客様に恵まれたお陰で、1棟契約することもできました。別荘は利益率が良いので、インセンティブもかなり弾みます。本当のお金持ちの方々に触れ、過去に借金地獄に陥っていた僕の考えが如何に愚かだったかを、再確認できました。
一方で、販売ノルマがあったわけではありませんが、営業不振が続くと変なプレッシャーを感じることが度々ありました。
軽い鬱状態に陥る
年の近い先輩社員と、いつも二人三脚で営業活動をしていましたが、営業不振が続くと、さらにその上の上司が言葉をかけてきます。
「最近どう?どう?どう?」
「大卒だから次も大丈夫だよね?」
大卒だから、次も大丈夫だよね?の言葉が妙にいつも引っ掛かりました。僕が大卒であることは事実ですが、それを鼻にかけたことなんて一度もありません。社会では学歴は関係ないと思っています。
その上司は高卒でしたが、ただの学歴コンプレックスを持っているように感じました。自分自身で高卒の道を選んだくせに、それを多少後悔し、大卒の人間が面白くないのでしょう。
「どんだけ自分に自信があるかしらねーが、お前は営業に向いていない!」
「別に辞めろとは言っていない、他の部署でもいいんだぞ?」
きっと僕のことが面白くないのでしょう。
思い出すだけで、今でも腸が煮えくり返ってきます。
しかし、その上司の言葉や態度がしばらく続き、段々と自分の中に蓄積されていきます。
「もう会社に行きたくない」
そう思い始めました。
毎晩寝つきが悪い、
朝体が重い、
ドライブも楽しくない、
薪割も楽しくない、
山の景色も別に見たくない、
最近笑っていない、
お客様と話していても作り笑いばかりで楽しくない。
楽しいと思っていた生活と仕事が一気に苦痛になってきました。
スマホの検索履歴には、
「鬱病症状」
などと言ったワードが並ぶようになりました。
峠道で、
「このままガードレールに突っ込んだら楽になれるかな」
と一瞬頭をよぎったこともありました。
実際に鬱病と診断されたわけではありませんが、今思うと、かなりそれに近い状態であったのではないかと思います。
実際に鬱病と診断された人、治療中の人、過去に鬱病だった人ならきっと気持ちは分かると思います。
「もうちょっと頑張ろう」や「病院に行こう」ではなく、
「もうここから逃げてしまおう」と思うようになります。
その当時の僕は正常な判断ができなくなっており、バカになっていました。
しかし、命より大事な仕事なんてありません。
きっちりと退職手続きを踏むべきではありますが、もうそこまで余裕がなくなっていました。
バックレ退職のリスクをきちんと調べた上で、夜逃げを決行します。
バックレ退職を決行
僕は、仕事が終わるとデスクの私物を毎日少しずつ持って帰るようにしていました。
今日はノートとファイル、明日は筆記用具、次の日はスリッパ、コップなどと言った具合です。そして、少しずつ身の回りを整理整頓をしていきます。もちろん、社内資料や、会社の物品などは後々問題になるので置いて行きます。
そして仕事をしているフリをして、役所の転出届を1枚印刷して持って帰ります。もう戻って来ないので、再び役所まで行くのは面倒です。逃げた後に、転出届を郵送すれば良いのです。
いつものように仕事を終え、お世話になった先輩社員に、
「お疲れさまでした!」
と、いつも通り挨拶をします。
明日から僕が来ないとは、誰も思っていません。
そして家に帰ると、大急ぎで荷造りがスタートします。
時間との勝負です。
別荘の社宅なので、住んでいる場所は知られています。
朝、出社しないと分かれば、家に来るかもしれません。
明け方までには、出発する必要がありました。
まずは不要なものを捨てるため、家とゴミ捨て場を何度も往復していました。別荘地なので、週末は賑わっていますが、平日の夜なんて誰もいません。人目を気にすることなく、せっせと作業を進めます。
だんだん楽しくなってきました。
しかし、同じ別荘地内にはブラック上司が住んでいたので、絶対にバレないようにしなければなりませんでした。
野生のシカも近寄ってきましたが、もう相手にしている暇なんかありません。
夜中なので、引越し業者には頼めず、自分の車にどんどん荷物を詰めていきます。
運転席以外の全スペースに、
・衣類
・食器
・マットレス
・布団
・こたつ
・自転車
・ゲーム機
・テレビ
・炊飯器
をなんとか詰め込みます。この時初めて、大きめの車を買って良かった、と思いました。
だんだんだん楽しくなってきました!!
警察に見つかれば間違いなく過積載で止められるリスクは理解していましたが、もう引き返すわけにはいかず、そんなことを考える余裕なんてこっちにはありません。
積み終わった頃、辺りが明るくなっていました。
車に乗り込む前にやることがあります。
健康保険証と社宅のカギを郵便ポストに入れます。後で返すことが面倒だからです。
さらに、
「辞める理由は自分で考えろ、後始末も自分でやっとけ」と、例の上司にメールを送りつけ、会社関係の全メール、全着信拒否設定を済ませます。
もう、どうなってもいいも思っていました。
もう、一番たのしい!!!!!
そして結局一睡もしないまま、早朝に車に乗り込みます。バックミラーに写っていたのはなんと炊飯器でした。もうサイドミラーのみで頑張るしかありません。
途中でブラック上司の自宅の前を通り、車があることを確認し、まだ出社していないことを確信します。
それを横目に、走り慣れた峠道を夢中で下っていきます。
この日は給料日でした。
途中でコンビニに寄り、給料を全額引き出します。
給料日の前にバックレると未払いにされる可能性があったので、夜中の0時を回った時に、ネットバンクで事前に給料の振り込みを確認していました。
近くの神社で手を合わせ、今までお世話になったお礼を伝えます。
順調に高速道路に入りました。
「ヤッホー!俺は自由だあぁぁ!」
ボンネットから聞こえる心地よい轟音と同時に、心の回転数も一気に上がりました。
鬱状態は、いつの間にか消えていました。
実家にもどり再スタート
あれから、どれだけ車を走らせたでしょうか。
スマホで時間を確認するとすでにお昼になろうとしていました。
そして、ものすごい量の不在着信が残されていました。
向かう場所は決めていませんでしたが、自然と実家に向けて車を走らせていました。仕事でここまで嫌な経験をしたのは初めてです。
一旦原点に還り、自分の進むべき道を考え直す必要がありました。実家に戻ったその日から早速、転職活動をスタートしました。
当然、離職票が必要になるので、それを請求し、それがブラック上司との最後のやり取りになりました。
いつか訴えられるかも?と、しばらく怯えていましたが、上司の言葉をスマホのボイスレコーダーに収めていた僕は、いざとなれば裁判でもなんでも戦うつもりでいました。
そして、バックレ退職から1ヶ月。
自分の天職を見つけ現在に至ります。
まとめ
命より大事な仕事なんてありません。心身ボロボロになるくらいなら、逃げてしまうのも一つの方法です。時にはちょっとバカになってみることです。
まじめ過ぎると身を亡ぼす危険があることを学びました。
人生はやり直せます。しかしそれは健康であることが大前提です。体を壊し動けなくなる前に行動に移す必要があります。
最後までお読み頂きありがとうございました!
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次回「マッチングアプリで結婚した方法」を詳しく解説します。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう!
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