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加藤諦三著「大人になり切れない人」の心理

半年ぐらい思うところがあり、手にする本は努力繋がりとなる。
石の上にも三年。三年で得たものは何かと問われたら、耐え抜く力なのか。

令和現代の時間の進みは、感覚的に早いと感じる。たぶん、世の中の変化が早くなったこともあるが、タイムパフォーマンス(タイパ)が重視されているから尚更だ。しかし、タイパ感覚では人の成長は望めない。なぜなら、時間がかかることが常だから。

成長過程において、我慢の度合いはどうか?
親の言う通りに従い、親の顔色を見ながら過ごしていなかったか?
親が自分のやりたいことを徹底的にやれるように応援してくれたのか?

親が生きてきた時代・経済的背景もあったとしても、親は子を尊重していたのか、子の何を見てきたのかが後に問われる。これは今も昔も変わらない。

やはり、幼少期の頃は大切なのだと思う。

若い頃から、刻別勉励して生きてきて、社会的に成功した人が超保守主義に傾くのは、当然というか自然なのである。「お前たちは、俺のように辛い努力をしなかったではないか」ということである。そして、何よりも、辛い努力をしないで安易に生きてきた人が嫌いなのである。許せないのである。

第一章「五歳児の大人」とはどんな人なのか

子どもの頃「苦労は買ってでもしろ」と両親から言われてきた。
苦労が美徳というか「お前は苦労を知らない」口ぶりに嫌気が差す。私は私なりに苦しく辛いなんて思いもしないのだろう。自分の物差しでしか語れない。子の辛い思いに寄り添うことなく、つまり自分第一なのだ。

親からしてみれば私は反抗的な子どもだったと思う。違いを認めず自分が正しいと押し付けてくる感覚に違和感があったし、親でも合わない人は合わない。兄弟でも同じ。

兄弟の中でも扱いが雑だったが、他の兄弟にいわせれば別にそうとも思わないと言われる。表面的な面しか見えてないから、今後知るとなれば親の介護の時だろう。

子だくさんの時代背景や家族内の男尊女卑も、そのまま受け継いでしまった昭和。平成、令和における価値観や世間の風潮もあり、昭和な感覚は時代に合わない部分が出てきた。「経験をしろ」とういうなら話はわかる。

個人的には後輩や周囲等、嫌な思いをしてほしくない。経験を通じて得るものはあるとして、自ら取り組むことであれば苦労とは思わないものではないか。

しかし、中には仕事ではなく人間関係で悩みが尽きないこともある。

俺の思う通りに動かない。
俺の意見を聞かない。
不機嫌な態度で人に当たり散らす。

失敗して落ち込んでいる人を感情をフラットにさせて気持ちを上げていくよう寄り添うことはあっても、感情のコントロールが出来ず怒りをぶちまける人は本当に厄介。今でいう不機嫌ハラスメントだ。

 まるで、自分一人が悲惨な目にあっているような気持になっている。これが五歳児の大人の気持ちである。そして家族を恨みだし、敵対的な性格になった。被害者意識の強い人は、だいたいこれと同じ心理をたどる。
 すなわち、五歳児の大人とは、心理的には幼稚なのに、社会的には責任ある立場に立たされ、生きるのが辛くて、どうしようもなくなっている人々のことである。

第二章 五歳児の大人は、五歳児の愛を求める

上記に記した彼らは、五歳児の大人なのではないか。だから周囲が手を焼く。「もしかして五歳児の大人なのかもしれない」と自分を振り返ることで関係性を再構築できる可能性は見えてくるけれど、大人になると指摘してくれる人は少ない。

 それは今から思えば分かる。自分の心の底に抑圧されているものすごい憎しみに気がつかないで、その憎しみの自分のままで努力していたからである。傷ついている自分をそのままにして、どうして心やさしい人間になれるだろうか。

第六章 自分と向き合えば、生き方が変わる

相手に振り回され自分の感情が爆発もしくは凍ってしまう前に、早めの解決が必要になる。逃げることも一つの選択だ。そんな五歳児の大人から潰され、体を壊しては元も子もない。相手の感情に飲み込まれて自分が悪いのではないか、どうしても自分に厳しくなりがちだが、もういい。これから自分に優しくなろう。

結婚について鋭い指摘が印象に残る。

自分の子どものためというが、つまりは自分のためと感じることができなければ、結婚は地獄である。自分が働いたお金を自分のために使いたいという望みを持っている人には、結婚は地獄である。

第五章 五歳児の大人たちと「心の支え」

少子化だが、結婚する人が増えれば子どもが増えるとの発想は、本当にナンセンスだと私は思う。もう多くの人々が気づいているのだろう。

子どもの頃「誰のおかげで生活できると思ってるんだ!」等と言われたことがある。親にとってみれば結婚は地獄で、子どもは自分たちの老後の世話をさせるためなのだろう。五歳児の大人の考えることだ。

私には許すことができない相手がいる。だからと言って「幸せになって見返してやる」等の気持ちはない。それは相手に執着し、時間を費やすことになるからだ。主治医曰く「実際に起きた記憶を消すことはできない。ただ、薄めることはできる」上書きではなく薄めることだと聞き、小さな光を感じた。

努力して消し去ることしない。無駄な努力だ。
そこに力を注ぐことはやめよう。

まだまだ、人生旅の途中。
これからなのだから。


<追記>
親との関係にズバリと著者が切り込む動画は必見の価値あり。


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桜川空
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