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20240220 療養メモ 「どうしてもしんどくなったら逃げればいい」って言われても・・・

昨日のnoteのつぶやきで、漫画「セクシー田中さん」の芦原妃名子さんの事について、ちょこっと書いた。
実のところ、ここ数日は母の病院に付き添ったりしたことで、閉じこもった生活を送ることとなり、時間を潰すために漫画を読みまくっていたのだ。
ドラマの脚本のことでトラブルからの悲しい結末が有った事件でもあり、作品を読まないとこの話って出来ないだろうなというのが、意識に上がってきたからだ。

で、実際に漫画を読んでみた。
1〜7巻まで、全部。
きっちりと、Kindleで購入して読んだ。

感想としては、とても繊細なお話だった。
主人公はコンプレックスの固まりでありながら、その打破を自覚なく取り組み始めて、そしてそれが周りの意識をも変えていくことにつながる、そんなストーリー。
コンプレックスの塊の人間の心情が、本当によく描かれている。
そして、そのコンプレックスが自分で自分を傷つける、そうしたモノにもなっているのだ。
だから、何かに救われたい。
漫画の中の主人公は、ベリーダンスに出会うことで救われている。
そんな話が、自分みたいな人間にも希望を持たせてくれるような、そんな感じになっていた。

で、その後の話。
結局、芦原妃名子さんは、出版社、放送局などとの話の食い違い、SNS上での炎上なども含めて、命を絶つことへと行動してしまうことになってしまった。
この事件が有って、様々な人が色々な意見を言っている。
その中で、よく出てくる話が有る。
「何かあったら、電話一本してほしい。」
「困ってどうしようもなくなれば、逃げればいいんだ」

このセリフ、よく出てくる。
これが出来るのならば、心が病むことはないんだろうと思う。
出来ないから、苦しんだよなぁ。

セーフティーネットは、必ず必要でも有る。
何もかも投げ捨ててしまっていいというのも解らないでもない。
しかし、何もかも投げ捨ててしまったら、そこから二度と立ち上がることなんて出来ないかもしれないという恐怖感の方が、実はとても大きいんじゃないかと思う。
だから、目の前のことに耐える。
でも、限界が来てしまったことで、究極の「楽になりたい』という気持ちがやって来るのだ。
もう、生きていることが苦しくて苦しくて仕方がないという思考が頭の中をいっぱいにしてしまうのだ。

とても精神的に弱すぎる、こんな精神力では周りに迷惑をかけてしまう、そういうコンプレックスの塊の人間にとっては、救いの道というのは命を絶つほかないという考えになってしまうのではないだろうか。
自分は、調子が悪くなると、トラブルが多くなって処理能力をオーバーすると、こういう思考が頭の中を支配してしまう。

立ち止まることや、逃げることで、責任を果たせなくなることに対しての申し訳なさがやっぱりぬぐいきれない、そこに向き合えないからこそ、自死を選ぶという思考があるというのを解って欲しいという思いが有る。
サポートして欲しいところはそうしたところなんだ。

ちょっと、マイナスのいっぱいなnoteになったが、思考のパターンの一つとして残しておきたいと思う。

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