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私の「教育」の土台にあるもの

どうも、SORAHIKAです。

やっとうちの入試も無事に終わりました。毎年ですが準備から何からハード笑
もうバタバタでnoteもろくに見れずにやっと戻ってこれました。

ただ、中学生の入試に取り組む表情を見ると、これまで勉強を頑張ってきた時間、そしてそれを支えてくれた保護者や先生たちの想いが見えて毎年ウルっとしてしまいます。どんな結果であれ、これからの人生全てを応援したくなりますね。

前回、後輩から教育についての考えを問われ、どうしても教育について話すと説教ぽくなることや考えを押し付けるような感じになることが嫌だったので、話のすり替え法として朝の占いの話をするという素晴らしいアイディアを思いついたものの、見事に作戦失敗というところで記事は終わっていました。

今回はその後輩に話をした私の「教育観」についてです。

で、SORAHIKA先生の教育観はなんですか?

「んー、子ども達みんながこれからの人生を幸せと思えるように過ごしていけること、かな。キラッ


「いや、そんなの当たり前です」

おぉっと、真顔でツッコまれました笑

そうですよね。その通りです。

ただね、意外にそこが抜けていることが多いんです。

今の学校教育は偏差値を上げて良い学校へ進学をさせることや管理職や教育委員会の顔色を伺いながら指導方針を決めてしまうこと、保護者の強い要望の通りにサポートをしてあげるなど、目の前の問題に対しての解決策を考え行動していることが多いように見えます。(あくまで個人的主観です)

私の中にある教育の根本は「子どもたちがこれから先、幸せな人生を送れるためには」です。

それぞれ最終的な願いはもちろん私と一緒だと思うのですが、教師・生徒・保護者は心のどこかで「みんなと一緒の安心感」や「できればみんなよりも良い評価を」「標準より上の進路先を」の気持ちがあり、それぞれの「私にとっての幸せな人生について」を置き去りにしてしまっているような気がするんですね。

彼が言っていた
①理解しやすい授業をして偏差値をあげる。
②志望校に合格させる。
③大人になっても楽しかったと思える思い出をつくる。

もちろん間違ってはないと思いますが、①~③をクリアさせることでさっき当たり前と言っていた、子どもが「人生を幸せだと思って過ごせる」とどのようにして結びつけていくか?

この質問にはさすがに彼も困っていました。

意地悪な質問をしてしまったと反省をしましたが、なんとなく学校全体の雰囲気を見ていて、みんなが大学を目指すから、みんなが就職を目指すから、将来お金に困りたくないから私も勉強を頑張る。

時代が大きく変化し考え方が変わった今でも、心のどこかで「お金があって安定した生活」=「幸せ」になっていて、その流れは例えば「良い大学→大手企業への就職」というように未だに形を変えていないように思います。

私が「人生の幸せとは何か」ということについて考えるきっかけになった出来事があって、前に働いていた学校の卒業生で非常に優秀な生徒Aがいました。受け持ったことは無いのですが在学中は成績優秀、スポーツ万能、誰に対しても優しい絵に描いたような優等生。卒業後も某有名大学に進学しその後は大手企業へ就職したと卒業生から聞いていました。その後久しぶりにその学年の卒業生が遊びに来たので、「Aは元気してる?」と聞いたところ「いや、先生聞いてない?今病んでて入院しているんよ。一時期は命も危なかったみたいで。母親がなんとか引き留めたみたいだけど。ただ俺らも事情は分からなくて連絡も取れなくなって…」とのことでした。

今も詳しい事情は分かりません。ただこの話をきっかけに「人生を幸せに生きるってどういうことだろう。子どもたちには幸せであってほしい」と改めて考えるようになりました。

文科省が定める教育基本法第1条「教育の目的」は、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」

うーん、分かるようで分かりにくい笑

ただ実際に教員になって生徒や卒業生と接し、また色んな本を通して社会とは?人生とは?と学ぶ中で、私なりの解釈として、

「自分にとっての幸せに生きるとは何かを見つけること」がまず土台になければならないという考えに至っています。
子どもたちが大人になっていく中で自分にとっての幸せとは何なのか、どういう状態が幸せなのか。

もちろん人によって幸せの形は違います。だからこそ自分の幸せと思える人生を考えながら生きていってほしい。

そのゴール(目的)自体をイメージすることが抜けてしまうと「何のために生きているんだろう」という気持ちにもなりかねません。

なので私たち教師自身が「幸せな生き方」をいつも考え色々な角度から学ばなければ生徒に教えられることは難しいと思っています。

「だからさ、○○先生がこの多忙でブラックとよく言われている教師職の中でも、楽しくて幸せと思えることやこの先の自分の人生の幸せについて考えることが、今教えている子どもたちにとってもとても大切なんだと思うよ」

この言葉を聞いた彼の反応は載せませんが、その後も色々と質問攻めにあったのでまた、記事にしたいと思います笑

余談ですが、

内閣府が2019年に実施した「満足度・生活の質に関する調査」でも、年収100万円未満の人の幸福度は平均5.01、年収700万円以上1,000万円未満の幸福度は6.24で、1.23の差。一方、年収1,000万円以上2,000万円未満の幸福度は6.52で、年収700万円以上1,000万円未満と比べても0.28しか差がなく年収800万円程度を目安として、年収が幸福度に与える影響が薄れさらに、年収3,000万円以上になると、逆に幸福度が下降するという結果になったそうです。(なかなか年収3000万円までは難しいですが・・・)

お金を多く持っていればその分幸せも同じように比例していくわけではないようですね。

お金を多く持っていなくても人生の目的を持っている人や仕事や私生活が充実している人は幸福度が高いという結果もあるようです。

そんな自分なりの「幸せの定義」を学生のうちに少しずつ見つけてほしいと思います。

まぁ、あくまで私なりの考えです笑

「そうじゃない!」「いやもっとこういう考え方が~」と言う意見もあると思いますが、前の記事にも挙げた通り色んな考え方の先生がいていいと思っています。子どもたちは色々な先生からそれぞれ学び自己を形成していくので。

なんだかんた、長くなってしまいました。
貴重な時間を使ってわざわざここまで読んでくださり、ありがとうございました!
皆さんも是非、自分の幸せって何か考えてみてくださいね。

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