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別れ道のその先で

別れ道のその先で

 むわりと身体が火照るような暑さに包まれ、脳味噌の内側から、思考を剥ぎ取られるような、感覚。私はそれを知っていた。体は暑くてたまらなかったり、時には寒さに震えていたりするはずなのに、意識と体は切り離されて、どこか俯瞰したように頭はいたって冷静に、透き通るような混濁に包まれていた。両手に携える弓と矢は体の一部となり、私を何倍も大きくさせ、地中深く根を張る大木のような安定と安心を感じさせる。人一倍小柄

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蒼に響く声

蒼に響く声

 無機質な機械音がなって、僕は目を覚ました。
 ぼんやりとする頭がだんだんとはっきりしていくのを感じながら、「おはよう」とベッドの横にあるこじんまりとした机の上のモニターに声をかける。
「おはようございます」
 モニターからはすぐに滑らかな挨拶が返ってきて、続けざまに今日の日付・曜日・気温・酸素濃度を教えてくれた。外の気温は相変わらず十度を下回り、夏も間近であるというのに僕は分厚いセーターを着込む

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白紙の手紙

白紙の手紙

 仕事帰りにポストを見ると、真っ白な封筒が一つ、置いてあった。その封筒には本当に、ただ一つも文字が書いていない。
 だけど、送り主はすぐにわかった。
 知る限りこんな手紙をよこすのは一人しかいない。
 足早に家に入ると、コートを脱いで封筒を開ける。ほんのりとオレンジの香りがして、手紙を持ったまま肌寒いベランダに出た。

 十二月中旬、この時期の外は寒い。
 ポケットから煙草を取り出し、火をつける。

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街角

街角

 僕の背中に降り注ぐ朝日はほの暖かく、少し湿り気のあるひんやりとした空気はなんだか僕の心を湿っぽくさせる。手に持った赤褐色の黒バラは、寝起きみたいな部屋着姿の僕には全く似合わなかった。
 だけど、あの人はバラが好きだった。

「華やかで、愛って感じするでしょ? だから好き」

 部屋の窓から街を見下ろすと、ちょうど黒バラを置いた街角が見える。
 陽が傾くに連れて、バラは路地の暗闇に吸い込まれていく

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夏の墓参り

夏の墓参り

「オジサン、ヒトゴロシってほんと?」

 耳の穴が貫通する程に、蝉の声がうるさかったある夏の日。近所の子どもであろう、淡い青色の薄いTシャツを着た小学校中学年くらいの少年が俺に話しかけてきた。

 俺の住処であるボロいアパートの部屋では、壊れたエアコンがガタガタと如何にも調子の悪そうな音を立てていた。スマホを見ると外の気温は三十度を超え、汗をかいて舌を出した簡単な人間のイラストが猛暑日を示している

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