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日常と非日常の互恵性 ~長期休みとのつきあい方~

0.はじめに

お久しぶりです。ラモスたくやです。
新年明けましておめでとうございます。
現在、実家から夜行バスで下宿先への帰路についています。

皆さんは正月休み楽しめたでしょうか?

今回は、自分が正月休みに感じたことを書いていこうと思います。

1.非日常の功罪

正月休みは、色々な人たちと会う機会があって、その瞬間瞬間において、人の温かさや優しさを感じました。また、美味しいものをたくさん食べて、心も体も潤いました。

(人と関わりすぎて、鬱陶しく感じることもありましたが、、詳しくは、下の記事で)

まあ、細かいことはさておき、とても幸せだったんですよね~

しかし、それと同時に、とてつもない虚無感、焦燥感、物寂しさに襲われました。

これはなんだと思ったら、過去に似たような経験を何度もしていました。

その感情は、長期休み終わり、旅行帰り、遠足帰りなど、心が満たされた後に必ず襲ってくるのです。

ああ、またこの感情か、、、

この年齢になっても、まだ感じるのか、、

その感情は、幸せな時間の短さへの虚しさ。明日から始まる日常への焦燥感。これからの長い人生(生活)に対する不安。時を忘れる時間が長ければ長いほど、感情の落差は大きいのです。

常に幸せと不幸せは表裏一体なんだなあと改めて実感しました。

ボールを上に投げたら重力で落ちてくるように、人間の感情のアップタウンも自然現象的に起こるのです。

2.意図的な日常の介入

お正月明けは1年のなかで3番目に自殺者が多いことが明らかになっています(1位が夏休み明け、2位が新年度直後)。非日常に慣れると日常に戻れない。豆腐を上に投げすぎると下に落ちたとき崩れる(例え下手です笑)。準備のない幸せは巨大な不幸せを引き起こします。

じゃあこれから休むときは、どうすればいいのか?

簡単です。毎日、適度に不幸せに生きるということです。

言葉を変えると、適度に自分に負担をかけた生活をして、非日常からの落差を減らすことが重要だと考えられます。

休みでもちょっとだけ仕事をしよう。

2日以上の休みは作らないでおこう。

この考えは物事の習慣づけの時の論理と同じかもしれない。皆さんは、休みの日でも歯磨きしますよね?、休みの日でもめんどくさくても風呂に入るし、休みの日でも、パジャマに着替えて寝室に入る。たったこれだけのことです。非日常のなかにも日常は潜んでいて、そのバランスを調節して生きていくことが大切です。

すごく当たり前のこと言ってますが、これがなかなか難しい。ちょっとした負荷は精神衛生上いいことです。未来を考えた行動選択をしよう。そんなことを思った正月休みでした。

3.日常と非日常の狭間で

結局のところ、どっちを目的として生きてるんだって話になりそうな気もする。実感値として、多くの人が非日常のために日常を生きてると思う。つまり、旅行にいくために、仕事をがんばる。車を買うために、金をためる。一時的な欲求(非日常)を味わうために日常を送る人は多い。  

一方で、それぞれが自己目的化している時もあるし、目的が逆になることも多い。つまり日常のために非日常を経験するということだ。

仕事でつかれたから温泉いこう。みたいな感じだ。

つまり、目的の話になっても、日常と非日常は相互扶助的、互恵的な関係性を築いている。

それぞれがいい塩梅で、絡み合うときそれを幸せと呼ぶのかもしれない。結局は、バランスだ。

なんだかんだ、ブログを書き始めて三年?(Ameba blogを含め)になるかな。自分の感情を言語化して明確にすることは、漠然とした不安を減らしてくれます。文章を書くことは、発信欲の解消と自己セラピーの両方の役割を果たしてるなーと思います。

これからもだらだら続けようと思うので、気が向いたら見てください。

それでは、皆様にとって今年がよい一年になりますように。


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