変化に対応できるようにする
『飛び立つ君の背を見上げる』を読んだ。
この本は『響け! ユーフォニアム』という作品の外伝。
丁度いま、3期のアニメが放送されている。
それを見ていて、何かの拍子に関連ワードをネット検索したときに偶然アマゾンで発見したのだろう。詳しくは覚えていない。アマゾンの「あなたへのおすすめ」にこの本が表示されていた描写だけが頭に残っている。
『響け! ユーフォニアム』は高校生の吹奏楽部を描いた、青春ストーリーだ。今回読んだ本は主人公の1つ上の先輩たちが部活を引退してからの短編集のような話。
主人公たちが入学する前の部活は、年功序列だった。上手い、下手に関係なく上級生が必ずコンクールに出場する体制。それにヤキモキして、部活を辞めた同級生のイザコザも書かれている。
それが、主人公の入学と同時に完全な実力主義に変わった。いわゆる狭間の世代だ。
原作でも語られているが、本書でも同じ話を読んで気づいたことがある。
練習をしてもしなくても、上級生はコンクールに出られる。上級生はコンクールに出て思い出を作ることを目標にしている。そのために必要なことは時間を待つことだった。
労力を考えれば、確かに練習をしない方が楽だ。しかし、環境が変わり、実力主義になった。
どの部活でもこういった話はある。「エンジョイでやるのか?」「ガチでやるのか?」
絶対的な解はない。「部の方針それぞれ」というしかない。
コンクールの出場が目的なら、環境の変化というリスクを考えて、練習する方が得なのではないかと思う。
環境が変わるタイミングなんて予測できるものではない。それは社会を見ても明らかだ。コロナ禍のリモートワークが当たり前になるような日常を想像できた人はいただろうか。
過去の経験から言うと、「この流れは変わりそうにない」が一般的な解答だ。
しかし、作品の内容でいけば、顧問の育休で代わりの先生が来て実力主義に変わった。
先生にとっては育休を取ることは既定路線だったかもしれないが、生徒にとっては寝耳に水だ。そして、代わりの先生がめちゃくちゃ優秀な指導者なことも。
当時の自分では思いつかなかったが、目指すべき方向性を変えればいいと感じた。おそらく年功序列にヤキモキする登場人物たちは「みんなで上を目指そう!」というマインドなはずだ。だが、現状はそれは叶わない。
部の方針から考えて、自分の代になるまでは個人的な練習期間にするという考えもありだろう。どうやら練習に来ているか、来ていないかも別に気にしないような部活だったようなので、部の方針に乗っ取らず個人的な練習をする機会もある。
同期や後輩から見たら、「好き勝手やっている」とは思われそうだが、「上手くなりたい」というのは通じるはずだ。あとは虎視眈々と自分の代が来るのを待ちつつ、仲間を作るという作戦だ。
他にも、気の合う仲間で大会を探して出るという方向性。ここには先生も絡んでくるので難しいかもしれない。先生の方向性によっては、先輩たちの出番を増やすだけの徒労に終わる可能性がある。
副顧問の先生は音楽の先生で厳しいらしく、実力主義を指示する生徒からは顧問をやって欲しいと思っている描写もある。
ならば、その先生を取り入り、個別に大会に出場するという手もあるのではないだろうか。
(現に先輩が引退してから、主人公たちの代はアンサンブルコンテストという少人数制の大会に挑んでいる)
それはそれで、「あいつらだけズルい」みたいなことも大いにある。
しかし、部内で住み分けをするのなら、一番大きい大会は年功序列を許すけれども、小さい大会は実力を優先させる、という方針でもいいと思う。
今となっては、こういうことも考えられるが、実行に移せるかどうかは別問題だ。
しかし、「練習したからその成果を見せる場所を!」というのは、承認欲求的な目線から大いに理解できる。努力が報われるか。正しい練習をしたか、ということを評価してほしい。そのためのコンクールという目線は十分に理解できる。
部内の方針が自分の描いた通りにならないのら、違う目標を見つけるか、抜けるのか、耐えるのか、いろいろ選ばなくてはならない。
上記の選択肢を選んだキャラクターもいれば、それ以外の選択肢、淡々と練習を続けたキャラクターもいる。
その集団の変わらない目的は何で、手段が変わっても対応できるように日々備えておくことが大切だと感じた。