見出し画像

「拝啓、夏目漱石様 二通目」

 先生、中々お戻りになられない内に、世間はすっかり秋です。私は何だか待ちぼうけです。けれども毎日、本当に毎日書いています。先生、先ず初めに、私は一つ謝りたい事があるのです。若し話を聞いて、こいつめ、と思われても、どうかお叱りにならないで下さい。いえ、これは不可ない。其れが私に必要な叱責であるならば、謹んでお受けいたします。それが書生たる身の心構えでした。

 実は、毎日小説の執筆に夢中になるあまり、先日の職場への出勤中、読んでいた「虞美人草」を居眠りして足元へ落としてしまいました。其れも正直に申し上げますが、一度では無いのです。私は少なくとも二回は落としました。文庫サイズの、それほど頑丈で無い紙製のカバーですから、何だか少しずつ端がもじゃもじゃしていたのですが、落とした少なくとも二回のせいで、拍車が掛かってしまいました。破れたらどうしよう。私は、好きな本を好きな時に読んで、その為に本の表紙や角が劣化していくのは愛着の証と思って受け容れていますが、落とした傷とあっては、先生に、本に、申し訳なくって立つ瀬がありません。これからはもう本当に、落としたくないのです。居眠り何てしている場合でもないのです。ここできちんと反省したので、もう落っことしたりしない積りです。真面目に読書して、学びたいと思います。

 不図気が付いたのですが、私は今年、今迄の人生中で一番文字を書いているらしく思われます。小説や短編の執筆が面白くて、どんな人生にも代えがたく、息をする様に、例えば伸ばした視線だけでなく、其の先までを言葉にできるように、先生のように、ユーモアと哲学を共存させられる作家でありたいと願いながら、毎日言葉と向き合っています。言い表したい言葉が旨く生み出せないときは、座っているだけでは私の場合、到底何も生まれませんから、立ち上がって、洗濯物を取り込んでみたり、掃除をしたり、外へ出て日に当たりながら、植え物の前へ凝と座って見たりします。職場に居る時は、グラスを磨いたり、矢張りフロアの掃除などして体を動かしていると、其の内ぽんと閃いたりします。

 それはまるで、記憶の海に沈んでいた言葉が、不意に浮かび上がって来るような感覚でしょうか。自分の人生の中の、如何なる場面で出会った言葉だか、判然しないものが現れる時もありました。幾千回擦れ違って、未だ馴染まない言葉もあるでしょうし、反対に、たった一度の巡り合わせで、強烈な印象を残す言葉もあります。言葉は面白いです。不思議です。つくづく妙なものだと思います。そういう、世界に幾らでも生まれていく言葉を紡ぎながら、新しい物語を世に送り出す、作家という職業は、本当に、凄いです。どうしたって、惚れ惚れしてしまうのです。

 私は今、今年二本目の長編小説の推敲を続けています。それが人生で初めて、続編を書いてみたのです。前作で描いた人物たちのその後の人生を書くというのは、当然ながら、前作の生きざまやら性格やら気質などを踏襲した上で描かれなければ嘘ですから、真っ新な新作を描くのとは違う趣のある作業でした。初めての経験で、大変興味深く、面白い作業だと思いました。このままもう少し、焦らず推敲を続けて、より面白い作品になるよう精進する所存です。

 先生、ここで一つ御相談なのですけれど、聞いて下さいますか。私は今年書き上げた新作を、小説家として生きていく決意を示すために、有料公開としたのです。本当は、他のどんな作品よりも読んで頂きたいと強く願いながら、この山を越えねば作家として独り立ちしたとは言えないのだと、要するに無謀な冒険を始めたのです。先生はツイッターだとかフェイスブックと云う物を御存知ですか。私は何もしていないので、話に聞いたことは在りますが、実の処はよく分かりません。然し、世間ではそう云う存在を活用して生きていくのが、いつの間にか主流になったようです。いつの間にかと云うのは、私が草取りをしている間に、外で蓮根を洗っている間に、それから風呂場のタイルを磨いている間にと云う意味です。

 無謀な冒険の為に、私はジレンマを抱えてしまいました。時々は、開き直ってみるけれど、どうしても、気が急いてしまうのです。判然言って、私は生き急いでいるのだと思います。実際の処がどうであったかは、いずれあの世から見つめ直せば良いと思いますので、どちらでも構わないのですが、只日々の自分は、目の前の小説に必死です。呆れる位に気を取られています。滑稽であります。周囲にとってはいい迷惑かと思います。表向きだけでも、自重しなければと思っている処です。

 そういう訳で、私は先の小説を、どうしたらよいだろうと考えているのです。どうしようもこうしようも、もう賽は投げられた訳で、後は転がるだけですから、先生からしてみれば、私にどうしろと云うのだと、仰られるかも知れません。あら、本当に、そうですね。もうなるようになるだけかもしれないです。私に出来る事は・・・先生ならば、こう仰るでしょうか。

「いいから、書き給え。好きなだけ書いてなさい」

 そうします。私は書いているだけでも幸せなのだから、書き続けていきます。それに、書いていると、嬉しい事だって、あるんです。一つ作品を上げると、リアクションをして下さる方が在る。時には、言葉を残して下さる方が在る。私はそれで、どれだけ救われたことでしょうか。言葉を紡ぎながら、私も矢張り、言葉の力に救われているのです。本当に、嬉しかったな。

 ようし、また頑張ろうという気合が満ちてきました。先生にお手紙を書くと、私はいつも元気になります。ふふ、此れも何だか、不思議です。そう云えば、同封の葡萄の写真は、私が毎朝食べている物の内の一つです。と言って一度に食べるのは四、五粒程ですけれど、美味しいです。私の生きる糧です。折角実りの多い秋ですから、先生も沢山、美味しい秋を味わって下さい。ああそうだ、今年も又秋刀魚は高いそうですから、ご注意を申し上げます。

 それでは夏目先生、最後まで御読み下さり誠にありがとうございました。またいずれ、気が向いたら、御帰りになって下さいね。    敬具


この記事が参加している募集

お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。