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他者の痛みと共感|文學界10月号を読みました

『文學界』10月号を読みました。

今月は、仙田学『また次の夜に』、永方佑樹『字滑り』、宮内悠介『暗号の子』の3作の創作が面白かったです。

仙田学『また次の夜に』は、娘を亡くしてアルコール依存症になってしまった母親が、自助グループに参加し、そこで出会ったルナと呼ばれる女性をきっかけに立ち直っていく話。

永方佑樹『地滑り』は、「字滑り」呼ばれる、自分が思ってもいない文字の読み方をしてしまう現象が現れる世界での話。原因を突き止めようと、字滑りがよく発生する地域へおもむくが…。

宮内悠介『暗号の子』。ブロックチェーン技術を使ったVR世界のASD自助会グループ、クリプトクリドゥス。そのメンバーの1人が無差別殺傷事件を起こす。それをきっかけに自助会グループが新自由主義、アナーキズムの地下組織だと疑いをかけられる。そのメンバーの1人梨沙は、自分の居場所を守ろうと行動する。
これが1番面白かった。

以下は、小説も含め気になったところです。

人は手持ちの痛みでしか、他人の痛みを推測する ことができない。むこうずねをぶつけたとか、足の小指を家具にぶつけたとか、誰もが同じような経験をしている場合に は、「ああ、あれは痛いよねー!」と共感することができるが、たとえば高齢者の関節痛などは、ある年齢に達しないと経験しない痛みだから、若者がそれを聞かされても想像が及ばない。年寄りは痛い痛いと愚痴っぽい、と思ったりしかねない。

文學界2024/10 『痛いところから見えるもの』 P239

つい先日、永井玲衣『世界の適切な保存』を読んだ。

忘却されているのは、感じることだ。普通ではないと感じることだ。埃まみれの小さな腕が、転がっていると感じることだ。
(略)
言葉は、わたしたちの感情をせおうことができず、からからに乾いた言葉がそこらじゅうにちらばっている。

永井玲衣『世界の適切な保存』

ここには、感情を言葉で表すことができなく、忘却されていることが書かれている。「痛い」と単に言われても分からない。

(実は、文學界10月号は『世界の適切な保存』を読む1週間前に読んでいました。この時は単に「自分よりも年上の人たちの痛みを分からないこと」が腑に落ちて書き留めていた。けれども、痛みを感じる側も上手く表現する言葉が見つけられず、「痛い」で止まっていることを知った。)

先日書いた、『世界の適切な保存』の感想と被るが、感情を想起させるような言葉を伝えることが大切で、それがいかに難しいかがここでもよく分かる。

この連載のタイトルは、『痛いところから見えるもの』だが、大きなくくり(作品名)では、『痛みには孤独がもれなくついてくる』だ。

痛みを共有できない。分かってくれない。それが孤独につながっている。ますます『世界の適切な保存』の引用が響いていくるように感じる。

難病になってから私は孤独だったが、彼の孤独はさらに深かった。それは彼のほうがより痛みに苦しんでいたからだ。 宗教に入る人をばかにする人もいるが、私はとてもばかにはできない。私自身は宗教には入っていないし、決して入らない決意だが、それはまだそこまで追いつめられていないだけかもしれない。宗教に入れば、どんなに他人に理解してもらえなくても、孤独になっても、最後に神様がいてくれるのだ。なにしろ神様だから、なんでも理解してくれる、いっしよにいてくれる。

文學界2024/10 『痛いところから見えるもの』 P241

以前読んだリー・マッキンタイア『エビデンスを嫌う人たち』でも陰謀論に傾いていく人たちは、理解される人を求めていた結果、陰謀論にたどり着いた、ということが書かれていた。

本書では、フラットアーサーが出てくる。地球は球ではなく、平面。と考える人たちのことだ。

陰謀論にハマる人も宗教にハマる人と同じように誰にも理解されずそこに落ち着くことも思い出した。

「治るってことがないんだ。不治の病ってやつ。きょう一日は飲まないでおこう、毎朝そう決めて、飲まない日を一日一日重ねてくだけ。生きかたを変えていく。さっき会った仲間たちもみんなそうだよ。それができない人は、ひどいことになる。たぶんあなたもそう」

文學界2024/10 仙田学『また次の夜に』 P26

アルコール依存症の人がアルコールを自制するために心がけていること。これは「アルコールを飲まない」習慣作り。毎日、一歩ずつ積み重ねて作っていくことが大切。

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