見出し画像

歓びあふれる想いが、神様の想いと一致してくる

こんにちは、Soniiです。
いつもありがとうございます!


今日の記事は、いつもよりもふわふわとしてしまいました。心でお感じいただきながら、お読みくださいますと幸いです。


コメントをいただく中で、「やさしい気持ちになれました」と、言っていただけると、ほっとした気持ちになります。

書いている時、わたしの気持ちを、ろ過してろ過して、できるだけ純粋なところで、つづらせていただいています。


言葉は、まるで音楽のようで、どこかで鳴っているのが聴こえます。それを言葉にするのは、わたしの準備が整った時で、できるだけそのままを、言葉にして、お伝えさせていただいています。

流れるように、心地いいように、言葉のリズムや、つかい方に、気をつけています。

敏感でやさしい方、心細くなっていらっしゃる方にも、受けとっていただきやすいように、大気に溶けるような、というくらいのやさしさで書かせていただくよう、心がけています。

そうすることで、読んでくださっている方々の、やさしくて、あたたかくて、純粋なところに、響いていくことができるように、なっているのかもしれません。


紅葉が、とてもきれいですね。

あまり外に出ることがないのですが、タイムラインにあがってくる、美しい自然の写真などを、みせていただくことができているので、とても幸せです。いつも、ありがとうございます。

わたしが行くことができない場所に、今いらっしゃる方々がいて、その生活をnoteを通してみせていただき、豊かな気持ちを、感じさせていただくことができています。


いつも、自然をお手本にしています。

困ったり、迷ったりした時。幸せな時、歓んでいる時。

生き方、あり方、すごし方など。

たくさん、学ばせていただくことがあります。


一枚の、落葉した葉から、葉の一生が感じられてきます。

木の一部として育ち、紅葉して、落ちて、土になっていく。

ずっと歓んでいて、わたしたちやまわりを、もっともっと歓ばせようと、してくれているような、気がします。

与えよう、与えようという歓びが、落葉した葉から、感じられてくるようです。

小さな小さな存在だけれど、わたしに、たくさんのものを、与えてくれています。

そんなふうに、わたしも生きたいと、思いつづけているところです。


わたしは、小さい存在だということを、充分に認めていて、大きいことは、やろうとはしていなくて。

ひとつひとつのことに、歓んだり、悲しんだり、つらくなったりしながら、成長をして、まわりと、関わらせていただいている。

時間をかけてもよくて、わたしのペースで。


わたしが、どのような存在なのか、ということは、わたしにはわかっていなくて、神様はそれを知っています。

わたしにできることは、感謝をしていたり、自分のことを、大切に、愛して、小さなことでも、ほめてあげること。

小さな小さな、積み重ねです。


「こんなことをしてみたい」という想いも、たくさんあります。

それは、大切に、紙に書いて、ノートにはさんでいます。

いつでも、みることができるように。

思い出すことが、できるように。


想いは、わたしに、進む方向をみせてくれます。

歓びを、想いに乗せることができると、想いは、成就しやすくなります。


想いは、たくさんあって、やってみたいことは、わたしの中を、光で照らします。

そして、小さな小さなことを、毎日、積み重ねます。

感謝をする、自分を大切にする、愛する。

できることを、やってみる。

小さなことを、積み重ねていく。


そうしていくうちに、神様が、わたしの中で、動いてくれるようになって、想いと神様の方向性が、一致してきます。

そうすると、想いが、目の前に、表れていたりします。


やってみたいことや、想いは、なくても大丈夫です。

わかっていなくても、神様が、準備をしてくれています。

できることを、少しずつやっていき、やがてある時、本当にのぞんでいたことが、目の前に、すでに表れてくれていることに、気がつきます。


想いと、神様にゆだねる、ということは、よくわかりにくいことではあるのですが、想いは、あってもなくてもいい、というのが、わたしの体験です。

世の中が変わっていく中で、今は想像もできないことが、これから起きてきます。

あらゆる希望を持ってみても、いいのだと感じています。

それが、歓びあふれる感じがするのなら、希望を持って、想いを託してみても。



空を飛び回る鷹をみて、うらやましくて、あんなふうに大空を飛び回りたい、と思っていて。

飛ぶ練習をしても、どうしてもうまくいかなくて。どうしよう、どうしたら飛べるようになるのだろう、と悩んで、悩みながらできるかぎり努力をして。

それでもだめで、あきらめそうになった時。

神様からの、「あなたを見てください」という声が聴こえて。

自分をみてみたら、自分は、道端に咲く、とても美しくて小さな、花だったということに気がついて。

こんなに美しかったんだ、力強く、いつも咲いていたんだ、ということに、ようやくたどりついて。

ありがとう、ありがとう、わたしを精いっぱい生きます。

というふうに、思うことができた時。

とてつもない幸せと、歓びと、感謝が、あふれてきます。


鷹になったらこうしよう、こうしたい、という想いは消え、道端に咲く、とても美しい小さな花として、こうしたい、ああしたい、という想いが芽生えてくる。

それが、想いと神様の方向性が一致する、ということ。

幸せ、歓び、感謝を、感じている、という状態なのかもしれませんね。


道端に咲く、小さい花だと思って、こつこつとできることをがんばっていたら、本当は大きな杉の大木だった、ということを、神様から教えてもらって、後から気がつく、ということも、あるのかもしれません。

敏感でやさしい方は、じつは、大きな木や、飛び回る鳥みたいに、想っているよりも、壮大で、自由な存在なのかもしれません。


一枚の落ち葉から、曇り空から、ぴゅうと吹く冷たい風から。

まわりから教えてもらうことは、本当にたくさんありますね。

毎日毎日、知らなかったことを教えてもらいながら、進んでいきたいです。


今日もありがとうございます!

Sonii

☆☆☆ご支援、ありがとうございます!☆☆☆ とてもうれしいです(*'▽')  よい循環のために、大切につかわせていただきます あなたにも、すてきな循環がありますように!