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68年の革命と学生たちの「二重の自由」——絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』を読む

ウォーラーステインを参照すれば、大衆社会状況とも呼ばれる「豊かな社会」の到来は、第一次大戦後に世界資本主義のヘゲモニー国家となったアメリカ合衆国大統領ウィルソンが採った「リベラリズム政策」の一帰結にほかならない(『アフター・リベラリズム』)。米ソ両大国は、資本主義と社会主義のどちらが「豊かな社会」を建設しうるかをめぐって覇権を競ってきた。そして、実際に「豊かな」社会が到来しつつあった時に生み出された——武井昭夫がその学生運動理論で規定した言葉を用いれば——「層としての」小ブルジョワ(主に学生)は、あたかも全てから「自由」(であるべきという観念)を獲得したかのような環境に置かれたのである。
もちろん、それはマルクスが19世紀のプロレタリアに見いだしたのと似た意味で、本質的に二重の自由である。つまり、思考が現実的な下層構造に規定されない自由であると同時に、現実の社会から追放されてあるという自由である。その二重の「自由」こそ、現実の資本主義を批判するラディカリズムを可能にした。それが、いかに「観念的」なものであったとしても、それは確かに根拠のあるものではあったのである。

絓秀実『革命的な、あまりに革命的な——「1968年の革命」史論(増補版)』ちくま学芸文庫, 2018. p.31.

絓秀実(すが ひでみ、1949 - )は、日本の文芸評論家。本名は菅秀実。著書に『詩的モダニティの舞台』(論創社)、『吉本隆明の時代』(作品社)、『1968年』(ちくま新書)、『反原発の思想史』(筑摩選書)、『天皇制の隠語』(航思社)、『タイム・スリップの断崖で』(書肆子午線)など。柄谷行人・中上健次からは、1980年代後半「彼の才能を疑ったことは一回もない」と評価された。日本読書新聞編集時代、蓮實重彦に文芸批評を初めて書かせ、世に出るきっかけをつくった。

本書『革命的な、あまりに革命的な——「1968年の革命」史論』は2003年の刊行後、ただちに日本における「68年」の運動史と理論・思想史に関する必読文献となった書物である、と解説で王子賢太氏は述べている。絓は本書で、日本では「全共闘」の名とともに知られてきた学生運動・ニューレフト(=非共産党系左翼)運動高揚の一時期を「68年」の名の下に総称し、同時期の「西側」先進資本主義諸国における学生・大衆の反乱や知的刷新、あるいは中国における社会主義内部の革新運動としての「文化大革命」とも共鳴する世界的現象の一貫として位置づける。本書は日本の68年を覆ってきた「挫折」というような一連の否定的イメージを払拭し、68年を世界的規模で生起した「革命」として描き出す。曰く、「68年革命」は「今なお持続する世界革命」であり、そのことはただちに、この「革命」が「勝利」し続けていることを意味する、と。この主張こそが本書の核心的テーゼである。

68年が一つの革命であるとしたら、それはいったい何に対する革命なのか。絓は端的に「リベラリズム」に対する革命、日本の文脈で言えば「戦後民主主義」に対する革命であるという。ここで「リベラリズム」とは、第一次世界大戦とロシア革命以来、アメリカ合衆国で採用された広義の福祉国家政策を指し、「豊かな社会」の建設を目指して社会主義国家ソ連と覇権を争った資本主義国家の戦略と位置づけられる(ウォーラーステイン『アフター・リベラリズム』)。日本の「戦後民主主義」は1940年代の戦時経済に端を発し、第二次世界大戦後、占領軍が全面展開した「リベラル」な体制であり、兵站地域となった先進資本主義国で継続される「戦時体制」にほかならない。絓はニューレフトにおけるベトナム反戦の意義を、この認識をもたらした点に認めている。その「戦時体制」とは、国民個々の生を全体的に管理し、覇権争いに向けて駆動する、資本制国民国家における総動員体制である。

この「リベラリズム」下で達成された「豊かな社会」(つまりは「大衆社会」)において、学生をはじめとする小ブルジョワは、あたかも全てから「自由」(であるべきという観念)を獲得したかのような環境に置かれた、と絓はいう。これは、マルクスが述べた19世紀当時のプロレタリアが置かれていた状態と同じ意味で、本質的に「二重の自由」である。それは「思考が現実的な下部構造に規定されない自由」とともに「現実の社会から追放されてあるという自由」である。これによって、現実の資本主義を批判するラディカリズムが可能になった。しかしながら彼らは同時に、いわば何者かにならなければならないが何者にもなることができない、浮遊する小ブルジョワの群れとならざるを得なかったのである。

絓の本書における「68年革命」を語るトーンは、それでもあくまで肯定的なものである。つまり、そのとき学生たちが先行世代の国民=市民のモデルとしての教師たちに対して挑んだ「階級闘争」は、行き詰まりを見せはじめた「リベラリズム」に対する闘争だったのであり、同時に「アフター・リベラリズム」の時代にも継続する「生の管理」(生権力)に対する先駆的な闘争でもあったというのである。「規律型権力」から「管理型権力」への移行の時代(フーコー/ドゥルーズ)、その両者を貫いて支配し続ける「生権力」に対する闘争だったと言える。

社会学的に確固たる実在性をもつ労働者階級に依拠することなく、「二重の自由」状態に置かれた大衆社会のなかを浮遊する小ブルジョワが、いかなる革命を果たしうるのか、といった困難な問いに直面し、ニューレフトの学生たちは多くの試行錯誤を重ねつつ、68年において交錯する豊かな理論的・実践的革新の一時期を経過することになった。これらの困難を踏まえて考えるならば、「68年革命は勝利し続けている」という絓の言葉は、その勝利がけっして一度きりの決定的なものではありえず、困難に送り返されてはそのつど反復されるほかないことを意味する。そのことはまた、「68年革命」が「リベラリズム」=「戦後民主主義」を最終的に妥当してしまうことなく、いわばその「リベラリズム」に寄生しつつ、そこから身を翻し、その体制を内側から掘り崩すようなかたちでしか存在しないことを示唆しているのではないか、と解説で王子賢太氏は述べている。


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