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車輪の再発明

「既に分かっていることをもう一度発見する」という意味を持つ言葉。

研究の世界では一番になることが重要で、二番目に価値はない。むしろ、先行研究があることを知らないことで恥をかく。

一般的にも「それって時間の無駄ですよね?」「何を当たり前なことを???」と揶揄されることも多い。

けれども、私は車輪の再発明が好きだ。

たとえ既に知られていることでも、自分でたどり着けたことが素直に嬉しい。達成感も感じるし、物事の理解も深まる。

「あー、こういうことだったんだ」と。

さらに「じゃあ、あれはああいうことだな」と別の事柄の理解にもつながる。

今、『虚数の情緒』を読んでいて、こんなことが書いてあった。

若年の諸君は, 特殊に徹せよ. 先ず, 具体例を発見せよ. そして自ら発見した特殊な例を, 一般化し証明するのだ. どんなに詰まらない問題でも構わない. それが何千年前に解かれた問題であろうと, 自分で発見し, その手で証明出来れば, それは自分自身が, 古代の偉人賢人と同程度の知的能力を持っている証となる.

P210-211

まさに車輪の再発明そのもの。自分がいいなと思った本に自分の好きな考えが書いてある。

なにか自分を後押しするようなものを感じる。

「これでいいんだ」と。

この本で学んだことはあるし、noteにも書きたいと思っている。

こんなことを書いたら、先日の記事に反する内容だが、気にしない。

既に知っていることを別の側面から理解する。

よくよく考えれば、それは処理の仕方が分かっているだけでその処理の意味が分かっていないこともある。そして、そこから処理の意味を学ぶ。

ひとつの事柄に対して、複数の見方ができるのも、大切なことだと思って読んでいる。

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