『僕』と『俺』の高校生活 〜不登校のその後〜
僕は保育士として働いている。
中学時代は不登校だった。そんな時、素晴らしい学園に出会い僕は変わる事ができた。
その学園に関しては「不登校でも学校に行きたい」という投稿を読んでいただきたい。
僕は中学時代を岐阜の西濃学園という不登校を支援する学校で過ごし、高校生になる時に地元に戻った。
今日は僕が不登校だったその後の話をしようと思う。
【高校生活への希望と不安】
僕は、中学を卒業し地元に戻った。
西濃学園の高等部に進学する選択肢もあったが、それは選ばなかった。地元に戻り"普通"の高校生として生活したかった。
不登校を経験し、ようやく"普通"の学生生活が送れると楽しみだった。
いま思えば「"普通"」っていったいなんんだ、と思うが、そのときは「"普通"」であることが素晴らしいことで、不登校だった自分は「"普通"」ではないのだ、と思っていたのだ。
でも、本当はすごく怖かった。
僕が不登校になった理由は最初に入学した中学校でのいじめが原因だったため、またいじめられるのではないか、また孤立してしまうのではないかと思った。
一度味わった恐怖は簡単に消えるものではない。
【入学式当日】
僕は母と入学式に向かった。
その時の表情は真っ暗だ。
僕の入学した学校は素行の悪い生徒、いわゆるヤンキーが多い学校だった。
僕は確信した。
「きっといじめられる」
【高校生活開始】
最初の授業は自己紹介だ。
「僕は岐阜の中学で寮生活をしていた」と言うとみんなからすごくいいリアクションが返ってきた。
休み時間には数人の子と中学時代の話をした。みんなの話はとてもキラキラしていた。
友だちから「なぜ寮生活だったのか」と聞かれると、
不登校であったことは隠して、「部活の関係」と嘘をついていた。
不登校だった事など誰にも知られたくなかった。
僕は新しくできた友だちと話していく中で、嘘をつき続けた。
友だちに捨てられないように、自分を演じていたのだ。
僕の中にもう一人の僕が作られていった。
本当の自分ではない「俺」という人格だ。
「俺」は強かった。
ヤンキー達のノリにもついていく事が出来た。
ヤンキー座りでしゃがんでいる時に知らない先輩に急にお尻を蹴られても、「もー勘弁してくださいよー」とおちゃらけて返す事ができた。
スポーツもうまいわけではないが、人並みには出来た。
同級生からの「肩パン勝負しようぜ」と言う誘いにも応える事が出来た。
(肩パン勝負=お互いに肩を殴り合いギブアップした方の負けというゲーム)
初めて女子とご飯に行く時も、何度も行った事があるような口振りで参加していた。
だが、心のどこかに憤りを感じていた。
「僕」は苦しかった。
知らない先輩に急に蹴られて、困惑と恐怖そして怒りの気持ちを押し殺しておちゃらけて対応する辛さ。
スポーツは楽しむ程度にワイワイしかやった事がないのに、自分より下手な人に対して「おいおい!しっかりー!負けんぜ〜笑」
とヤジを飛ばしていた事への心苦しさ。
肩パン勝負などと言う、見栄張り大会に参加する事による怪我の辛さ。
たいして仲のよくない女子、男子との会食での緊張と虚無感。
こんな事してなんのためになるのだろう。ずっとそう思っていた。
だけど、その場からその関係性から抜け出す勇気は僕にはない。
なぜなら、孤独になる事はもっと辛いからだ。
このままでは僕はまた、不登校に戻ってしまう。
負けたくない。戻りたくない。"普通"の高校生でありたい。
そんな事を思いながら僕は「俺」でいることで高校3年間をなんとか乗り越えた。
「乗り越えた」と言うと辛いことしかなかったようにも感じるが、良い思い出もある。
二年生になり、「俺」になり切ることが出来てくると、不思議なことにその中に「僕」を少し出せるようになってきたのだ。
成績を競い合える友だちができた。その子とは今でもたまに会い、服を買いに行ったりするほどいい友人になれた。
さらに、女の子の友だちもできた。その子はダンス部に所属していてテンションが高く友だちも多い。僕はその子と仲良くなって確実に毎日元気をもらっていたと思う。
そして、僕は初恋も体験した。同じクラスで仲良くなった女の子だ。
学校で同じクラスにいて、成績を競ったり休み時間にたわいもない話をするだけで楽しかった。休日に遊びに行く事はなかったし、勇気のなかった僕は告白もせず恋人になることはなかったが、今でも連絡を取り合いたまに遊ぶようにもなった。
今でもその子のことが好きなのは僕だけの秘密だ。
三年生の時には一年生の時に仲良くなった子と二年生で仲良くなった子どちらともいい関係を保ち、僕は「俺」の部分を残しつつも、「僕」として卒業する事ができたと思う。
最後に
僕は高校時代「俺」という人格が嫌いだったし辞めたかった。
でも、今思えば「俺」という人格が僕の中にいた事で、これまで乗り越える事ができなかった壁に挑戦する事ができたのかもしれない。「俺」が「僕」に勇気をくれたのだろう。
僕は、不登校であった事、高校時代に本当の自分を隠しながら生活していた事を生涯自分の力として持っておきたい。
なぜならそれは、僕にしかない僕だけの経験だからだ。
中学で不登校になり、限界と思ったことを乗り越え、高校ではさらなる高い壁に再び限界を感じた僕だが、その限界を「俺」という人格を持ってなんとか乗り越える事で、その先に楽しいと思える未来があった。
限界を乗り越える時は辛い事の方が多いだろう。
でもその辛かった経験は自分の力になり、次の限界を乗り越えるバネに変わると僕は思う。
今も、これから先にも、自分の限界を見る事はたくさんあると思う。
でも、その度に限界を越えようともがいて行く。そのためのバネ(経験)を僕は大切に持ち続けていきたい。