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対人恐怖は、自分のことも相手のこともコントロールしようとしてる。

長らく、かなりの対人恐怖に陥っていた。
もちろん今もそうなのだが笑
昔に比べて楽になってきたのでそのことについて書こうと思います。

対人恐怖は、
初対面の人はもちろん、長い付き合いの友達との関係においても起こっていた。

相手からよく見られるように、嫌われないように、必要とされるように
人に会うときは、常に心も体をこわばらせていた。

昔、ありのままの状態でいたときに、
傷ついた体験があったのだと思う。その体験は、自分で選んだことじゃないから仕方ないが。

根っこにはそのままの自分では嫌われる。

ずっとそんな自分を否定して、
縮こまっていたように感じる。

しかし、
長らく続いたこの状態も
最近、少しずつ緩和してきた事に気づいた。

何があったかというと、

もう、そのままの自分でいいと
自分を責めなくなったことが大きな理由だ。
そのままの自分を変えようとコントロールしなくなった。

前までは、
人によく見られるように、嫌われないように、
必要とされるように気を遣っていたのだけど、
それって自分の自信のなさから自分をコントロールしてることだし、

間接的に印象操作して、相手の反応をコントロールしようとしてたんだなって。もちろん自信のなさからくるもので、悪意のある操作ではないけど。

一時的に、相手の反応をコントロールできたとしても、コントロールしてる限りはずっと偽りの自分でいなきゃいけないし、その状態の自分を好かれたとしても、もっと苦しいだけだなと。

そんなことに気づいたのと、
気を使うことにも疲れ切って、
もう嫌われてもいいや、必要とされなくていいや、傷ついていいやって。

そのままの自分でいようと思って、自分をコントロールすることも、他人をコントロールすることも
手放したときに、なんか気楽になっていて、人の目が段々、見れるようになったんです。

そのことについて、
問題を解決することを諦めたというか。

それから
会話も言葉を変に選ばずに、自分が感じたことを言えるようになったり、きまづくなってもいいやと思えるようになって、とても楽になりました。

変化したことで、今までの人間関係が変わったりしたこともありました。


もちろん、癖がまだ残ってるので
わりと発動することはありますが、そのことについても、ま、いいや、と自分を責めなくなったし、深刻にならなくなったというか。

カートコバーンの言葉で、

偽りの自分を愛されるなら、ありのままの自分を嫌われたほうがいい。

という言葉があるんですけど、
まさにこれだなと思います。

他人に嫌われたとしても、自分は自分のことを嫌わないで、自分の味方でいること。

ありのままの自分で、そんな自分を受け入れてくれる人と関係を構築すればいいし、もしいないならそれはそれでいい。

そんなふうに考えや、感覚が変わってきて、対人恐怖は昔に比べて、楽になりました。


まだまだ、人見知りやコミュ障が残っている私ですが、昔記事にも描いていた状態(人目が気になる)から変化してきていたので、今回書いてみました。

その最中にいる時は、もう一生このままだと、途方にくれてましたが、
月日がたって、
物事は少しずつ、変化していく。
そんなことにも気づきました。

なので
この先も、焦らず、自分を責めず、
ゆっくりと生きていこうと思います。

これを見てくださってる同じようなことで悩んでいる、苦しんでいる方の参考になれば嬉しいです。

ではでは〜。


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